2014-11-23

【2014落選展を読む】舞ふて舞ふて?舞うてまだまだ落選展(前編)  山田露結

【2014落選展を読む】
舞ふて舞ふて?舞うてまだまだ落選展(前編)

山田露結



≫ 2014落選展



1.霾のグリエ  赤野四羽

姥桜花見するひとをみてゐる

「姥桜」「花見」は季重なりではないでしょうか。

霾のグリエに春闇ジュレ添えて

「霾」「春闇」も季重なりですよね。

箱庭にたんぽぽひとつ咲きにけり

「箱庭」と「たんぽぽ」は季違い。

雑踏に夜の桜の涼やけき

「涼やけき」という言い方、するんでしょうか。わかりません。

山上に蜘蛛の子散りて春疾風

「蜘蛛の子」と「春疾風」も季違い。

涅槃吹黄色いふうせん西より来

「涅槃吹」は「涅槃西風」のことですから「西より来」はダメ押し。

修羅場みて胡瓜涼しや絵金祭

「胡瓜涼し」は、まあ、いいとして「絵金祭」は七月の行事ですから準季語と考えていいと思います。

瑠璃蜥蜴虹の筆先尻で曳き

「瑠璃蜥蜴」、「虹」・・・。

冬鵙や抱き上げし子に脈打てり

「子に」ではなく「子の」でしょうか。生きているのだから当然、脈を打っています。「抱き上げし子の脈はやし」と言いたかったのかもしれません。

みすがらに老人を待つ鯨かな

難解です。

鼻欠けた狛に影揺る初燈

これも「狛に」でなく「狛の」なのかもしれません。


2.こゑ  生駒大祐

夏雨のあかるさが木に行き渡る

「夏の雨」を「夏雨」と約めることがいけないとは思いませんが、仮に掲句を「あかるさの木に行き渡る夏の雨」としてみても句意にそれほど大きな影響はないように思うのです。
ちなみに「夏雨」でググると中国広東省出身の「夏雨(シア・ユー)」という俳優がトップに出てきます。「夏雨」を人名とする読みが発生してしまうのは、それはそれで楽しいのですが、約めるときは注意が必要かもしれません。

人呼ばふやうに木を呼ぶ涼しさよ

後に「木を呼ぶ」とありますから、上五も「人を呼ぶ」と語調を揃えたほうがいいのではないかと思ったのですが。

風鈴の短冊に川流れをり

「ただごと俳句」と「あるある俳句」との違いは何かということを考えたり。

初夏の口笛で呼ぶ言葉たち

羊飼いが羊を集める感じでしょうか。

こゑと手といづれやさしき冰水

上五に「こゑと手と」とありますから、この「いづれやさしき」には「いづれ(も)やさしき」と、(も)が省略されていると思うのですが、(も)を省略してしまうと「やがて」という意味も成立してしまいます。これも注意が必要かもしれません。

夏の木のたふれし日差ありにけり

一読、夏の木が倒れている姿を「たふれし日差」と言い止めたのかな、と思ったのですが、そうではなくて夏の木が倒れたことで明るくなったと言っているんですね。

雲甘く嶺を隠しぬ蝸牛

綿菓子を連想しましたが。

真桑瓜みづのかたちをしてゐたり

そういえば、人間も「みづのかたち」ですよね。

輪の如き一日が過ぎ烏瓜

「輪のごとき一日」とは?「棒のごときもの」で貫いたりとか。

色町の音流れゆく秋の川

色町の音。ジャンジャン横丁はかつて、ジャンジャン鳴っていたそうですが。

製図室ひねもす秋の線引かる

「秋の線」?春に引いたら「春の線」?

木犀の錆び急ぐ夜を何とせむ

木犀は錆びないと思います。

鳥のやうに生きて林檎のしぼりみづ

「りんごジュース」ではいけないのでしょうか。

世の中や歩けば蕪とすれちがふ

「世の中や」と上五に持って来れば、あとは何を言ってもつながります。「歩けば蕪とすれちがふ」は面白いと思いますが。

定まりし言葉動かず桜貝

桜貝は動くと思います。

のぞまれて橋となる木々春のくれ

「のぞまれて肉となる豚」みたいで悲しいです。

うたごゑの聞こえてとほき彼岸かな

「〇〇して→遠き→〇〇かな」は類型があると思います。

俯せに水は流れて鳥曇

水の「俯せ」「仰向け」は類想があると思います。

富士低くたやすく春日あたりけり

思い描くイメージを言葉がうまく再現してくれなくて作者が苦しんでいる、という印象を持ちましたが、どうでしょうか。


3.線路  上田信治

てふてふや中の汚れて白い壺

中七の「汚れて」の「て」で軽く切れが生じると思うんですけど、上五で「てふてふや」と切ってありますからリズムがぎこちない感じがします。「汚」「白」も気になります。いっそ「内側汚れたる花瓶」とでもしてしまえばスッキリしますが、作者はカチッとした言い方を好まないのかもしれません。

