2016-11-20

【週俳500号に寄せて】虚子から遠く離れて 山口優夢

【週俳500号に寄せて】
虚子から遠く離れて

山口優夢


10月後半、人生で初めて入院というものを経験した。

前の晩からどうも熱っぽいだるさがあると思って朝起きたら37.5度。この時点ではまだ仕事をあきらめてなくて、昼までにある程度熱が下がれば取材に行ける、と思っていたがちょっと寝て起きたら39度越え。これはダメだ、と近くの内科医院に行きインフルエンザかどうか診てもらったがインフルではないとのことなので、一安心した。家に帰って掛け布団の頭以外の3方向の端っこを巻き込むように折り込み、布団の中の熱が逃げないようにしてガンガン汗をかき熱を下げようとしたが、夕方になっても39度台で熱が高止まりしている。頭もいろんな方向から万力で締め上げ続けているみたいな痛みが続くので、仕方が無く妻の運転で脳外科病院に行ったら、髄膜炎かもしれません、ということでそのまま入院に。

腰から髄液取ります、いいですか、と医者に言われて、もう好きにしてくれ、とうんうん頷く。「寝たまま丸まってもらえますか」と男の看護師に言われ、ベッドの上で横を向いて胎児のように丸まる。横向きの自分の後ろ側のベッド脇に医者が、自分が顔を向けている側のベッド脇に男の看護師が陣取る。「もっと丸まってください」と看護師に言われ、とぐろを巻いた蛇のように丸まると、看護師が首の後ろと膝の後ろを腕でがっちり抑え込む。これで丸まった状態からもう動けない。医者が腰のあたりをまさぐっている。「ごめんなさい、結構痛いですよ」と看護師。痛みで暴れないように抑えられているのだと気がつく。あ、痛いんですか……と言いかけた瞬間、針をうりうりと腰に潜り込ませられた。

熱は翌日にはかなり引いていた。髄液を調べたものの、結局髄膜炎ではなかったらしい。なんだかよく分からないけど入院は延長。翌日には帰れるのかと思っていたらずるずる延びていく様子は、逮捕されてなかなか釈放されない容疑者を思わせた。

妻が病床の慰みになる本を持ってきてくれる。岸本尚毅氏の「高浜虚子 俳句の力」。しょっぱなに出てくる「不治の病を得てサナトリウムに入ったら虚子の俳句を枕頭の慰めとしたい」という一文は、元々知っていたが、この入院時にずいぶんタイムリーだな、狙っているのかな。虚子の句を読んで癒やされてくれということなのかな。でも一緒に持ってきたのが「神の子供」(西岡兄妹)というエログロ残虐猟奇系の極致みたいなマンガだったから、たぶん癒やそうと言うつもりではないのではないかな、などと考えた。

「神の子供」ももともと書棚にあった本で何度か読んでいたが、改めてベッドの上で広げてみる。いいね。第1章に出てくる「黒い太陽」というのは母の肛門のことを指すのだと、読み終わってスマホでネットのレビューを見て初めて知る。まあとにかくそんなマンガだ。

スマホの充電器も持ってきてもらって、充電しながらひたすらネットを漂流する。「神の子供」をレビューしているブログから飛んで恐怖系のマンガのレビューを読みあさる。日野日出志の「地獄の子守唄」とか永井豪の「ススムちゃん大ショック!」とか。飽きてくると検索画面に「週刊俳句」と入力した。

週俳の最新号では信治さんと寒蝉さんが去年の角川俳句賞の落選展について話し合っていた。え、去年の!? 何度か見間違いではないかとページを行きつ戻りつする。だってもう今年の角川俳句賞の受賞作が発表されているこの時期に、なぜ去年の? よく見ると記事は前編を今年2月に掲載し、このとき掲載されていたのは後編だった。週俳、毎週見ているから前編も見たはずだけど、正直半年以上前の記事は覚えていない……。というか、前編と後編の間が半年空くって! しかもどう考えても次の角川俳句賞が発表されてしまうからその前になんとか載せようというタイミング。。相変わらずのゆるさに癒やされる。あ、気がついたら癒やされているじゃないか。虚子の俳句ばりに。

前編からつらつらとたどって読む。

馬を彫る泉につけて来し両手 青本柚紀
おでん屋のテレビの中を兵歩む 大塚凱
虫の夜や遅れて消ゆる車内灯 折勝家鴨
漕ぎ出せば川岸長き薄暑かな 利普苑るな

自分より若い人も若くない人もいた。人は自分より若い人の活躍を見たときに「自分より若い」と認識し、人を評価する基準として若さという基準を自分の中に発生させるのではないかと考えた。

