2016-03-20

ひとときのの巻 評釈

ひとときのの巻 評釈

2015223日に永眠された和田悟朗さんを悼んで脇起しにて追善興行致しました。銀河さんの呼びかけに参集した故人に縁のある方々とネット上の座「みしみし」に居合わせた常連の酔客による九吟歌仙という不思議な場だったのかも知れません。失礼を承知で仮に名づけるなら、追悼クラスターと酔客クラスター。

【追悼クラスター】銀河、令、由季、媚庵、裕
【酔客クラスター】ゆかり、七、苑を、なむ

膝送りなので、(令、由季、媚庵、裕)というかたまりと、一周したところの(なむ、ゆかり、七、苑を)というかたまりの中で、銀河さんは酔客クラスターに囲まれ、すごく苦労されたのではないかと思います。追悼という意味では、なむさんは最後の花の座しか仕事をしていないし(それがとんでもなくすごい)、私は脇しか仕事をしていません。

で、たぶんそういう人員構成で序破急を進めたことにより、奇跡的とも言える名残裏をなし得たのだと思います。以下の評釈は初折表を令さん、同裏を苑をさんにお願いし、名残表裏はゆかりが担当し全体の体裁を調整しました。

   ひとときの太古の焔お水取り  和田悟朗
「風来」20号の最後の一句であり、亡くなられた直後に発売された「俳句界」3月号にも寄せられていた句。丁度お水取りの時期に、和田悟朗さんの命の際に書かれた句を頂いた脇起し歌仙となりました。

    余寒おほきくうつろへる影   ゆかり
脇は、発句に寄り添ってお水取りの炎と対比された影が詠まれています。お水取りが終るまでは寒い、と関西では、特に奈良に近い所ではよく言いますが、その余寒を詠まれました。

   かざぐるま風を愉しみ音立てて   銀河
連句は第三句から世界始まるとされますが、まさにそういった句です。和田悟朗さんのお家の庭に棒が一本立っていてそこに風車が回っているということを銀河さんが書いてくれていますが、軽やかな音が楽しげに響いてきて、ここから明るく開かれます。氏の最後の句集名が「風車」であることも思い起こさせてくれます。

    どこからか来るなつかしき声    七
その風車の音に合わせる様な懐かしい声、これは故人の声をふと思い出すということなのでしょう。追悼を意識した付け合いです。

   昼月のぼやけ両国橋の上      苑を
次に橋ですが、橋という場所は、こちらからあちらへの、この岸から向こう岸への途中の場であり、前句の「どこかから来る」ものをキャッチ出来そうな場として登場。そこに東京の月。両国橋は、芭蕉記念館や、深川の芭蕉庵跡も近い所だし、東京にもよく行かれた悟朗さんは、両国橋の上を眺められたかも知れません。「東京を一日あるき諸葛菜 悟朗」という句もありますが、歩きくたびれた目に昼の月がぼんやりと映ります。

    電車から見て町は爽やか      令
東京の空が大きく広がる景色が車窓の風景となっていきます。和田悟朗さんは九十近い時でも電車ででも背筋をすっと伸ばして立たれて、とてもお若く見えたので、すぐに席を譲られるということもあまりなかったのではないかと思います

表六句は、故人の句集名も入り静かに追悼の巻が始まっていきます。

ウ  紅葉へと女子大生の集まれる    由季
    楽屋口には菓子と手紙と     媚庵
   ささやきは拍手の波をくぐりきて   裕
初折裏一句から三句までの紅葉楽屋口観客席(恋)。由季さんが女子大、媚庵さんが宝塚の出待ちと、和田悟朗さんの居た場所(関西)を思わせつつ、(悟朗さんへの)拍手の波と繋がっていく。全体の中でもでも華やいでいる箇所ですね。

    鎖骨に触れる罪の舌先      なむ
   蒟蒻を用ゐ閻魔を手なづける     り
なに言ってンですか(笑)。なむ&ゆかりさんが並んで、遊び心爆発。大きく転じます。これが連句の楽しさ。

    天動説に沿ふも夏月        河
天動説でさらに転じて、大きな世界へ。

   レコ-ドの傷撫でてゐる宵涼し    七
    先端恐怖症の眼科医        を
そこで、七さんと私(苑を)という酔人群は遣句的に場面を転換していく。

   学会へマジックインキで書く図表   令
    乾けばすぐに羽織る春服      季
大丈夫、九句目では学者としての和田悟朗さんへの挨拶をして、十句目の春服は氏の佇まいを感じさせるもの。

   夜の花の向かふ側から汽笛鳴る    庵
    鮊子釘煮水分子形         裕
初折裏最後の二句、向かふ側からと彼岸を思わせたあと、水分子形なんて人事を遠く離れたところが見事です。ここで裕さんによる解説を引用します。
 
《和田悟朗の科学者としての最大の業績は、水分子の性質に関してのものです。
普通の液体は、低温になるほど体積が小さくなります。ところが、水は凍る寸前の摂氏0度ではなく、摂氏4度ほどのときに体積が最小になります。この性質を、和田悟朗は水分子の形状に着目して説明しました。水分子のような、くの字の形状のものが整然と並ぶとくの字の開口部がスペースを取って体積が小さくなりません。少し雑然としているときの方が、くの字の開口部に他の水分子が入り込んで体積が小さくなります。本人のエッセイによると、和田モデルと呼ばれていたそうです。
 後年、南部陽一郎がノーベル賞を取ったことで有名になった、「自発的対称性の破れ」の例として、水分子の形状がよく取り上げられます。水分子の形状のせいで、摂氏0度ではなく、摂氏4度付近で体積が最小になることも、「自発的対称性の破れ」の帰結として出てくる素粒子の性質と関連づけることが出来ます。
 句会で、和田悟朗自らがその辺の事情について言及していました。司会をしながら、やっぱり和田悟朗は「自発的対称性の破れ」を意識していたかと思いつつ聞いていたことも、少し昔の話になってしまいました。》