春の日に見下ろす長い線路かな

長いものをあえて「長い」と言うところに春の日のけだるさがある、と見るか。

霞みつつ岬はのびてあかるさよ

岬もまた「のびて」いるものです。
「あかるさ」俳句も、よく見かけるような気がします。

桜さく山をぼんやり山にゐる

春は「ぼんやり」するものですよね。

餃子屋の夕日の窓に花惜しむ

「餃子屋」が動きたがっています。

鯉のぼりの影ながながと動きけり

鯉のぼりの影はながながと動くものですよね。

かしはもち天気予報は雷雨とも

このかしわもちの佇まいは好きです。

ゆふぞらの糸をのぼりて蜘蛛の肢

「ゆふぞらの糸」がいいと思いました。

晩夏の蝶いろいろ一つづつ来るよ

「円きものいろいろ柚子もその一つ」(高野素十)を思いました。

朝顔のひらいて屋根のないところ

屋外を「屋根のないところ」と。あたりまえのことを別の言い方であたりまえに言うことによって生じる奇妙な脱力感。

状差に秋の団扇があつて部屋

「あたりまえ体操」(COWCOW)的なオチとしての「部屋」の提示。前出の「中の汚れて→白い壺」、「ひらいて→屋根のないところ」などの提示の仕方と似た形です。

草を踏む犬のはだしも秋めくと

「犬のはだし」は「犬の裸足」でしょうか。

靴べらの握りが冬の犬の顔

こういう靴べら、見たことがあるような気がしますが、「冬」の犬でいいのでしょうか。季語が動く、言葉が動く、ということについては、やはり、動かない方が好ましい、と私は考えます。

北風の荒れてゐる日の水たまり

北風は荒れやすいものだと思います。

江ノ島のコップの水や麗らかに

「江ノ島」が効いていると思います。この「江ノ島」は動かないと思います。

クロッカス団地一棟いま無音

「無音」と言わずに「無音」を言って欲しいところです。

犬を見るかしこい犬や夏の庭

「人を見る」ならかしこい感じがします。

白布のうへ四つの同じ夏料理

模様のちがふ皿二つ。

冷蔵庫に西日のさしてゐたりけり

あえて狙う季重なり?

秋の山から蠅が来て部屋に入る

嘘でしょう。

月今宵みづの出てゐる水飲み場

あたりまえの念押し?

やすみなく暮れゆく空や毛の帽子

「毛の帽子」は毛糸帽のことでしょうか。ロシア帽のことでしょうか。それともウィッグのことでしょうか。

その年は二月に二回雪が降り

この「ただごと」は面白いと思います。「二月」が主ですから季重なりになっていないと思います。二回雪が降ったことを背景として、なにか、その年にあった特別な出来事を思い出しているのかもしれません。


4.魂の話  大中博篤

北風や目をつむりつつピアノ焼く

「焼く」に少し驚きました。

休日のサラリーマンの手首かな

無用の用としての「手首」の提示。面白いと思いました。無季。

〈山を焼く〉僕が傷つかないように

勇気を出して、もっと焼いてはいけないものを焼くべきです。

狼に真昼の匂い   雨激し

「真昼の匂い」。密通でしょうか。

風花や  犬を喰ふ犬見ておりぬ

見ていないで追い払ってください。

はつなつの銃の全き冷たさよ

金属の冷たさ、温さ、は着想の類似があると思います。

花芒 人美しく滅ぶベし

まあ、理想としてはそうですが。

子守柿 戦艦一日掛け沈む

「戦艦一日掛け沈む」の把握は面白いと思います。

また名前呼ばれて冬の商店街

「博篤君!」とか。


5.最初の雨 小池康生

良性か悪性なるか小鳥来る       

「震災」を詠むことの難しさについて、現実が表現力を凌駕してしまっているという意味のことを言っている記事に、なるほどと思ったことがあります。この「現実が表現力を凌駕してしまっている」状態というのは、たとえば重い「病」を詠むときにも当てはまるのかもしれない、ということをぼんやり思いながら読んだ50句でした。

菊を見て菊のひかりを見て菊を     

「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」(水原秋櫻子)が作者の頭にあったかも知れません。直接「病」を詠んだものより、このような何気ない動作の描写に、生のさびしさ、無常感といったものが表れているようにも感じます。

麻酔にて知らぬ一日室の花
春隣縫ひ目きれいな胸と腹

少し離れたところから自己を冷静に見つめることによって、「現実からの凌駕」から逃れられるのかもしれません。

航跡に碧湧き出す朝曇

病からの回復という前提がなくとも「碧湧き出す」の力強さは動じないのではないでしょうか。「朝曇」も決まってる感じがします。


6.パズル 加藤御影

手のつなぎかたのいろいろ木の芽風

「いろいろ」というほどいろいろはないように思いますが。

うぐひすや掌は表情を持ち

手相?

