2012-08-12

【週俳7月の俳句を読む】茫々の茂り 菊田一平

【週俳7月の俳句を読む】
茫々の茂り
菊田一平


下北澤驛前食品市場    栗山 心

改札にスパイス匂ふ夕薄暑


下北澤駅前の夕暮れ時。小田急沿線のこの時間帯に余りなじみはないけれど「スパイス匂ふ」にとても身近なものを感じてわくわくする。多分カレーの香辛料だろうなと一方的に思いながら、ふと句の構造からまだお会いしたことない栗山さんの人柄を想像してみた。この句は「スパイス」と「匂ふ」を入れ替えただけでふたつの作り方が出来る。

  A.改札にスパイス匂ふ夕薄暑
  B.改札に匂ふスパイス夕薄暑

Aは栗山さんの詠んだ一物仕立て。Bは二物衝撃。並べて比べていると、Aにはその土地に対する愛着のようなものが感じられる。多分栗山さんはこの下北澤あたりにお住みになり、それ相当の愛着があるんだろうな。年にほんの数回、落語を聞きにいくだけのわたしのようなよそ者だときっとBの二物衝撃。どうしてもどきどき感が先にたってしまう。


光(かげ)  小池康生

京都にもすこし慣れたるすべりひゆ

「光」を「かげ」と読ませるタイトルとこの句を読みながら唐突に歌手の藤圭子を思い浮かべた。「京都育ちが博多に慣れて~」と歌った藤圭子。そう、宇多田ヒカルのお母さんの藤圭子だ。宇多田ヒカルがはなばなしくデビューしたとき、あの幸薄い歌詞を淡々と無表情に歌っていた藤圭子の娘だとはにわかには信じられなかった。歌も、振りも、乗りもまったく対照的だと思われた。

話は飛ぶけれど、好きな作家に沢木耕太郎さんがいる。『一瞬の夏』や『テルロの決算』『深夜特急』などの優れたルポルタージュをいくつも書いているが、なかでもその初期のころに書いた『若き実力者たち』の、小沢征爾や市川海老蔵、唐十郎、山田洋次などの実像に迫っていく人物ノンフィクションには目を見張った。その沢木さんが一時期藤圭子に密着して、その光と影を書こうとしていたと聞いたことがあった。ずっと未完のままだけれどどうなっているのだろう。宇多田ヒカルの誕生もあいまって、どう彼の筆に成ったのか読んでみたい気がする。


水を飲む   生駒大祐

噴水の止む間に見ゆる木立かな

亡くなった鈴木真砂女さんは、「朝からステーキを食べるのもわるくない」といっていたけれど、あの五尺に満たない38キロの体でほんと大変な健啖家だった。伊豆の三島に蛍見にご一緒したとき、名物のうな重をぺろりと平らげてまわりのひとたちを啞然とさせたあのときは確か87歳。梅原龍三郎も大皿に盛ったうなぎの蒲焼を、箸を使わず「獅子食い」と称して覆い被さるようにして食べたらしい。斉藤茂吉にいたっては、ご子息の見合いの席で、相手の女性が手をつけないでいるうな重を見て、「食べないならそれもいただく」と遠慮会釈なく食べてしまったという。いやはや長生きするひとは常人とはどこか違う。そう考えるとその作品もパワフルで勢いがある。

と、前振りが長くなってしまったが、最近ドクターストップで菜食主義に変じた草食系のわたしとしては、パワフルさが前面に出た作品よりも生駒さんの句のような繊細な表現にとても惹かれる。噴水が止んで向こうの木立が見えると同時になおも空中に浮遊している水の粒にプリズムのように日の光があたっているのだ。この十七文字の奥に隠れた繊細さがとてもいい。


もようがえ  御中虫

すぺーすすぺーすだいじなものはなにもない
せんぞのはかはたぶんもえないごみだろう


この8月に気仙沼に帰省した。行くたびに瓦礫の山が小さくなり、丁寧に種わけされて片付いてきている。瓦礫が山になっていたときはあらゆる生活物の腐敗した匂いと港町特有の魚の腐臭、さらにはそれに続く蝿の大量発生がひどかったが今はそれも嘘のように消えた。地元のひとたちやボランティアのひとたちの尽力のなみなみならぬおかげと感謝している。

生家があった集落は以前の状態がどんなだったかを思い描くのが困難なくらいに茫々の茂りとなっている。それでも夏蓬を分け入ると、家々のコンクリートの土台がむき出しのまま残っている。このあたりが茶の間、このあたりが居間、廊下をへだてたここが祖母の寝起きしていた仏間。風呂場の手前は母が食事をつくった台所、小さく離れた土台は父の書斎、と記憶が生々しくよみがえる。本当に大事なものはなんだったんだろう。ここが一番安全だとばかりに家を離れなかったり、位牌や通帳を取りに引き返したために波にまれて何人ものひとたちが亡くなった。一面の茂りとその上に広がる夏の空を見ながら、かつて確実にあった営みの儚さを思って切なくなってしまった。


第271号
栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
小池康生 光(かげ) 10句  ≫読む
第275号
御中虫 もようがえ 10句  ≫読む

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