ナオ 抜け忍の家系で草を煎じ飲む     む
このあたりで大河ドラマの番宣を観ていた捌き人が「諸君狂ひたまへ」と大号令をかけたのでした。名残表はしばし表面上は和田悟朗追悼を離れ、大いに展開します。
前句の釘煮から古民家が導かれたのか、漢字ばかりの字面から暗号文書を思い浮かべたのか、突然忍者に飛躍します。しかも抜け忍のそのまた家系でなにやら薬のようなものを煎じています。

    貨物列車のやうなリビドー     り
前句の薬をなんの薬ととらえたものか、長大で重量級の性衝動に苦しんでいます。

   速読で知つたつもりのこと多く    河
酔客クラスターに包囲された銀河さんが必死の抵抗を試み、和田悟朗さんのエッセイ集「俳句文明」の後書き「この本は、速読癖のある人には向かない気がする」を引きます。

    蕩蕩として忘却の川        七
前句に対し素直に「忘却の川」と付けます。

   この冬に流行るてふ縞馬模様     を
前句を去りゆくものととらえ、やってくるものを付けています。「遠国に縞馬逃げる眩しさよ 悟朗」(『即興の山』)という去りゆく縞馬の句があることを思い出しておきましょう。

    氷湖の上でスピン楽しき      令
縞馬模様のスピンというなんだか瑪瑙のようなさまを思い浮かべます。

   五年後の五輪に備へ竹植うる     季
冬季五輪のイメージから五、五と音を重ね、しかも竹を出してきて東京オリンピックのイメージに持ち込んでいます。ちなみに記念植樹のようではありますが、「竹植うる」は夏の季語です。

    洗ひ飯食ふ宮本武蔵        庵
五輪書の宮本武蔵で付けます。「洗ひ飯食ふ」がなんともむさくるしい感じです。

   帰りゆく燕の彼方眺めつつ      裕
武蔵といえば小次郎。「燕返し」を帰燕とすることにより、句に仕立てています。

    物の音の澄む神宮球場       む
燕といえばスワローズで神宮球場が出てきます。東京オリンピックで取り壊されるイメージを帯びてしまうのが気にならなくもないのですが、打越よりも前のことなので、委細構わず進行します。

   たれかれを招くでもなく月招く    七
膝送りだとゆかりの番ですが、脇起こしで三十五句を九吟で巻いているので捌き人が抜け、長短が狂わぬよう七さんにお願いして、悪の枢軸のごときなむ&ゆかりのタッグを解消しています。七さんはたいへんきれいに、人のいない球場が月を呼んでいると付けています。

    猫は伸びたりまるくなつたり    を
月の満ち欠けのイメージもあったのでしょうか。猫を詠みつつ、着実に名残裏に向けて狂騒を鎮静化しています。

ナウ 二上の雪の時空に律あらむ      令
前句の「伸びたりまるくなつたり」を和田悟朗語彙で「律」ととらえ、二上山が好きだったというエピソードを踏まえ、「二上の雪の時空に」としています。「二上山(ふたかみ)のいただきはるか死後の春 悟朗」の「死後の春」に対し本句の「あらむ」を重ね合わせるとき、すばらしい深みを感じます。ちなみに「二上山(ふたかみ)も三輪山(みわ)もゆるびぬ別れ雪 悟朗」という雪の句もあります。

    揺れをさまりて曇る白息      河
前句「律」から、阪神淡路大震災被災の記憶を踏まえ付けています。

   眼球を動かしてゐる画学生      庵
「秋の入水眼球に若き魚ささり 悟朗」を踏まえた句。前句の「揺れ」に対し、いかにも和田悟朗語彙の「眼球」が絶妙に収まっています。

    庭を旅して逃げ水を追ふ      裕
「我が庭をしばらく旅す人麻呂忌 悟朗」を踏まえた句。「逃げ水を追ふ」に追悼の念を感じますが、奇しくも元になった句も忌日俳句で、なにかしらの因縁を思います。

   永劫のまほろばに置く花の昼     む
「永劫の入り口にあり山ざくら 悟朗」を踏まえているのかも知れないのですが、それに留まらない万感の花の座です。「まほろば」は「すぐれたよい所、ひいでた国土」。

    この世に誘ふ一頭の蝶       季
「この世」と付ける以上、「永劫のまほろば」とは故人が召された「あの世」だと由季さんは前句をとらえられたのでしょう。あの世の悟朗さんを蝶がこの世に呼び戻そうとするのです。そのように付けたことにより、前句の「花」は庭の旅で見つけたものから一変して、極楽を永遠の昼たらしめる壮大な献花として機能します。まさに付合のマジックです。

なにを詠んでも響きあうのが追悼連句の妙味ですが、由季さんの句は「少年をこの世に誘い櫻守 悟朗」と「蝶一頭一頭ほどの山河かな 悟朗」をも思い出させます。花の座から前者が導かれ、後者を引用して挙句にまとめたようにも読めますが、実際にどのようにしてできたかは特に明かさなくてもいいものだと思います。ただ結果として、みごとなまでに収まるところに収まっている、それでよいのだと思います。そしてこの蝶に込められたかなわぬ思いは発句にめぐり、いま生きているこの世のことを「ひととき」に過ぎないものだと言っているかのようです。

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