2007-08-19

後記+プロフィール 017

後記

「週刊俳句賞」第一回受賞者、岡田由季さんの50句を、お届けしました。

もっとも支持された作者の句を、思いっきり読んでもらうことを、prizeとする。それは、たいへんよきアイデアであったと、こればっかりは自賛させていただきたい。

文学賞というのは、どんな大きな賞でも、つまるところ「読む」ということのイベント化なわけですから。

ところで、今日『週刊俳句』17号のリリース日は、「俳句の日」なのだそうです。8月19日、ハ・イクの日。坪内稔典さんの提唱になる、ということらしい。

おととし2005年、ネット上で「記念日俳句」という遊びをやっていたことを思い出しました。いまや365日すべての日が、何らかの記念日とされていることに鑑み、有志が、1年間にわたり、記念日を「季語」として句をひねるという試みでした。ひさしぶりに過去ログを当ってみたら、おお、なんと。

8月19日は「バイクの日」。なのでした。

 走りつつ白桃を剥けバイクの日 櫂未知子

愛媛県松山では、この日にちなみ(そうなんです)、高校生による俳句バトル「俳句甲子園」の本戦が行なわれています。『週刊俳句』は、現地レポートをお届けする予定です。

では、また、日曜日にお会いしましょう。

(上田信治 記)


no.017/2007-8-19 profile


■岡田由季 おかだ・ゆき1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。ブログ「ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」 http://blog.zaq.ne.jp/blenheim/

■山本勝之 やまもと・かつゆき舞鶴出身。「月天」「百句会」所属。

■大石雄鬼 おおいし・ゆうき
1958年生まれ、埼玉県育ち。現代俳句協会会員、「陸」同人、「豆の木」所属。1996年現代俳句協会新人賞。ブログ「ゆうきはいく」http://sky.ap.teacup.com/ukiuki575/

■なかはられいこ

岐 阜県生まれ、岐阜市在住。1988年、時実新子の『有夫恋』がきっかけで川柳をはじめる。98年、文芸メーリングリスト「ラエティティア」に参加。著書 『散華詩集』(93年、川柳みどり会)、『脱衣場のアリス』(2000年、北冬舎)、共著『現代川柳の精鋭たち』(2000年、北宋社)。サイト「短詩型 のページμ」http://www.ne.jp/asahi/myu/nakahara/

■遠藤 治 えんどう・おさむ
俳号四童(よんどう)。1958年生まれ。1994年より作句開始。「恒信風」同人。
ブログ「四童珈琲店」 http://navy.ap.teacup.com/yondoblog/

さいばら天気 さいばら・てんき
播磨国生まれ。1997年「月天」句会で俳句を始める。句集に人名句集『チャーリーさん』(私家版2005年)。ブログ「俳句的日常」 http://tenki00.exblog.jp/

■上田信治 うえだ・しんじ 
「ハイクマシーン」「里」「豆の木」で俳句活動。ブログ「胃のかたち」 http://uedas.blog38.fc2.com/


3 comments:

民也 さんのコメント...

  今年の歩行祭 by民也

秋気澄む白のジャージと白の靴

爽やかに始まりますか歩行祭

八十の一日分の秋の道

わたしたち地元の秋の色になる

赤蜻蛉白い行列まんまだね

「バカ行事」わかつてますよ秋の暮

秋の宵出た出たゾンビ乗りがいい

虫の夜の乳酸酔いの誕生会

天の川乾杯は缶コーヒーで

病蛍同級生へおめでとう

男郎花糖分補給ありがとう

居ないのに 杏奈と歩く夜長です

匿名 さんのコメント...

「今年の歩行祭」
恩田陸作『夜のピクニック』の内容の
なぞり、という体裁の御句。小説の内
容を知らなければ、ちょっと理解困難
で、内容を知っていると作そのままで
少々物足りない。中途半端な句作とな
っておりませんか? 知人で、短歌作
品を俳句として詠み直すという試みを
続けている人がいますが、そこには短
歌作品とのぶつかり合い、「勝負」の
雰囲気があります。小説のなぞりでは
なく、小説を素材とした句作を一度試
みられてはいかがでしょうか。

民也 さんのコメント...

こんにちは匿名希望さん。僕の句を読んでくれてありがとうです。

>小説の内容を知らなければ、ちょっと理解
>困難で、内容を知っていると作そのままで
>少々物足りない。

ご指摘の前半は僕の今後の課題になりますが、後半は僕の俳句の特徴なので、まったくその通りでいいのですよ。
僕が俳句ですることは、素材の持ち味を生かしたまま、それを有季定型に翻訳することです。素材にない事や物を創作して加えることなんて、僕は俳句ではやりませんよ。
むしろ、僕の句に物足りなさを感じて、やっぱりオリジナルのほうがいい、と思ってもらえることのほうがずっと大事です。
オリジナルの輝きを引き立たせる脇役。それが俳句という文芸の本懐なのですから。