2009-04-12

猫髭さんの数々の提言に さいばら天気

RE:「週刊俳句」のココがダメだ
猫髭さんの数々の提言に …さいばら天気


猫髭さんの「インターネット外部の「大人の俳句」をもっと」を拝読。週刊俳句を「俳句世間のフリーペーパー」と表現していただいたことにまず吃驚。私も少し前からそう思ってるんです、いや、ほんと。

街角のラックに並んだ無料の雑誌。気が向いたら抜き取って読み、読み終わったら捨てる。広告掲載料の有無という大きな違いはありますが、送り手の意識、読み手の意識という面で、週俳はきわめてアレに近い。猫髭さんのご指摘に深く首肯、かつ深く御礼。

それはともかくとして、「週刊俳句のダメなところ」について書いてくださいという依頼に、芸達者・筆達者な猫髭さんなら、舌鋒鋭く、あるいは見方によっては喧嘩腰に、センセーショナルな「ダメ出し」を展開することも充分に可能なはずで、そうなると、こちらサイドとしては、有り難く、かつ美味しく、論争を熱く盛り上げていくこともできたのですが、今回は、気分がそうさせたのか、いささかマイルドな内容です。その枢要は、次の一文に尽きるでしょうか。

インターネットに拠らない昔ながらの結社の作品や評論の参加は、やはり少ないと思われ、寄稿者も片寄っていることは否めない。若手の作品が読めるのは嬉しいが、やはり結社の中でだけ研鑚している俳人たちの作品も見て見たい。
(猫髭・以下引用は同)

週刊俳句への寄稿者に、いわゆる結社プロパーな人が少ない。若手が比較的多い。そこに不満を感じていらっしゃいます。

以下、とりとめなく、お答えします。猫髭さんも、読者の皆様も、どうぞ膝を崩して、気軽にお聞きください。

 

指摘される偏りは、実際、あるでしょう。まず年齢層から言うと、便利なことに、俳句作品を寄せていただいた方の年代別一覧記事があるので、それを見てみましょう。

年代別・週刊俳句 2007年アンソロジー 44人44句
年代別・週刊俳句2008年アンソロジー 91人91句

これを見ると、まず2007年44人のうち、70代以上が2人、60代が3人、50代が25名(!)、40代が8名、30代が4名、20代が2名。50代が半数以上を占めるという偏り方。この理由ははっきりしていて、週俳を切り盛りしている私たちと年代的に近い人が多くなっているということです。週俳1年目は、手近な(というと寄稿者に叱られますが)人たちに甘えた格好です。

2008年になると、91人のうち、70代以上が8名、60代が4名、50代が29人、40代が22人、30代が9人、20代以下が19人。50代が依然として多いものの、その上下の年代に広がっています。

広がりの度合いはもちろんまだ充分とは言えず、俳句世間全般の年齢分布から言えば、若年に偏りがちではありますが、なにしろ、いくつかの俳句協会の平均年齢が軽く70歳を超える俳句世間です。この現実を反映した年齢分布を週俳が実現するのはかなり難しく、またその必要もないでしょう。猫髭さんの提言の主旨も、年齢層よりむしろ、「オトナの俳句」を、ということだと解しました。

次に、インターネットの外部、結社の内部をも取り込むべきという提言ですが、このうちインターネットの内部と外部という問題は少々微妙で、そもそも、外部対内部、リアル対ネットという図式を反故にするところから、この週刊俳句はスタートしているフシがある(他人事のように言う)。

より具体的に言えば、ネット環境を利用しながらも、ネットに両足を置くことはしない。例えば、いわゆるハンドルネームでの寄稿は原則、受け付けていません。猫髭さんは唯一の例外と言えるものですが、「猫髭」という俳号がすでに歴史的にアンデンティティを確立しているという判断からの例外です。

あるいは、リアルの権威や秩序を無視しない。一例を挙げれば、多くの読者はお気づきのように、俳句賞受賞者に多く寄稿依頼しています。また俳句総合誌という既存の紙媒体を「読む」という記事を続けていることも、ひとつの証左でしょう。