もっと言えば、若い人の活躍に普通に嫉妬した。

あと、信治さんが

「読む側あるいは選ぶ側としては、今、俳句を、作家それぞれのコンテクスト抜きで読んで評価しようとしたら、単なる技術的評価か好みの押しつけになる。技術と好みだけでは、こういう賞のような共通領域としての俳句の場を成立させることが、できないんじゃないか。

 一句一句ではなく、作家と出会うためには、句会とは違った「読み」筋が必要なのではないかと感じます。」

と発言していた。そうだ、そうだ、「週刊俳句」も今は亡き「豈weekly」も「作家と出会う」ための装置だった。むしろ「角川俳句賞」もそうであるはずで、でもそうなっていないところに彼は少し苛立っている気がした。だから、落選展にその機能を求めている。

考えてみれば僕が四苦八苦して週刊俳句に稚拙な時評を書いていたときも、週俳の「中の人」としていろんな俳人に依頼を出したときも、「●月の俳句を読む」を依頼したり書いたりしたときも、句会とは違って、「作家に出会う」ための作業だった。

しかし、「出会う」というのは実はファンタジックな表現かもしれなかった。

青嵐ピカソを見つけたのは誰 神野紗希

批評や鑑賞を通じてその作家を知るのは、双方向的な「出会う」という事態ではない。むしろ完全な一方向だ。「出会う」のではなく、「見つける」のがより正確な言い回しのように思える。見つける側と見つけられる側は対等ではない。そこに生じる、言葉にはしづらい感情を、何度も何度も感じながら僕は句作を続けてきた。

端的に言えば、僕は見つけられたいのだ。それはごまかしようがない。でも、実際には見つけること(あるいは、見つけようとすること)の中にしか真に人とつながる契機はないのかもしれない。

なんだかまた熱が上がりそうだったから、スマホを置いて眠った。隣のベッドでは、老人を見舞いに来た娘らしき女性が畑の二十日大根のことや柿の収穫について話していた。

入院して3日経った頃、手と足に赤い湿疹が浮いてきた。しかも熱を持っていて、歩くだけでも痛い。最初は点滴の薬が合わないからだろうという話を看護師からされたが、翌日中年の医師が僕のベッドまでやってきて、「感染する可能性がある病気かもしれないから個室に移ってくれ」と言ってきた。

トイレ、シャワー完備の個室に隔離だ。湿疹は2日ほどで熱を持たなくなり痛くもなくなったが、その頃医師からようやく今回の一連の不調は手足口病ではないかと聞かされた。ただし保険診療では手足口病かどうかを診断するまでの検査はできないから、診断書にはウイルス性の感染症、とのみ記入するとのことだ。

隔離された個室を訪れる者はいなかった。ただ点滴を換えに来る看護師と、掃除にくるおじさんと、女性の医師が代わる代わる姿を見せるだけだ。院長回診という珍しいものも見ることが出来たが。本当にあんな大名行列みたいなものが、とその後で看護師に言いかけてやめた。

着替えは妻がナースステーションに預けて看護師が部屋に持ち込んだ。窓から見えるのは遠くの山と誰も通らない路地。病室を移ったその日は日曜日だったため、どこかから祭りの音が聞こえていた。隔離される前に隣のベッドにいた老人は、月曜日に退院すると言っていた。おそらく退院したのだろう。

看護師は何人か入れ代わり立ち代わり現れたが、いずれも献身的な様子だった。「お熱はどうですか」「お食事は食べられましたか」「点滴外しますね」「手の赤いぶつぶつもだいぶよくなってきましたね」そうじゃない、あなたが話しかけているのは患者であって、山口優夢ではない!山口優夢を見つける者はそこには来なかった。自分を見つける者の来訪を待ち望む自分の心性の卑しさに、僕は憮然とせざるを得なかった。

その日の夜、織田裕二が変なしゃべり方をする推理ドラマを見終わってテレビにいいかげん飽きた僕は、スマホの検索画面で「週刊俳句」と入力した。見ると、堀下翔さんがまるごとプロデュースをやっている。参加者は自分より若い人しかいないようだ。これだけの人数を集めてこれだけの先人を見つけようとする気概を眩しく思った。その中で取り上げられていた福永耕二は僕も好きな作家だ。

めつむれば怒濤の暗さ雁渡し 福永耕二

いいぞ、もっとやれ。見つける努力を、僕たちは怠ってはいけない。目をつむったままの、亡くなってしまった福永耕二を、僕たちが見つけるのだ。そのための場は、毎週日曜日に定期便のように来る。これからもたぶん来る。否、毎週日曜日を待つ必要など本当はない。日曜日に来るそれを、利用するだけ利用し尽くしたら、後は自分の力で立ったっていいんだ。見つけることと見つけられることの混沌の中からしか僕は生まれ直せない。

ああ、たぶん僕が今いるところは、虚子から遠く離れているのだろうな。入院の8日間ではちょうど100句を作ったが、まだ1句も発表せず、手元に隔離してある。


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