砂時計の汚れない砂鳥雲に

「汚れない砂」という発見。

白木蓮咲いて悪児の華やげる

「悪童」と言った方がわかりやすいような気がします。

消しゴムに鉛筆の穴さくら咲く

こういう無駄事を私もよくしました。

クリームのやうな寝癖や花の雨

「クリームのやうな寝癖」は面白いと思います。

晩春や猫のかたちに猫の影

「犬のかたちに犬の影」「猿のかたちに猿の影」「豚のかたちに豚の影」などなど。

神の名を与へし猫や花は葉に

福禄寿とか。

ともだちとはぐれてゐたる花氷

迷子の心細さと「花氷」の鮮やかさの対比がいいと思います。

茄子なりに私の顔を映しけり

茄子の意思によって顔を映している!

どの傘も人を宿して秋近づく

傘が人を宿す!という発想に驚きつつも、かなりの力業、という感じもします。

パレットは絵の胎盤か黄葉置く

力業はほどほどに。

菌たる自由菌となりにけり

「自由菌」かと思いましたが「自由」で切れているのですね。

手袋の難破のやうに落ちてをり

「漂へる手袋のある運河かな」(高野素十)。

冬帝や珈琲は火の味を秘め

「火の味」が成功しているかどうかわかりませんが、妙なところに目を着けて妙なことを言おうとする姿勢が楽しい作者だと思いました。


7.脱ぎかけ 栗山麻衣 

脱ぎかけの衣からやあと蛇出づる

「やあ」とは言わないでしょう、蛇は。

俳人に句碑なめくぢに光る道

句碑をバカにしているのでしょう。

身一つの勝負に出たきラムネ玉

瓶を割ってあげて下さい。

目配せを交はして蟻の擦れ違ふ

目配せはしないでしょう、蟻は。

鉄棒を舐めれば鉄の味晩夏

舐めないで下さい。

ゴスペルのごとき熱狂鮭上る

ものすごい喩え。

蓑虫の世を窺ひし目玉かな

蓑虫に目玉があるでしょうか。

ゐのこづちかくれんぼへとくははりぬ

「かくれんばうにくははりぬ」でいいような。

秋の夜の一針ごとに延びゆかむ

「夜長」を言っているのでしょうか。

くしやみして魂すこしづつ抜ける

くしゃみと一緒に一気に抜けて欲しいところ。

冬日向ひとりの人のふたりゐて

解釈次第では面白いと思いますが。

紙風船突いて己の空気抜く

紙風船と一心同体だったのですね。

ひねくれし葉からまつすぐチューリップ

いえ、チューリップの茎は葉からでなく球根から伸びています。


8.クレヨン 倉田有希

船を描くクレヨンの白春の雷

「クレヨンの白」がいいですね。もう少し穏やかなイメージの季語でもよかったかもしれません。

口紅を塗る兄とゐて花筏

お兄様っ!

桜撮る人撫で肩で遠ざかる

撮るときはいかり肩だったのでしょうか。

蝌蚪の国豆腐のパックが沈みをり

「豆腐パックが」で、中八を回避できます。

菜の花やトロッコ列車の駅の跡

この中八は手強いですね。

向日葵の影を慕ひて三輪車

作詞作曲、古賀政男。

昼時の海月と人が浮かぶ海

事件です。

賢治読む人の耳たぶ山葡萄

そんな恐ろしいことが起こるのでしょうか。

すずむしや共食ひのときみなしづか

テーブルマナーです。

老犬の巻き尾日毎に天の川

スペクタル。

かなかなや今日会ふ河童の碧色

明日は朱色かも。

車座に少女も二人西瓜かな

西瓜人間が輪になって。

人参と同じ太さのドリンク剤

ニンジンエキスが入っているのです。

鉄棒の向うはジュラ紀の寒茜

タイムマシンにお願い。

繰りかへす家の歴史や雑煮餅

歴史は繰り返すものです。


9.凛凛 きしゆみこ

続編がすぐに始まる猫の恋

ワクワクします。

春の水研ぎし刃物の刃の中に

「刃の中に」、「刃の中に」どうしたのですか。

冴え返るあなたにできることなくて

何もできない僕だから。

春泥や楽器はどれも大荷物

ハーモニカはそうでもないですよ。

遠吠はむかしむかしに目借時

前世は犬だったのですね。

イギリスの国旗が触るる蔦若葉

紅茶でも飲みましょう。

語呂の佳き番地に下げる風鈴よ

819(ハイク)番地、とか。

礼拝に書を置く人や避暑の星

「避暑地の星」?