そして個人的には、再三、申し上げているように、「インターネット俳句など存在しない」という見解。リアル対ネットという不毛の対立に与せず、ネットのメリットを見極めつつ、リアルな俳句をみんなで愉快に遊びましょう、というのが週俳の基本スタンスだと思っています。

だったら、よけいに、インターネットと疎遠な作家の作品も、もっと積極的に掲載すべきという意見が出そうです。それには「がんばります」とお答えするしかありません。これまでにすでに、お手紙やファクス等で依頼・入稿・その後のご連絡を進めた例は、若干ながらあります。そうした作業を少しずつでも積み重ねていきたいと思っています。

次に、猫髭さんご指摘の「結社の中でだけ研鑚している俳人たち」という部分です。このうち「だけ」という2文字をどう解するかで、お答えが変わってきますが、週俳への寄稿者の多くは結社所属です。確認しきれてはいませんが、10代・20代を除けば、圧倒的に多数の方が結社所属だと思います。

そういえば、信治さんと私はそうじゃないですね。猫髭さんが名前を挙げていらっしゃる八田木枯さんも結社から遠い立ち位置です。お若い頃にたしか「天狼」に所属されて以降、結社との関わりがなく、現在も同人所属です。

閑話休題。結社所属か否かは、週俳にとってさほどの問題ではありませんので、このあたりも、広くネットワークが広がれば、と、これは「これからもっとがんばります」の意思表明であると同時に、週俳からの切望でもあります。

ただし、ふたつのポイントで、偏りも、あえて辞さず、という部分はあります。ひとつは若い人の寄稿。もうひとつは、結社誌・俳句総合誌等の定期刊行物への発表の機会の少ない作家。

猫髭さんの提言に反駁するかたちとなる前者は、週俳がインターネットという新しい(笑)分野のものだから、という理由ではまったくありません。ひとつには、何十年か先の俳句の景色を決めるのは、私たち年寄りではなく、若い人だから、という、やや感傷的かもしれない私個人の理由があります。

その一方で、「若けりゃいいってもんじゃない」という思いもしっかりと抱いていることも申し添えておきます。俳句世間や結社が若いというだけでチヤホヤする(「老人ホームに慰問に来た学生さん」状態)、その習性とは一線を画しつつ、週俳は週俳なりのスタイルで若い人たちに接していくつもりです。

さて、次。後者は、シンプルに、惜しいから、です。アウトプットの豊かさに、発表の機会数が追いつかないケースは多々あります。そこを週俳が少しでもカバーできれば、すんごく嬉しくなります。

 

以上、猫髭さんへのお答えになっているのかどうか、心許ないですが、前掲記事「「インターネット外部の「大人の俳句」をもっと」の後半にある具体的なアドバイスにもレスポンスしておこうと思います。

1 秀句紹介

前掲。猫髭さんの提言のうち、次の部分です。

世に隠れた秀句を「週俳」でどんどん取り上げることも、場を片寄ったものにしない工夫ではあるだろう。

コーナー企画のひとつとして、当然、考えられるものですが、当初から、この部分には手を出しませんでした。理由(私個人の中の理由ですが)、すでに在るからです。よく知られ歴史のあるサイトでは、「増殖する俳句歳時記」、それに「e船団」の「日刊この一句」。また、個人ブログで秀句を取り上げるところも多い。さらにはメールマガジンという形式で羽田野令さんの「ふわりと一句」。読者の多くは、これらのうち自分の好みのいくつかをブックマークして楽しんでいらっしゃるのではないでしょうか。週俳も、コーナーを設けて同様の記事をアップしていく選択もありますが、これまでずっと優先順位のうしろのほうでした。

ついで、句集の紹介も、週俳は積極的ではありません。「第一句集を読む」はありますが、続々と刊行される新刊・句集を取り上げることはしません(上梓されたばかりの方に、10句作品を依頼することはしています)。その理由は、ひとつにはなんとなくコーナーを設けなかったということ、そしてもうひとつは、秀句紹介と同様、その機能を果たしているサイトや個人ブログが他に存在するということもあります。

