2009-06-28

『俳句界』2009年7月号を読む さいばら天気

〔俳誌を読む〕
『俳句界』2009年7月号を読む

さいばら天気


特集「楸邨山脈」の系譜 p28-

楸邨門下は人材豊かで幅も広い。その特集。なので、楸邨の句業について触れる部分はほとんどなく、門下俳人による思い出話がもっぱら。

(…)「寒蕾集」という一般投句者からのハガキの束をとても大切に考え、万が一の時にはすぐ持ち出せるようにいつも手許に置かれたとか。平成五年七月にお亡くなりになる寸前まで、ハガキを一枚一枚繰る手付きをされていたと伺ったことがある。
主宰という仕事の凄さは、この引用前半部分のようなルーティンにあるのだと思う。主宰は誰もが毎月毎月、何千という投句に目を通し、選ぶ(結社によっては添削もそこに加わる)。想像するに、これほどの難行苦行もあるまい。楸邨とハガキの束のエピソードには迫力がある。

で、後半部分、臨終間際の手の動きは、迫力を超えてちょっと怖い。

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森田公司、中嶋秀子、九鬼あきゑ3氏による座談会では、最終近くで、『俳句界』編集部から「今、新しい才能を結社も総合誌も育てていかなければならないと思いますが…」と話題を振った部分が興味深い。

あえて引用はせず(立ち読みを、あ、いや、お買い求めください)、ちょっとだけ言っておくと、中嶋氏、九鬼氏は、その点について悲観的である。「新しい才能」に関しては結社では限界があり、むしろ総合誌の仕事という言い方をされている。背景は高齢化。噛み砕いて言えば、若い人は結社より総合誌の界隈に寄りつく、多くの結社では若者は皆無、ということだろう。俳句世間の高齢化は、ふだん漠然とわかってはいるが、ナマの声で聞くと、重み、あります。

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ところで、ここからは余談。「山脈」という言い方、アンドレ・ザ・ジャイアントの「人間山脈」以来、長らく聞かなかったが、俳句世間ではいくつかの山脈があることを近年知った。「子規山脈」「虚子山脈」、そして今回の「楸邨山脈」。ちょっとgoogle(検索)してみると、「誓子山脈」という言い方もヒットした(ちなみに「草田男山脈」はヒット無し)。

で、何が言いたいのかというと、この「山脈」という言い方、みなさん、普通に口にされているようですが、われわれ一般人からすると「引いてしまう」くらいに大仰で、かなり凄いです。


魅惑の俳人たちvol.19 篠原鳳作 p93-

30歳で夭折。俳句を作った時期はたった7年間なのですね。恥ずかしながら「しんしんと肺碧きまで海のたび」しかソラで言えませんが、その一句のみで篠原鳳作の名は知っているというのも、それはそれで興味深い。

ちなみに、前に企図された自選句集に、この「しんしんと肺碧きまで海のたび」は選ばれていないという(前田霧人「鳳作私見」)。いわゆる「代表作」への執着を良しとせず、自分が未来につくる句のほうに神経とエネルギーを向けたのだと想像できる(そういう人のほうが早く死んでしまうという世の中の皮肉)。

大学卒業後、沖縄県宮古中学校赴任のとき、吉岡禅寺洞の助言がおもしろい。曰く、「思い切つてやりたまへ(略)沖縄や台湾みたいな所は季と云ふものにさうとらはれる必要はない」(川名大「沖縄の青い詩人・篠原鳳作」より孫引き・出典の記載見当たらず)。

これを読むと、鳳作の無季俳句は他の前衛俳句作家と背景を異にするようにも思えてくるが、そうでもなく、近代的な人工物を対照とするべき「自然」と捉える「機械諷詠」も過渡的に提唱、同時代の空気を、他の作家と共に呼吸していたことが、前掲・川名大氏の記事から窺い知れる。


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1 comments:

tenki さんのコメント...


「新しい才能」に関しては結社では限界があり、むしろ結社の仕事という言い方をされている。


「新しい才能」に関しては結社では限界があり、むしろ総合誌の仕事という言い方をされている。

2009-6-28 8:40 訂正済み