2012-12-16

「京大マッハ 第二芸術の逆襲」見聞録 飯島雄太郞

「京大マッハ 第二芸術の逆襲」見聞録

飯島雄太郞

11月24日京都大学人文研にて公開句会「東京マッハ」番外篇「京大マッハ 第二芸術の逆襲」が行われた。

ちょうどこの時期京大は学園祭のシーズン、屋台やらビラ配りやらを掻き分けて会場の教室に着くと、すでに大半の席が埋まっている。落ち着いているのだけど、どこかお祭りの華やぎも残している空気。

係の人が始まるまでに選句して下さい、と言って30個の句が印刷された紙を渡してくれる。

俳句を読むのは存外時間がかかる、初めての逆選に戸惑いながら選をまとめていると、ダースベイダーのテーマとともに、東京マッハの面々が入ってきた。

今回のマッハのメンバーは、米光一成さん、長嶋有さん、堀本裕樹さん、千野帽子さん、加えて句会は初参加という藤野可織さん。

句会が始まる前に千野さんから「東京マッハ初体験の人—」「俳句経験がある人—」と質問が。どちらも会場の四割程度が挙手していた印象。

ちょこちょこ句会の説明を挟みながら披講が進んでいく。逆選について、自分の句が採られたときの嬉しさについて、などなど。

披講が進むにつれ、一句作者が誰かバレてしまう。「25.冬天や蝶の形の蝶番」に長嶋さん以外の選が集中したのだ。ここで、長嶋さんから「作者は演技をしろ」とのコメントが。なんでも、作者がとぼけて、自分の句の改作のアドバイスを聞き出すこともあるとか。

全体を通して印象に残ったのは、句会ってどんなのものか、会場の人に広めようとするサービス精神だ。お客さんがどんな人かによって話す内容変わるんだから、と冗談めかして長嶋さんが言っていたのをふっと思いだす。



各句の選評を、ピックアップして見て行こう。

25. 冬天や蝶の形の蝶番 堀本特選 藤野特選 千野 米光

堀本さん、藤野さんの特選、千野さん、米光さんの並選で六点が入った。

「蝶という言葉を重ねており、凍蝶を連想させる」とは堀本さんの特選の弁。藤野さんが字面の美しさを言えば、千野さんからは「これは当たり前俳句、言葉のイメージを更新するような句だ」という賛辞が入る。各氏絶賛の模様。

それに対して、作者バレした長嶋さん「天と蝶は付きすぎでは?」と疑義を呈するも、それが逆にいい。季語が動かない、と、すかさずフォローが入る。

確かに、歯切れの良く、美しい句だ。いたずらに何かを言おうとしていないのが、冬のイメージにも合っていると思う。

2.沢庵を律儀に齧る女かな 千野 堀本 米光

まず、千野さんがこの沢庵は丸ごとなのか、スライスなのか、と言って会場を笑わせれば、米光さんからは沢庵観が変わる句だ、シンコペーションで噛んでいるに違いないと被せる。

堀本さんはこういう女性もいい、と句を擁護する。それに対して藤野さんが「律儀」の内に自意識が見える、こいつは嫌な女だ、と一句を腐す。会場は沢庵観の違いから女性観の違いへと話題がシフトしている。

そこですかさず長嶋さんが「沢庵噛んでるだけじゃん。」と合の手を入れる。話題がとんとん拍子に変わっていくのが小気味よい。と、ここで長嶋さんから作者の名乗り。

10. 蛮声を文字に起こして着ぶくれぬ 長嶋特選 堀本

「蛮」はこの日の兼題でもあった。題を指定した長嶋さん曰く、今日のゲストに招かれた藤野可織さんの新刊『パトロネ』のイメージが蛮なんだとか。

さて、長嶋さんの特選の弁。文字起こしは、傍目からは地味な作業、でも作業をしている人の耳の中では蛮声が響いている。その対比が面白い、加えて文字起こしという題材の新鮮さが指摘されていた。堀本さんからは「着ぶくれ」という季語の取り合わせがよい、俳味がある、との意見。

一方千野さんは蛮声と文字の距離感についていけない、と返す。とはいえ、その対比が長嶋さんの特選理由でもあった訳である。会場からは文字にされると、蛮声が着ぶくれた感じがする、との意見も。みんな、好き勝手なことを言っている。私自身は着ぶくれ、という言葉のうちに文字起こしの徒労感が出ていて、共感できる句でした。