豈 Weekly」では豈同人、あるいは関悦史さんによる新刊句集の紹介記事が毎号のように掲載されています。小野裕三さんのブログも、新刊句集の紹介記事が充実しています。こうした存在のおかげで、週刊俳句は、安心して、そこに手を出さなくて済む、という部分があります。

でも、まあ、こうした「読む」記事、紹介記事は大事に考えているので、そのうち趣向を思いついて、スタートするかもしれません。

2 雑詠選・題詠選

このこと(ホトトギス雑詠選)にならって、「週刊俳句」でも「雑詠選」を、あるいは「題詠」を試みられてはいかがであろうか。目利きが必要だが、三人拠れば文殊の知恵ということもある。現在の編集子でチャレンジしてみてはいかがであろうか。

企画そのものはともかく、「現在の編集子でチャレンジしてみては」の部分は悪い御冗談(笑。

俳句作品の寄稿とは別の「投句」コーナーというのは俳句総合誌には付き物のようですが、「週刊俳句」には、どうでしょう?(註1)

投句なら皆さん、ご自分でこの人と決めた主宰の運営する結社に入って、毎月投句するほうがよほど楽しいはずです。

より広範囲の読者に週俳を身近に感じていただく、というのが、猫髭さんの提言の狙いでしょう。うまく行けば、新しい読者も獲得するでしょう。選者は、どなたか引き受けてくださるかもしれません。でも、週俳のノリじゃないよなあ、と、今のところは、思います。あくまで個人的な感想ですが。

3 連句の試み

ウラハイで本誌100号記念にとしてスタートした連句について、好意的に受け取っていただいたことは嬉しいです。

ただし、「十句を読ませる工夫が正直無頓着な俳人が多いのでは。連句をやる事で、その辺の構成の呼吸を学べるのではないか」という部分は、まったくそんなことはない、と断言しておきます。

学ぶとか役に立つとか、猫髭さんらしくもない。そんな野暮なことをおっしゃらずに、付句をどうぞ。発句はいただきましたが、それ以降は「お見限り」です。お祭りですから、たくさんの皆さんの御参加をお待ちしております。

なお、捌きである私の非力さ・いい加減さは、「ふつう捌きはしっかりした偉い先生がやるもんだ、宗匠って言うくらいだからな。捌きがボンクラな連句なんてめずらしいから、付き合ってやるか」と懐深くオツに構えていただければ幸いです。

 

最後に「続きはどうなってるんだ?」という声について。

シリーズ物で途中で数回やって続かないものがあり、楽しみに読んでいるのでシリーズ物は続けるようにお願いしますという声が句友の間から挙がった。「サバービア俳句」を展開してゆくとか、長谷川裕の旅行記とか、「第一句集を読む」とか、etc.。という声が多かったことを、追伸として。

ええっと、シリーズといいながら、もう忘れてしまうくらい「次」が出てこないものもありますが、続いているものは続いておりますので、どうぞ、気長にお待ちください。

「第一句集を読む」は、いま対象俳人と書き手を検討中。これを読んで、「よっしゃ、ワシが書いたる」という方、男女を問わず歓迎いたします。ご連絡ください。

「サバービア俳句」もそのうちきっと登場します(俳句とどう関係があるの?という企画を現在あたためています)。

一方、長谷川裕さんの旅行記は、キューバとメキシコでいちおう完結しています。

 

加えて、猫髭さんの当該記事に寄せられた imagon さんのコメントにも少し触れておきます。

<老若男女の俳人が参加する場>を週俳一本でカバーできるか?その点はちょっと懐疑的にならざるを得ません。一般雑誌が年齢やクラスによって読者層を細かく細分化するように、第二、第三の週俳が求められるのかもしれません。

