2008-02-10

『俳句』2008年2月号を読む 五十嵐秀彦

【俳誌を読む】
『俳句』2008年2月号を読む ……五十嵐秀彦



これまで何度か『俳句界』について書いてきて、今回初めて角川の『俳句』を担当?し、久しぶりこの老舗雑誌をじっくり読む機会を得た。

この角川の『俳句』は良くも悪くも他の俳句総合誌のモデルのような雑誌だし、また読者も多いことでも知られている。

私も以前は毎月読んでいたが、この二三年は、特に理由もないけれど、縁遠くなっていた。

さて、その『俳句』2月号の特集はふたつ。それを見てみよう。



●「本当に名句? 評価の分かれる有名句」 p59 -

まず、このタイトルを読んで、少々脱力した。

どういう発想なのだろうか。名句として人口に膾炙する句が本当に名句なのか、という疑問は疑問として良いとしても、それを何人かの俳人に語らせたものを読んでそこから何を得るのか。どうも納得しがたい企画だ。

せっかくの「これは名句なのだろうか」という疑問が、他の人の意見で得心するというのなら、名句と言われているのだから名句なのだ、と盲信することとなんら変わらないんじゃないか。

さて、ブツブツ言っていてもしかたがない。先に進もう。

一句目がいきなり子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」ときて、さっそく暗雲が垂れ込めだす。仁平勝他5名の俳人がそれぞれ意見を述べつつも異口同音にこの句を名句としている。正直どうだってよくなってきた。

でも忍耐強く最後まで読みましたよ。

2句目以降は賛否それぞれという感じになっていて、ちょっとホッとしつつ読んでいるうちにそれなりに引き込まれるものはあった。

結局は鑑賞者それぞれの個性が鑑賞そのものになっているのは自明で、「本当に名句?」という企画そのものはあまり浮き上がってこない。


 去年今年貫く棒の如きもの    高浜虚子


佐々木六戈の「高浜虚子ほど人を喰った俳人はあるまい。彼が唱導した事と実践した作品との怪物的な乖離を今更ながらに思わざるを得ない。この句が名句で有ろうと無かろうとそんな事とは一切係わり無くこの句は高浜虚子そのものではないか」は、なかなか真を突いた意見で共感できる。


 中年や遠くみのれる夜の桃      西東三鬼


森田純一郎は「飛躍した鑑賞として、夜の闇の彼方に生る桃を性的なイメージで捉えることなど想像したくもない」と言うが、それは森田氏の俳句観であって、この句の場合、性的なイメージはちっとも飛躍した鑑賞ではない。結局好き嫌いでしかないようだと思わされる。

だから何を言っても勝手だよなぁと思いつつ読み進んでいくうちに、これはどうだろうという発言にぶつかった。


 血を喀いて眼玉の乾く油照    石原八束


この句に対する仁平勝の「俳句は大衆文芸ではない。いわば通の文芸である。喀血の場面に〈油照〉を配するような仕草は、作者の外連(けれん)である。大衆受けはしても、通には受けない。それは名句とは無縁のものだ」には少々驚いてしまった。

俳句が「通の文芸」などという下卑た言葉で括られるものかどうか、なぜ大衆文学であってはだめなのか、疑問の残る一言ではないだろうか。

全体をとおして、それぞれの書き手の俳句への思いは伝わってきたが、ともかく企画が的外れなので、これを読んで、そうか名句とはそのようなものか、と早合点する人も多かろうと思うと、後味の悪い特集。

昔、ジャズファンの間で名盤ブームというのが吹き荒れたことがあった。火付け役はとある有名ジャズ雑誌。さんざん名盤のレッテル貼りが続いたあと、その揺り返しのようにマイルス・デイビスの「クールの誕生」やチャーリー・クリスチャンの「ミントン・ハウス」、バド・パウエルの「アメイジング・バド・パウエル」などが、本当に名盤なのかという議論が雑誌で繰り返され、さてそのあとに何が残ったのか。

思い出すとあまりのバカバカしさにあきれてしまう。

今月のこの特集は、それに似たものがあった。



●「追悼大特集 成田千空の生涯と仕事」  p133 -

誰か大物俳人が世を去ると自動的に総合誌の特集が決まるというスタイルが長く続いている。別な言い方をすれば、死ななきゃ特集は組んでもらえないということでもあるようだ。

