2012-06-10

【週俳5月の俳句を読む】広渡敬雄

【週俳5月の俳句を読む】
感受性を磨く

広渡敬雄


公魚のからだの線を水がゆく   佐藤文香

公魚漁と言えば、霞ヶ浦の帆曳き網漁法や諏訪湖、赤城大沼の穴釣りを思う。
志賀直哉の小説「焚火」の舞台となった赤城大沼の「青木屋旅館」の女将が、福島原発のセシウム騒動で公魚釣りがぱったり来なくなったと嘆いているテレビ番組を最近見て同情の念を禁じ得なかった。
閑話休題。
公魚には、背面の淡青色と腹面の鮮やかな銀白色の間に淡黒色の横帯があるが、この句のからだの線とはそのことを言っているのだろう。
水が温んだ中、公魚が流線形の美しくしなやかな動きで泳ぎ去る。
作者はそれを水を主体として詠んでいる。
その水に掌を浸しているかも知れない作者の春の到来への喜びが、そのまま水を通して公魚に伝わるような躍動感がある。


悪を持つべし白靴の汚れほど   沼田真知栖

所属結社「沖」の先輩俳人坂巻純子(昭和58年度・俳人協会新人賞受賞作家、昭和11年生~平成8年没)は、20年程前、入会間もない私に「毒のない俳句はつまらない」と言い諭した。
この句の「悪」も通常の意味の「悪い」ではなく、悪太郎とか悪源太で使われる「強い」「猛々しい」と言う意味も含み、坂巻氏の言う「毒」とも解したい。
昔は女性に限らず、男性も白靴を履き、ダンディーの最たるものだった。
わが師能村登四郎も愛用していたし、西東三鬼も。
白靴は他の色と異なりわずかの汚れも目立つ。
「詩人」としてある意味での潔癖性と純粋な感受性を維持し続けようとの作者の強い矜持の句として鑑賞したい。


第264号
竹岡一郎 比良坂變 153句 ≫読む
第265号
佐藤文香 雉と花烏賊 10句 ≫読む
第266号
沼田真知栖 存在 10句 ≫読む


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