この「第二、第三の週俳」という部分ですが、週俳と機能やスタンスが共通するなら、二つも三つも要りません。もし仮に、「週俳のようなウェブマガジン」を作ろうとお考えの方がいらっしゃったら、「いっしょにやりましょう」と申し上げると思います(現実には、そんなことは起こりそうにないのですが、考え方としては、そう)。まったく別のコンセプト、別のスタンスなら、もちろん立ち上げる価値がありますが、そうでなければ、いっしょにやっちゃえばいい。

ところで、つねづね、「結社や同人って、分裂することはあっても合併はしないよなあ」と不思議に思っています。同じようなことをするなら、いっしょでいいのに、と。

これからさき、週刊俳句がどこかのウェブサイトと合併することもあるかもしれません。どちらかが吸収合併するという生臭いノリではなく、発展的な合併。

現在、私を含め3名で切り盛りしていますが、これが永続するわけではなく、いずれ、この当番メンバーも変わっていくのだと思います。それが「場」であることの意味のひとつでしょう。


(註1)投句コーナーと週刊俳句について:余録

この部分は余録として聞いていただきたいのですが、俳句を「作る」ということに関しては、俳句世間全般、すでに環境は整っていると思います。俳人というのは、「作るな」と言っても作ってしまう人種のようです。

ところがその俳句が充分に読まれているかというと、そうではないわけで(ご自分の俳句にしか関心が向かない俳人のなんと多いこと!)、いわば、「作る」の過剰供給に、「読む」という消費(健全な消費行動=享受)が追いつかない。この不健全な状況は、いまさらここで言うまでもなく各所で指摘されることで、「批評の不在」もそこから来ています。


「とりあえず作ってみなさい、楽しいから」と俳句に誘われ、それからあとは「どうやれば巧く作れるか、ウケる句が作れるか」の実用情報が幅を利かせる。「読む」ことの愉楽、そして同時に困難さには、さして頭を受けることなく、五七五(含・季語)がバカスカ生み出される。

以前、「俳句を作る人の数=読む人の数」という自給自足の「俳句村」状況(村で穫れた大根を村で消費する)ということを思いましたが、それどころか、俳句の「作る人」のほうが「読む人」よりはるかに多いのではないかとさえと思います。

俳句を「読む」ことは愉しいはずなのに、その部分はなんだかやせ細ってしまったような感じなのです。

そこで「週刊俳句」です。2007年4月に始まった週俳は、ある意味、「俳句を読みましょう」運動でした。ついでに俳句について書かれたことも読んでみましょう。そして「俳句のことを話しましょう」運動です。「読む」愉楽の復興、というと大袈裟ですが、俳句を読み、語ることの豊かさに週俳が少しでも貢献できたら素晴らしい。

雑詠選・題詠選は、多くの人の「作る」ことの受け皿になる可能性はあっても、「読む」ことの豊かさにつながるとは考えにくい。それが今のところの私の感想です。

2 comments:

猫髭 さんのコメント...

天気さん、丁寧なリプライありがとうございました。

俳句世間のフリーペーパーとして「週俳」を毎週楽しみに読んでいるので、「週俳」に対して、特にここがダメというのは自分の中には余り無かったのと、句友たちの意見を聞いて、ああ、そういうことを感じないこともないなという部分を膨らました形なので、マイルドな内容になったのでしょう。シノギでは、「敵に回すと怖いけど、味方に回すともっと怖い」と言われる方なので、そちらの猫髭節を期待されていたのであれば、御期待に添えず、申し訳ない。

今週は、週末からシノギで渡米なのでその準備に追われて時間が取れないため、後日わたくしからのリプライを述べます。反論というよりも、提言を掘り下げる形になると思いますが。

  売り言葉受けてたつべくマスクとる 亀田虎童子(句集『両端』)

といった虎童子に倣って猫節も多少混ぜて(笑)。

天気 さんのコメント...

猫髭さん、どうもです。

「敵に回すと怖いけど、味方に回すともっと怖い」だなんて、2ちゃんねらーと同じですねw

展開、期待しておりまする。