生身魂ことりことりと心の臓

ペースメーカーかもしれません。

窓側が好き寒くても一人でも

風邪をひかないように。


10. 徒然 工藤定治

今はもう誰も採らざる棗の実

今はもう誰も愛したくないの。


11. 舞ふて舞ふて舞ふてまだまだ枯一葉 片岡義順

はなごろも置かれしままの久女の忌

紐もいろいろ置かれているのでしょう。


12. ふらんど さわだかずや

目つむれば風かすかなり花の雨

目つむれば若き我あり春の宵 高浜虚子
目つむれば蔵王権現後の月 阿波野青畝
目つむれば倖せに似ぬ日向ぼこ 中村汀女
目つむれば睡魔ふとくる緑蔭に 稲畑汀子

「目つむれば」俳句は飽和状態です。

空いまも紀元前なる桜かな

天空と地上との時間差。面白い把握だと思います。

養花天葬列半ばよりまばら

「養花天」と「葬列」は相性が良すぎるのでは。

韮やはらかし人妻はさりげなし

どういうプレーなのでしょう。

眠くなる前から眠し春の昼

「春の昼」とはそういうものです。

やい鬱め春あけぼのを知りをるか

「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」(江国滋)のパロディでしょうか。

鞦韆のめがけてきたる側頭部

考え過ぎです。

花満ちて故郷は呪ふべき処

人それぞれでしょう。

入学のひとりは痰を吐いてゐる

結核なのかも知れません。

女見る目なしさくらは咲けばよし

私もです。

春めきて窃盗多き商店街

景気が悪くなると治安も悪くなります。

虚子の忌の回転寿司の皿詰まる

詰まっているのはわれわれでしょうね。

佐保姫がたとへこの方だとしても

女性蔑視はいけません。

メッセージ性なき風船も飛んでをり

メッセージ性ある風船がイメージできません。

地中より花の宴の残り物

掘り返さないで下さい。

劣情を父も持ちけりあたたかし

やさしい作者なんだと思います。


13. 封境 杉原祐之

豆乳の鍋に旧正祝ぎにけり

「鍋」と「旧正」。

鬼退り出し一斉に豆を撒く

豆撒きとはそういうものです。

オープンのゴルフコースに霾れる

せっかくの「オープン」なのに、ということでしょうか。

ぬひぐるみ抱えしままに野に遊ぶ

そういう子もいるでしょう。

花仰ぐ多種も多様な人種ゐて

「多種も多様な人種」って日本語おかしくないですか。

ドーナッツ現象の町花曇

「ドーナッツ現象」とは言わないでしょう。「ドーナツ現象」。楽しいですが。

緑陰の下にインドの将棋差す

チェスのことでしょうか。お好み焼きを日本のピザと言う人もいますよね。「下に」は言わなくても「緑陰に」でわかります。

ナイターのドームの屋根の開きけり

「ナイターのドーム」。まあ、わかりますが。前出の「オープンのゴルフコース」と似た言い方ですね。

強弱の無き冷房のバス走る

冷房の強弱のことでしょうか。運転席で操作しているのかもしれません。お願いしてみて下さい。

播州の室津の浜の蝦蛄を漁る

「三州の一色の浜の蝦蛄を漁る」でもいいですか。

広島の原爆の日の砂河原

「東北の震災の日の砂河原」でもいいですか。「の」で繋ぐのが作者好みなのでしょうか。

潮の香を翅にまとへる赤蜻蛉

海岸です。

重陽の透き通りたる天つ空

秋晴れです。

マンションの路地に秋刀魚の煙充つ

秋刀魚を焼くと煙が出ます。

終電車回送さるる後の月

仕事を終えたら車庫まで回送です。

短日の改札口に人溢れ

駅は人が溢れるところです。

大寒の訃報相次ぐ日なりけり

寒い時にはよく亡くなります。


(前編のつぎは後編です)


2 comments:

大江進 さんのコメント...

辛辣かつ皮肉がいっぱい。でも頷ける部分も多いので、後編も期待してます。

栗山麻衣 さんのコメント...

ありがとうございました。自分がなぜ作りたいのか、届く言葉とは何か、もっと考えていかねば…と思いました。