作者は藤野可織さん。

13. 巨き絵の次も大きな絵や冬日 千野 米光 藤野

千野さん「美術館の中で人が不思議な動きをしている。で、最後に冬日に辿り着く。」と一句全体に時間の経過を読み込む。米光さんは「絵に圧倒されている。冬日で締まった感じがする。」藤野さん「巨の字がしっくりくる。巨と大は大きさの違いを表している。」と。ここで千野さんが藤野さんに可織ちゃんと呼びかける。それに長嶋さんが食らいつく、「千野さんが可織ちゃんって言った!」。こういうのも座談ならではの楽しみだ。

さて、この句に関しては議論が割れた。

第一は、季語の選択に関して。上述の採った人の弁に対して、堀本さんから季語が動くとの意見。季語以外の言葉に季感がないと季語が動く、俳人はどうしても一句の中の言葉のつながりを重視してしまう、と。

それに対して千野さんから、季語以外の言葉が面白いならそれでいいじゃん、という反論が出る。冬日が動くというのなら、春日、夏日、秋日と季語を変えて連作化して見たらどうか、と。また、室内と室外の取り合わせの可否についても取り沙汰された。千野さん曰く室内にいても室外のことを考えることもあるではないか、と。そこに米光さんが美術館は採光設計なのだから、不自然な取り合わせではない、と擁護する。この句に関しては句会中でもっとも議論が白熱した。

全体に自由に意見を交わすことで、俳句の読みの前提を突き崩そうとする意図を感じる。この奔放さこそがマッハ句会の持ち味なのだろう。



と、ここで簡単に千野氏の新著『俳句いきなり入門』(NHK出版新書 2012)に触れておきたい。

あらかじめ注意しておきたいのが本書の目標があくまでも句会に出ることにあるということである。実際本書のまえがきには「俳句の醍醐味は句会にある。「俳句をやるのは句会のため、句会をやるのは飲み会のため」と書いてある。

大胆な言い方ではあるが、説得力を感じる。私自身高校時代に句会って楽しいと思ったのをきっかけに俳句にのめりこんでいったからだ。

と同時に、句会を最終目標に設定することが、本書の俳句観を一句単位の一発芸としてのそれ、に限定してもいるだろう。

本文中では人間探求派や自由律のいくつかの句が「ポエム系」として斥けられているが、彼らの句を一句単位ではなく、句集単位で見たら見え方が変わってくる、ということもあるように思われる。

そして、本書に一貫しているのは、俳句は自分の「外」にある言葉によって書かれるという認識である。

「俳句は文学である、自己を表現するものである」という国語の授業的な思いこみは、「自分」というちっぽけな器のなかに自分の俳句を囲い込んでしまう枷にしかならない。「自分」の外にある言葉は無限なのに。(62頁)
言葉は自分の「外」にあるという認識から、自分の意図よりも、作品の完成度を優先する「言語論的転回」が果たされると、説かれる。その背後にあるのは、大多数の俳人が、自身のバイオグラフィーもコミで読んでもらえるような、有名人ではない、という認識だ。

「26. 十秒眠る師走のヒノデ食堂で」という句の選評の際、会場から「ヒノデ食堂」とは漫画「あさりちゃん」に出てくる食堂ではないか、との意見があった。

それに対して、作者の千野さんは「違う。」と。言葉が自分の「外」にあるとはこのように作者には思いがけない意味を言葉が持ってしまうことでもあるだろう。意図していないにせよ「あさりちゃん」にまで繫がるというのは、「ヒノデ食堂」という言葉がそれだけの力を持っているということでもある。

また、言葉が自分の「外」にあるという認識は、「22. 都(東京都に理論上限らず)と」における引用や、「4. 赤マント帝都の孤児にラヂヲの寄付」のアナグラム(「ラヂヲの寄付」は今回のゲスト藤野可織さんのアナグラム)といった技法にも通じている。

ところで今回の京大マッハには第二芸術の復讐というサブタイトルがつけられている。

周知のように、第二芸術とは、京大の名誉教授でもある桑原武夫が俳句を近代芸術ではない、として、俳句に下した診断である。第二芸術論は「俳句いきなり入門」においては次のように扱われている。
私が桑原武夫の当該文章に接したのは、句会のおもしろさにずぶずぶハマっていた、俳句を始めて三か月程度のころ。「俳句は句会のため、句会は飲み会のため」と考える私は、もう昂揚して昂揚して、「桑原さん、俳句のおもしろいところをよくぞご指摘くださいました!」な気分だったし今もそう。(千野 59頁)
「自己表現」としての俳句を否定する氏は第二芸術論にもたじろがない。むしろ「句会のための俳句」という自らの俳句観を補強するものとして肯定してみせる。
そのうえで私は俳句の、「近代芸術とは違う部分」が好きだったりする。〈第二芸術〉ってのはうまいこと言ったなあ、Art 2.0(笑)ってことでしょ。

