2015-12-06

【俳誌を読む】『俳句』2015年12月号を読む 西原天気

【俳誌を読む】
『俳句』2015年12月号を読む

西原天気


特集「「伝える力」の磨き方」(p49-)のトップは金子兜太「伝達と独自性の案配」。伝達というテーマでまず「ユーモアやおかしみの要素は大いに必要」と指摘。ただし、「これみよがしのユーモア」「諧謔が一人歩きするだけ」は否定。では、どんなおかしみかという例に、自句《彎曲し火傷し爆心地のマラソン》を挙げ、「彎曲し」の工夫をもって説明しています。なるほど、こういう、機微をともなうおかしみか、と、興味深く読みました。

なお、伝達に関して、兜太自身は「伝わらない」ことを意識することも多々。自句《華麗な墓原女陰あらわに村眠り》では、次のような述懐。

(…)〈華麗な墓原〉は「分かりません。〈女陰あらわに村眠り〉とはどういうことですか」なんてよく聞かれまっした。私が「それは君、繁栄の中に淫靡な世界というのは、つきものなんでね。それが非常に恋しく見えるときってのはあるんだから、それを言っているんだよ」って言うと、「そういうものですか」と、相手は腑に落ちない顔をする。「なんでイワシ漁の漁師さんを捕まえてそんなことを書かないといけませんかね」と、そんな調子の連中が多かった。
こういう具体的なエピソードがおもしろい記事です。聞き書きということもあり、論理の一貫性は二の次に読むのがよいです。

引用後半の「連中」のことを思うと、俳句の伝達っていったいどういうことだろう? というちょっと複雑な方向へと思いが向かいます。

さて、記事に戻ると、あるいは、次のような一種の諦観。
特に初心者から中級くらいの人までは、「俺が書いているこの詩を分かってくれよ」という甘えがある。本来、俳句は伝わりにくい、難しいものなんだと分かってくると、その人の俳句は本物になっていくと思う。
伝達というテーマで金子兜太を登場させたことで、特集に幅が出たようです。兜太の句が「伝わる句か伝わない句か」「伝わりやすい句か伝わりにくい句か」はかなり微妙なところなので、俳句が伝わるということについていくぶんでも根源的に考えるには格好かもしれません。

兜太の聞き書きに続いて、11本のノウハウ記事が並びます。特集タイトルからすると、「どうすれば伝わる句になるか」がテーマ。言い換えれば、伝達という目的にフォーカスしたノウハウが示されるべきところ。しかしながら、ほとんどの記事内容が、「どうすれば良い句になるか、マシな句になるか」というノウハウ一般と区別のつかない内容です。書き手に、伝わる句=良い句、というアタマがあるせいでしょう(編集部もその前提)。このへんに、俳句の伝達性に関するコク深い要素があるようです。そこを垣間見せてくれるという意味で、前述の金子兜太の記事が意義深いわけです。



小説家・川上弘美のインタビュー記事(p101-)から。
川上 (…)小説を読む時は作者と重ねる必要はないし、重ねるとかえってつまらなくなると思うんですが、俳句は重ねたほうが楽しいというか。そういう意味で、俳句は自分と重ねてもらっていいようなすれすれを楽しんで作っているような気がします。
「すれすれ」の4文字が興味深い。



巻頭特別作品21句より。

新じやがや新たまねぎや主婦たのし  後藤比奈夫


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