2015-12-27

週俳2015年6月のオススメ記事 リロードしながら 田中惣一郎

週俳2015年6月のオススメ記事
リロードしながら

田中惣一郎



週刊俳句にハマって読みふけった人ならば誰もが経験したことがあるだろう、週俳の配信される日曜が楽しみでいてもたってもいられない病に私がかかったのはこの辺りの時期だった。日付が変わって記事がアップされ出すのを、今かとトップページをリロードしながら待っていて読んだことを覚えている。

第424号では、4月に刊行された北大路翼の句集『天使の涎』の特集が組まれていて、多くの人が彼の句や人となり、あるいは彼が根城にしている新宿について語っていてどれも興味深い。

中でも、自身の個人的な体験を通して新宿歌舞伎町という町の光景を伝える倉野いち。「わたしは北大路翼ファンを減らすようなけなし方をしたいし、サイテーな氏を白日の下に晒したい」と言いながらも「北大路翼はまちがいなく俳壇最高のクズ作家だ」と書いていく筆致になんだか愛のようなものを感じないでもない五十嵐箏曲。そしてパンクロックを引き合いに、俳句を知らない人をも惹き付ける翼句の力を書く喪字男は、富澤赤黄男が「クロノスの舌」で書いた「蝶はまさに〈蝶〉であるが、〈その蝶〉ではない」という印象的な一節の「蝶」をしれっと「うんこ」に変換して句評を広げていて大変痛快だ。喪字男は次々週第426号に十句作品「秘密兵器が掲載されていて、〈おもひでに網戸の穴をくはへておく 喪字男〉などじわりと切ない気分になる句がある。

ざっと読んだだけでもくせのある人たちだと何となく分かるこんな面々の集まってくる北大路翼という人間を思うと甘いような苦いようなもやもやした気持ちに覆われて、またしても『天使の涎』を読み返せばもうなにもかもどうでも良くなって気持ちよくならせてくれるナイスな特集。

第425号には福田若之による村上鞆彦句集『遅日の岸』評。(余談だが村上鞆彦氏は北大路翼氏と仲が良いらしく、もの静かで上品な雰囲気のある鞆彦氏がお酒を飲んで歌舞伎町に繰り出し砂の城での句会に参加していることが度々あると聞く。ぜひともその場に同席してみたい。)

「村上鞆彦『遅日の岸』(ふらんす堂、2015年)にはさまざまな鳥が登場するが、それらの鳥は、どれも一様に、ある動きを決定的に封じられている。それは、上昇すること、飛び上がることである。」とはじまるこの文章で福田は村上鞆彦の句に現れる動物や運動をとりあげてその特徴を論じていく。一句鑑賞など、句をあげてその句について意味や叙法などを読み解くものはよくみかけるが、この句集評はもっと大局的に、句に現れるモチーフや描かれる空間などから村上鞆彦作品の表す世界を明らかにする刺激的な文章だ。

また、6月は毎週4回に分けて小津夜景による俳句誌「オルガン」評が連載されている。「オルガン」は2015年春に生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、宮本佳世乃の四人によって創刊された同人誌で、その創刊号における4人の作品それぞれの作品を、テクニカルな小津節で解剖する読み応えのあるもの。田島健一を取り上げた第一回で〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一〉に含まれる要素を分解する真面目ぶりの徹底が笑える。生駒大祐に見られる句の構造へのこだわりを柳本々々の文体模写をしつつ語る第二回も非常に愉快。「科挙の答案か!?」というツッコミ、使ってみたい。

文体を真似られた柳本々々にしてもそうだが、彼らのように、俳句について語るとき、俳句以外のジャンルのものを存分に絡めていきいきと語っている文章を総合誌などではとんと見かけないので、その啓蒙臭のなさという一つをとっても、何か風通しがよく感じて心地よい。

第426号、柳本々々は、話の核に不条理界のパイオニア、メルヴィルの『代書人バートルビー』を据えて、「なんにもしない」ことを書いた句について書いていく。できるけれどやらない、そしてそれをきっぱりと主張するバートルビーの「できればそうせずにすめばありがたいのですが」の台詞に象徴される「あらゆる〈枠組み〉を〈さておいて〉なんにもしないでいること」を俳句の中に見、俳句はそれを書ける形式なのではないかと言う、朦朧としているようで、けれど不意に強く迫ってくる、柳本さんの語り口もまた「積極的なバートルビー」的なのではないかとも、おもうのです。

6月最終週、第427号は福田若之何か書かれて』15句。言葉を巡る複雑かつ繊細な作品。

  名が鳥を仏法僧にして発たす 福田若之

  何も書かなければここに蚊もいない 同

のように、ことばが生まれる瞬間がじかに体感されるようなものや、

  読むことに伴うまばたきと西日 同

の、書かれた言葉がありそれを読むという、言葉と向かい合う意識に肉体がつきまとってくるけだるさが、また言葉となって現れる重層的な句など、全体に周到な意匠が凝らされていて多彩。

またこの週は福田の評論も掲載されていて、これも読み応えがある。石田波郷『風切』所収の〈霜柱俳句は切字響きけり 石田波郷〉の一句を丹念に読み解き、切れ字とは何か、あるいは文字と音との関係について丁寧な考察がなされている。

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