句会の場では無名じゃなきゃゲームが成立しない。清記のなかで名人の句と素人の句の区別がつかないのは、むしろ必要不可欠な条件なのだ。(千野 60頁)
興味深いのはこの第二芸術論の受容が、丁寧に読むことの重視へと繫がっている点である。続く章は「ふたたび「読み」が大事な理由」と題されている。うまく読める人は上達が早いと書いた上で、氏は次のように書く。
俳句では自分より言葉の方が偉い。この点でお笑いに似ている。芸人がどんなに素敵な「自我」を抱えていたとしても、私たちは彼の芸を通じてしかその自我の姿を垣間見ることはできないし、芸が素敵なら彼の「自我」とは無関係に彼は素敵な芸人なのだ。

 言葉を無自覚に自己都合で読んだり使ったりすることはみっともない。ルールを破るなら破るなりの覚悟が必要だ。(千野 61頁)
言葉が自分の「外」にあるからこそ、丁寧に読むことの重要性が説かれることになる。その実践がマッハ句会であるとも言うことが出来るだろう。それはまた次の文章に見られるような桑原武夫のものいいについての意見にも通じているようにも思われる。
しかし、ものをいうことを遠慮するなといっても、それは人に通じないようなことを、勝手気ままに喋り散らしてよいということでは、もちろんない。自分の思うことを率直に、しかし筋道を立てて他人に分かるように発言することが必要なのである。そうすることは他人に対する社会的義務である。そのためには各人が、ものいいが上手になるように努力しなければならない。 「ものいいについて」『第二芸術』(講談社学術文庫 1976 57頁)
自分の思っていることは簡単には人には伝わらない。だからこそ自分の「外」にある言葉を用い、時には演技や嘘を用いながら表現することになる。(『俳句いきなり入門』の主張には背くかもしれないが、私は俳句を作ることのうちにもそういった側面はあると考えている。)楽しくやりつつも、きっちりと話すことは話していく。そこにとても魅力的な連衆のあり方を感じた。



出句一覧

1.まつげひとつ塗り込む糊や流行風邪   藤野可織

2.沢庵を律儀に齧る女かな   長嶋有

3.美術館いけにえ隠し銀杏散る   米光一成

4.赤マント帝都の孤兒にラヂヲの寄付   千野帽子

5.明け方の川辺香りぬ鵙の贄   堀本裕樹

6.コンパスの足取りでゆけ冬の恋   長嶋有

7.印象派腹は全員減っている   千野帽子

8.虫籠の虫生きている生きてる   米光一成

9.寒晴や下敷きに髪逆立てて   堀本裕樹

10.蛮声を文字に起こして着ぶくれぬ   藤野可織

11.鴨そぼろ南蛮そばを茶髪と食う   米光一成

12.小春日を蛮カラさんが逍遥す   千野帽子

13.巨き絵の次も大きな絵や冬日   長嶋有

14.来迎図のみなにマフラー配りたし   藤野可織

15.霜夜かなゼムクリップの銀の音   堀本裕樹

16.りんご切るしおりのひもで八等分   藤野可織

17.この人を見よ 人恋ひつ鰤(ぶり)を煮つ   千野帽子

18.忘れてた夢がたくさん鰯雲   米光一成

19.京大に名乗り響けば時雨かな   堀本裕樹

20.充電式電池の白さ暮易し   長嶋有

21.冴えきって『虚航船団』第一章   千野帽子

22.都(東京都に理論上限らず)と   米光一成

23.蛮カラな猫の尾立てり今朝の冬   堀本裕樹

24.美術館寒しますます卑猥である   藤野可織

25.冬天や蝶の形の蝶番   長嶋有

26.十秒眠る師走のヒノデ食堂で   千野帽子

27.鴨川に螺鈿のごとき冬日かな   堀本裕樹

28.あんこうやテレビはきのう割れました   藤野可織

29.コンパスの円よりまるく冬眠す   米光一成

30.蛮勇持て板チョコも持て冬は恋   長嶋有




「ビーガタスエッコヒダリキキ 2012.11.26〔Mon〕http://d.hatena.ne.jp/hiloco/20121126」を参考にしました。記して感謝します。

2 comments:

千野 帽子 さんのコメント...

叮嚀なレヴューありがとうございます。
〈ヒノデ食堂〉について来場者のかたにご教示いただいたのは、『あさりちゃん』ではなく『じゃりン子チエ』だったと記憶しております(両作品にその名前が出てくるかどうかはまだ確認しておりません)。

飯島雄太郎 さんのコメント...

千野帽子さま

コメントありがとうございます。確認したところ、確かに『じゃりん子チエ』だったようです。ご指摘、ありがとうございました。