2015-11-22

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(18) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (18)
今井 聖

 「街」111号より転載

足袋の型おろかし逢ひにゆくときも
寺田京子 『冬の匙』(1956年)

なんだこりゃ。
  
タビノカタオロカシアヒニイクトキモ

これまでにいろんな優秀な女流はいたけど自分のことをここまで追いつめる人は初めて。
「逢う」は俳句では恋人と逢うということ。京子さん、デートに出かけるときでさえ、自分の身の醜さ、愚かさを見つめている。

こんな感じで逢いに行っても楽しくないんじゃないかな、
相手だって。

ダリヤの市敵のごとくに大鏡
をんな臭きわれのほとりの日の氷
末枯やねむりの中に生理くる

鏡を敵と言い放つ。
自分の匂いを女臭いと告白する。
眠っているときにやってくる自らの生理をみつめる。

鈴木六林男作で喧伝された「木犀匂ふ月経にして熟睡なす」は男から見た異性の生理。

この句、なんかやだなあ。例えば女が男の夢精を詠むのと同じ。木犀の芳香を対照させるところなどどこか興味本位でえげつない。

女性が詠むからこそ「生理」が性的な興味から離れ「純粋」な肉体感覚として読むことができる。

冒頭の句を含めてこれらには徹底した自己露出と自己否定を感じないわけにはいかない。
これまでの女流で「臭い自分」を詠むところまで徹底した人がいただろうか。

中村汀女、長谷川かな女、阿部みどり女、橋本多佳子、桂信子、野澤節子等々。いずれも超がつく実力者だがみんなどこかで自己愛を隠さない。

新興俳句系の方々が好む三橋鷹女だってわがままな女ぶりをいわばウリにしているところが見える。わがままも媚びのうちだ。

寺田京子を教材に使ってカルチャー教室でそう言ったら、受講者の女性が「自己嫌悪、自己否定もナルシズムの一面じゃないですか」と問うてきた。

「う~ん、そうかなあ」

そうだとしたら、これまでの女流にないナルシズムだということだけは確かだ。僕はそう思う。

俳人にはとにかく自慢ばかりをうんざりするほど見せられて来た。

息子が東大に入っただの、親や亭主が銀行の「支店長」だったの、平家の末裔だの(本気で言ってる)。エッセーの中でこんな事書く俳人は山といる。ほんとうにそんなこと書く人いるのと疑う方はお会いしたとき僕に直接聞いてください。耳元で教えてあげる。いずれも主宰クラスの「大物」です。

嘘でもいいから自分は水呑み百姓の家の出で、親も亭主も宮仕えの凡庸な米搗きバッタで、愚息は出来の悪い豚児でございますと人様に向って言えないかなあ。

そう言われたら、ああそうですかオタクの息子さんは馬鹿なんですねと思う人はいないって。

自慢する奴こそ馬鹿丸出しだ。

さすがに俳句で息子の学歴や亭主の職業まで言えないから自分は良妻賢母ですという句を作るようになる。

子育て俳句では子と格闘する母を演じる。格闘するのは真実にしてもなんで通俗的に、老人に褒められるように格闘するのかなあ。誰もが同じようにケナゲな感じで。

ケナゲじゃなくていいじゃん。ほんとうのこと書いて見せてよ。

教師俳句を詠む男もそうだなあ。なんでそんな良い教師になりたがるのかなあ。全力で生徒に向かい、労を厭わず職責を果たす。

農業従事者はひたすら実直朴訥誠実なお百姓を演じる。ああ、噓臭い。

そんな句ばかり見せられると花鳥諷詠というのが実は「善良な人間であること」の演出の一つに見えてくる。

悪代官と越後屋が待っている屋形舟に呼ばれ、中で歳時記を渡される。「あのね、余計なこと考えないでコレだけ見てればいいからね。何より本意本情を大切にね。そしたら句碑も建てていいからね」

かくして着物を着て銀座に出かけ歌舞伎座で海老蔵を見たあと鳩居堂で文具など買い夜は老舗の鰻屋か。(具体的な店の名前が思い浮かばないところが筆者の貧困な生活形態を露呈している)

かくして「俳人」の典型ができあがる。

寺田京子がこの作品を作った頃は、京子の師楸邨が「社会悪や自己の人間悪と闘う」と決意を書いた時期と一致する。楸邨が自己の「人間悪」を意識せざるを得なかったのは、「俳句の中に人間が生きるように」を標榜しながら戦争の無謀さを見抜けなかった己れへの反省に基づいている。

これは楸邨にとって大きな傷痕であった。

だから言わんこっちゃない、俳人は花鳥風月を詠っていれば良いの。触らぬ神に祟り無し。で行っていいのか。

楸邨の自己否定は形を変えて京子にも投影する。

己れの「女」を嫌悪した京子の作品の中に、

ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ

を見つけると筆者はなぜかホッとするのであった。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。


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