2012-11-11

【週俳10月の俳句を読む】石原明

【週俳10月の俳句を読む】
「忌日くん」は俳句の夢を見ない

石原 明



「をととひの人体」10句は俳句自動生成ロボット「忌日くん」の作品である。末尾に「三島ゆかり 制作/西原天気 謹撰」とある。つまり三島氏が俳句自動生成ロボットを使って作成した句群から西原氏が10句選んだわけだ。だからと言ってこれらの句を特別視する必要はないのではないか。自動生成ロボットという言葉が誤解を与えかねない強さを持っていることは認めるが、作者は三島氏であって自動生成ロボットはツールに過ぎないのだから。

つまり普通は生身の俳人の頭の中で行われている作句のプロセスを外に出したに過ぎないからだ。違うのはプログラムの設定条件によっては、人間ならば経験上あらかじめ排除しているものも大量の俳句としてアウトプットすることであろう。(西原氏がどれ程の句を没にしたかは不明だが)
とは言え一度作った句を削除したりすることも俳人が普通に行っていることではないのか。多作多捨と言うではないか。

三島氏は製作者と言っているが、この10句の「作者」はプログラムを組みセレクトした言葉をインプットした三島氏であることは自明であろう。「忌日くん」が作者ではない。たとえば陶芸における窯変のように作者が予想しなかった句がアウトプットされたとしても、それもプログラムとインプットされた語彙の範疇にあるからだ。


そういう観点で読み返しているうちに言葉の裏側に潜んでいるプログラムに興味も湧いてくる。使用されている言語は何か。何行くらいのプログラムなのか。どういうコマンドが記述されているのか。等々。つまりこれらの句を鑑賞するにはプログラム上に表れている三島氏の思考パターンというか癖といったものを推測することが必要であろう。(読み返すうちにある種の単調さ、倦怠感を感じたのもプログラムへと関心を向かわせたのかもしれない。)

たとえば、
・すべて文語・歴史的仮名遣いである。
・すべて上五中七下五の定型で破調句はない。当然自由律もない。
・三音+「忌」の形は助詞「の」が付いてすべて上五にある。その場合下五はすべて切れ字「かな」で終わっている。
・四音+「忌」はすべて下五にある。
といった規則性に原因がある。「テレビ忌」「半分忌」といった奇抜な言葉に目が行ってしまいがちだが、「半分忌」などを季語と見なせば典型的な有季定型句であろう。(御中虫氏が「関揺れる」を季語だと宣言した今となっては「半分忌」を季語と見なしても差支えないだろう。)

これらがこのプログラムに見られる三島氏の個性である。たとえば破調の句は入れないという選択はそれ自体個性の表れと言えるだろう。もちろん別の自動俳句生成ロボットでは別の個性が表れるであろうが。先月の「るふらんくん」では既存の有名句が金型としてあったように。(私的には「るふらんくん」の方がリフレインの使用や句またがりなど変化があって好みである。)

さてこうしてみると「忌日くん」のプログラムは規則性に変化があまりない点で、それ程複雑なプログラムではなさそうな気もする。となると作品の個性をより明確化するものはどのような言葉をセレクトするかに比重がかかってくる。広辞苑を丸ごとインプットして自動的に言葉が選択されるといった処理が組み込まれているようには見えないからだ。従って語彙は恣意的に選んでもその恣意性にもまた作者の意志が反映しているはずだからだ。たとえば「須田町」「練馬」といった地名はランダムに選ばれたとは思えない。

まとめると俳句自動生成ロボットはあくまでツールであり、プログラムを制作し語彙を選択したものは「作者」である。もちろんこの二つを別人が行った場合はどちらが作者かを決定するのは面倒であるが。

以下は余談だが、プログラムを作成し語彙を選択したのが同一人でそれを「作者」としたならば、たとえば十年後にさらに進化を遂げた俳句自動作成ロボットというツールを使った人が角川俳句賞を獲るということもあり得るだろうか。そもそも本人が言わなければ生身の人間が作ったのかロボットなのかどうやって見分けるのか。それはアンフェアな行為と言えるのか。

句会もそれぞれが作ったロボットの端末を持ち寄って席題が出たらすぐに情報をインプットしてたちどころに句を選択し提出する。一杯やりながら「あなたのロボットは優秀だねえ」「いやいやあなたのロボットの方がユニークですよ」などと言い合うなんてこともありうるのだろうか。ネット上に自動生成ロボットのアプリが多数存在して気楽に面白そうなものをダウンロードして遊ぶなんてことが普通になっているかもしれない。等々。などと妄想が膨らんでしまう。

大分話が脱線してしまった。

たましひの須田町眠る半分忌 忌日くん

この10句で一番目につくのは忌とは結びつきそうもない言葉と忌の結びつきであろう。「テレビ忌」「半分忌」他人忌」等々。思うにこのような意図は「忌」というリアルな世界を重く背負った季語から意味を軽くする、極端に言えば無意味化することではないか。

とすればこれらの中では「半分忌」がその意図をもっとも示していると思う。「テレビ忌」はテレビの発明者、「電車忌」はJR西日本の事故、「カレー忌」は新宿中村屋のチャンドラ・ボースなどにこじつけて解釈することも可能であろう。逆に「幻覚忌」となると何でもありになってしまうのではないか。
ということで10句の中ではこの句が一番面白かった。

「たましひ」という言葉は重い言葉だし、地名というものはその来歴を背負ったこれも重い言葉だが、続く「眠る」「半分忌」という言葉で重さが薄れ、この一句を一義的な意味から文学空間へ解放しているようだ。「須田町」は「神田須田町」のことであろうがオフィス街の街であり同時に飲食店も多い。ただし新宿などと違って夜はそれ程遅くない街である。「須田町」が「眠る」、「たましひ」の「半分忌」である。深夜の人気のない眠りについた須田町では魂も半分すでに忌なのであろう。


第285号 2012年10月7日
忌日くん をととひの人体 10句 ≫読む
第286号 2012年10月14日
佐藤りえ 愉快な人 10句 ≫読む
手銭 誠 晩秋の机 10句 ≫読む
第287号 2012年10月21日
草深昌子 露の間 10句 ≫読む
第288号 2012年10月28日
飯島士朗 耳の穴 10句  ≫読む
第284号 2012年9月30日
西原天気 俳風昆虫記〔夏の思ひ出篇〕 99句
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2 comments:

花森こま さんのコメント...

俳句ロボットという発想はずいぶん前から言われてきて、実際にあるようです。俳人の頭の構造は、たとえば吟行などでは見る端から句を作っていくわけで、まさにロボット的ですね。熟考という考え方は、俳句にはいらないのでは、なんて思ったり。面白く読ませていただいたのに、つまらないコメントしか出来なくて恥ずかしいです(苦笑。

大雅 さんのコメント...

面白いですね。俳句ロボット。
でも、あくまでも「○○忌というものを大量に生み出し俳句にする」というアイデアは、プログラマーさんのもの。奥が深いです。

いつかAIに人権が認められる日が来たら、著作権問題に発展するのかな、なんて思いました。