2016-02-07

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(23) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (23)
今井 聖

 「街」第116号より転載

闇濃くて腐臭に近し沈丁花  野澤節子 『雪しろ』(1960年)

なんだこりゃ。

ヤミコクテフシュウニチカシヂンチョウゲ 

節子四十一歳のときの作品。

季語派のバイブル虚子編『新歳時記』に拠ると沈丁花は「香気が高い。香りは沈香・丁香を兼ねるといふ」とある。漢方の薬効さえあるまさに芳香。歳時記所収の例句、
  
公園のこの道好きや沈丁花 松本たかし
沈丁の香になれてゐて楽譜かく 池内友次郎
一本の沈丁の香の館かな 高濱虚子

のごときが沈丁花の本意。

なのに「腐臭」ですよ、「腐臭」。

この句、概念を裏返しただけの句とは一線を画する。

たとえば、

便所から青空見えて啄木忌  寺山修司

暗室より水の音する母の情事  同

春の水とは濡れてゐる水のこと  長谷川櫂

啄木の持つ青春性、革新性、貧困、挫折、流浪などの無頼にして純なイメージを「便所」で壊してみせる。母が持つ優しさや包容する従来のイメージを裏切って「母の情事」で生身の母を抉りだす。水が濡れているということで言葉の常識的つながりを裏返してみせる。

概念に対する裏返しは新しい概念を提示することだ。それはそれで「詩」の要諦の一つと思う。

だが、野澤節子の「腐臭」は概念の裏返しとは違う。

五感というのは人間の原初の感覚だ。概念ではない。

それをひっくり返す。芳香を腐臭と言い放つのだ。

これは力技というより神経症的と言ってもいいのではないか。洗っても洗っても手の汚れが落ちない。尖ったものがたまらなく怖い。そういう類の不安神経症の症状。

こう書くと誤解する人がいるかもしれない。

かつて「新・増殖する俳句歳時記」で

焼酎や頭の中黒き蟻這へり  岸風三樓

を鑑賞してアルコール依存症の症状を表現している(ようだ)と書いたら、自称風三樓の弟子の人から「風三樓を辱めるのか。師は依存症なんかではなかった」というコメントを貰ったりした。

言うまでもなく、比喩、誇張、錯覚などは「詩」表現の根幹であり、「才」そのものの在り場所である。見えないものが見えたり一般的ならざる想像が浮ぶのは才の証。

しかしながら本当に見えないものが見えれば異常の範疇に入るので、そこは「天才と狂気は紙一重」という俗な表現にならざるを得ない。

一般的通念や倫理観を書いて詩人になれるわけもない。(俳人は別かな)

僕は「野澤節子」を貶めているのではなくてその逆。

従来の概念をアタマの操作で「裏返す」のはインテリジェンスに拠る「詩」を意図した平衡感覚だ。それはいわば常識人が「詩人」になるために普通のアタマをカムフラージュする方法である。

節子の「腐臭」は知的操作では図れない「神経」の所産だ。ほんものの詩人の魂がここにある。

久女や草田男と同類の「才気」(狂気と言ってもいい。僕は誓子にもそれを感じる)。

われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず  節子

この句もそう。

「蜘蛛の糸」のカンダタを挙げるまでもない。

蜘蛛に情けをかけて命を救うのがヒューマニズムの正攻法。俳句の「人間性」はずっとこれでやってきた。「温かいお人柄が句に出ている」なんてね。

節子は「宥さず」だから決して大目にみない。蜘蛛の存在を許さないのだ。まさしく詩人の狂気。

加藤楸邨は、

蟻殺す我を三人の子に見られぬ  楸邨

蟻を殺したあとで、それを自分の子に見られたことを激しく後悔している。後悔したことに限って言えば「常識人」だが、そんな「瑣事」に激しい悔いを見出して表現すること自体が神経症的だ。

楸邨にも「狂気」の資格は十分。

節子は横浜に生まれ、十二歳のとき、お嬢様学校として有名なフェリス女学院に入学するが脊椎カリエスを病んで翌年には中退。背骨に後弯変形が生じる重病だ。

僕は一度だけ節子を僕の車に乗せてレストランに案内したことがある。二十年ほど前だろうか。「女性俳句」の数人とご一緒だった。病気の影響か、かなりの短躯であられたことが印象に残っている。

節子はこのキリスト教の学校でも教師の勧めによる受洗を拒否。思春期の宿痾が節子にどれほどの絶望を与えたか想像に難くない。

この句から節子の「私」を引き出すのは古いロマンに捕らわれた読みであるとする否定的意見もあろう。

書かれたことだけから読み解こうとするならそれでやってみたらいい。「腐臭のごとし」は一応直喩の形にはなっているが僕には断定に近い表現に思える。沈丁花を腐臭だと断じることの意味を考える必要がある。

この句から野澤節子という背景を消し去っても「腐臭」を入口にして作者の暗い内面に入って行かざるを得ない。

どう読もうとこの句は行き場の無い苦しみと深い絶望を負った句である。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。

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