2016-04-10

【みみず・ぶっくすBOOKS】第4回 ポール=ルイ・クシュー他『ゆく水のままに、俳諧付き/黎明期のフランス俳句集』 小津夜景

【みみず・ぶっくすBOOKS】第4回
ポール=ルイ・クシュー他『ゆく水のままに、俳諧付き/黎明期のフランス俳句集』

小津夜景



今日、フランスの俳句にかんする情報はとても手軽に入手することができる。その成立や展開を論じるさまざまな書籍の他、WEB上にも多くの文章があり、しかもそれらの内容間にはほとんど相違がない。

調べれば誰でもわかるそうした内容を、自分のようなシロートがしれっと解説しなおすのはかなり恥ずかしい。そんな理由から、とりとめのない、ふわふわした印象ばかりを綴っているこの【みみず・ぶっくすBOOKS】シリーズ。だが今週の『ゆく水のままに』および『俳諧』についてはそうもいかなそうだ。というのもこの本、フランス人による最古の句集といった記念碑的作物なのである(というわけで今回は多少の蘊蓄が入ります)。

『ゆく水のままに』

裏表紙。本文160頁。価格は4.1€=約500円。
日本の文庫本と同じサイズ。

『ゆく水のままに』(1905年刊)の著者ポール=ルイ・クシューは高等師範学校出身の哲学者。彼が俳句を知ったのは1903年、日本に9ヶ月間滞在した折のことだった。その後フランスに戻り、友人のアンドレ・フォール、アルベール・ポンサンと共に河川輸送船に乗り込んで、砂糖の積み降ろしのアルバイトをしながら一ヶ月の川下りを体験するのだが、その際に三人で詠みあった72句を自費出版したのが本書である。

絵心のあるクシューの筆跡。
鳥の絵を描いてみてほしい。

 実のところ彼らの船旅の目的は、俳人のように旅をしながら句を詠むこと自体にあったらしい。とすると『ゆく水のままに』というタイトルもまた、砂糖荷船での労働という事実に重ねつつ漂白への憧憬が意図されているのだろう。舟で水を渡る行為は西洋でも Life is but a dream(人生はただ夢である)といった世界観と結びつくので、この想像はごく順当だと思われる。

もっともこの本が興味深いのは、そうしたいわば「無為流転の生きざま」を彼らが追体験しようとしたにとどまらず、実作においても俳句にとりくんだ形跡がありありと窺われることだ。さらに五七調への翻訳も、地名その他の固有名詞がある場合を除き驚くほどやりやすい。

またこれはどこで読んだか忘れてしまったのだけれど、俳句の一行の性質が西洋の一行詩(monostich)ないし二行連句(distich)とは全く異なることをクシューがわざわざ説明していたことにも関心をもった。

なお本書は連句との関係も指摘されているようす。それゆえ任意に句を引かず、その一部を連続で紹介する。

Lazur triomphal                              
Transperce même                                      
Le hêtre noir.                                              

碧空を
さえ貫けり
黒橅は

Moissonneur dans les blés.                        
A lombre dune gerbe,                 
Une grande soupière.                                 

小麦のなかの収穫人
束の日陰で
ほねやすめ

Les ombres sallongent.                
Les champs de seigles mûrs                     
Se mettent à flamber.                  

影伸ぶや
ライ麦畑は
熟れ炎えて

Dans le soir violet                                       
Arrivée délicieuse.                                      
Il faut coltiner des sucres.                          

紫紺の夕へ
美しき入港
砂糖をかつがねばならぬ

La nuit nous enveloppe.             
Les grillons se mettent à chanter.  
Souper sous la vigne.                                      

夜に埋もれ
こおろぎの鳴く
葡萄畑で遅き餐


『俳諧』

さて次は『ゆく水のままに』併録の『俳諧』(1922年刊)。こちらはラファエル・ロザノというメキシコ人の書いたフランス語句集である(スペイン語読みだとロサノでしょうか)。この本の特徴は各句にタイトルがついていること、そしてなんといっても縦書きであることだろう。また訳してみたら、こちらも575にのせやすかった。

『俳諧』オリジナル・ヴァージョン

本文は縦書き。右から左に読む。


Le VENT :                                                 
C’est un jeune berger                              
conduisant les nuages.              

 :
白雲を率いる
若き羊飼い

LE SALUE :                                                               
C’est une femme en deuil               
Qui pleure au bord d’un lac.                         

救済 :   
喪の女
湖(うみ)のほとりで泣いており

どちらも1920年代の詩情が匂い立つかのようだ。象徴詩でありながらシンプルな写実にもなっている。ところでこの二句目、関係代名詞「qui」で折り返された文の構造を見ていると、とても有名な一文詩であるジャン・コクトー、

Mon oreille est un coquillage               
Qui aime le bruit de la mer                        

私の耳は貝の殻
海の響きをなつかしむ

が思い浮かぶ。実はこの原詩をはじめて耳にしたとき、

 モノレイユ・エ・タ/コキヤージュ
 キ・エム・ル・ブリュイ/ドゥ・ラ・メール

という韻律に「ん? フランス語ってもしかして七五調なの? そうとしか聞こえないんですけど」とおののいたことがあった。実にたわいない思い出話だが、しかしフランスの俳句は日本と同じく17音で書く(なんとそうなのです)と知ったときに少しも驚きを感じなかったのは、こうした体験の蓄積と関係している気がする。


おまけ

本書には復刻版ならではのおいしいおまけがついている。「大急ぎで語るフランス俳人史」という前書きと「あなたも俳句を書こう〜作句の手引き」なるミニ・エッセイ、そして「ハイジンの小さな図書館」と称された俳句関係本の厳選リストだ。

「あなたも俳句を書いてみよう〜作句の手引き」の頁。

「あなたも俳句を書こう〜作句の手引き」をひらくと、俳句は575が正統と断りつつ、とはいえのびのびと自由な気持ちで755557なども試してみよう、と書かれている。いずれにせよ17音の遵守は初学者の大原則らしい。実際、音数の制限は句の構造や季語の意味をまじめに考える契機になるし、俳句の俳句たるゆえんを学ぶのにきわめて重要とのことである。


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