成田千空が昨年11月17日86歳で世を去った。

中村草田男の弟子であり、青森では「暖鳥」選者として早い段階で寺山修司を評価した人。彼の死去にあたって多くの人が追悼の稿を寄せている。

その中で、黒田杏子の「太宰 志功 寺山そして成田千空」で紹介された千空自身の言葉に心打たれた。

「あの句集(『十方吟』)はちょっと優しく、柔らかになりすぎてねえ。私としてはもう一冊なんとか骨のある、水位の上った、口あたりはよくなくても喰いたりる作品で飛翔したいんですよ。分って頂けるでしょう。それが出来そうな感じもいまあって、何とか実現したいんです。私の到達点をそこに持ってゆきたい。『十方吟』を通過した最後の句集をねえ」

昨年、最後となった句集『十方吟』出版直後の言葉であった。


 仰向けに冬川流れ無一物    『地霊』(昭和51年)

 五月来る夜空の色のインク壺  『白光』(平成9年)

 雪よりも白き骨これおばあさん 『十方吟』(平成19年)


千空の作品をあらためて読み、ひさしぶりだったこともあって、どの句も不思議と心に染みた。



●池田澄子「呼ぶ樹」50句  p20-

好き嫌いの分かれるだろう池田澄子俳句は今や非常に重要な存在ではないだろうか。

何が飛び出してくるのか分らないところ、どんな世界が提示されるのか、という期待や不安というものが彼女の俳句にはあり、いいとか悪いとかいうより、まずそこを期待してしまう。そういう俳人は少なくなったなぁとあらためて思う。

今回の50句はそういう意味では少し物足りなかったか。


 敗戦日ぬくき夕刊届きおり

 薊傾く絮噴くことに驚いて

 夕しぐれ我ら去ぬれば樹を呼ぶ樹




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1 comments:

民也 さんのコメント...

名句なのかどうかは知らないですが。

発句 中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼

付句① 日差しに捥ぎむ父母の腕 民也

付句② 社員となれず果物は敵 民也

付句③ 門限守れ足長き子よ 民也

付句④ 先生も今お風呂でせうか 民也

付句⑤ あしたはエステあさつてはジム! 民也

付句⑥ 予告通りに狙う輝き 民也

付句⑦ あの日の誓いいまだ成らず 民也


結構楽しめる句です。

ところで、
桃で連想するのは、普通、「子供」じゃないですか?(桃太郎、桃の節句)。

もしくは、「不老長寿」(桃源郷)。

「野望」「理想」、とか(三国志)。

中年になると、桃=エロス、で認識が固定しちゃうんでしょうか。女性は「中年」にならないのかな。中年女性から見ても、「夜の桃」はエロスという解釈しかあり得ないのでしょうか?

僕は俳句を楽しむときは作者のことまるで頭にないものだから、例えば縦書きの句だったら、下から上に読まないといけない俳句の鑑賞法は、けっこう苦手かも。

でも、感動した句の作者の名前は覚えますよ。誰がこんなすごい句を残したんだ!ってね。

 荒海や佐渡に横たふ天の川 松尾芭蕉

 遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子

 滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半

 路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 攝津幸彦

覚えた順。

芭蕉の句。子供の頃にはもう覚えていましたが。少し前に、ある掲示板で、自分は「佐渡」の出身ですとカミングアウトしている記事に対して、「島流しの罪人の子孫だろーお里がしれたな」といった見下しコメントが複数寄せられているのを見たときに、ようやくこの句の重みが実感できた(気がする)。

 高塀や網走またぐ天の川 民也

虚子の句。俳句では太陽のことを「日」で表す、と知ってから、この句は「太陽」賛歌の句だと確信しましたね。この句の主語・主役は、「遠山」でも「枯野」でもなく、「日」そのものでしょう。「日」がなければ、「遠山」も「枯野」もそれらが乗っかっている地球自体も存在し得ない、という宇宙規模の真実がすぽっと一句に収まっている。なんて稀有壮大な句なんでしょう。

後藤夜半の句。僕は子供の頃、滝を見て、初めて「物は落ちる」という事実を実感したものです。そして思った。水は落ちるばかりなのに、どうして川の水はなくならないの?
小学校に上がって、川の水がなくならない理由(循環)を習った感動は忘れられないなぁ。夜半の句は、その感動の記憶とくっ付いてしまった。

幸彦の句。僕にとって「夜汽車」は、「銀河鉄道」「銀河鉄道999」に直結するキーワードなので、彼の句を思い出すと心は自然に宇宙を旅している気分になる。おだやかな感動系。

自分の心に棲みついた句、がやっぱりmy名句、ということになるのかな。

ほかの人は、どんな句に感動して、それを覚えてしまっているのか。聞いてみたいものです。