2016-11-06

松島の月 三村凌霄

松島の月

三村凌霄


わたくしが羈旅を厭う情は、蓋し吟行に端を発する。異郷ならずとも、少し日常を離れた土地に赴いたならば、山川を眺望して徒なる沈思に耽り、それにも倦んだならば、淫する所の古書を出だして眼前の風光を遮り、文字の林を彷徨したい。わたくしは十七字を持ち寄って品隲(ひんしつ)するの煩に堪えない。

蕉翁が身を天地の一沙鷗と為した、その意は那辺に在るのか。都合の良い引用が許されるならば、答えは芭蕉本人の言葉の中に求めることができよう。「白河の關越えんと」、「松島の月まづ心にかかりて」、出で立ったのである。

月などどこでも見られるではないか、と言ってはならない。松島の月でなければならなかったのだ。点々たる月下の島影を賞するためではない。ただ月こそが心のあくがれゆく処だったのである。

芭蕉は句を作るために旅をしたのでもなかろう。目的は――ひとまず、古人の意を探るため、とでもしておこうか。酔翁の意は酒に在らず、句を作ることは目的のための方法に過ぎぬ。もし芭蕉が歌人だったならば、己が心を種として繁き言の葉を育んだであろうし、詩人であったならば、平平仄仄、格律のうちに志を刻印したであろう。絵事(かいじ)を究めた者であったなら縑素(けんそ)の上に胸中の丘壑(きゅうがく)を描き出したであろう。

杜甫は天に弄ばれてか、已むを得ず漂泊の身となったが、芭蕉は敢て己を流謫の刑に処した。これもまた方法の一である。みちのくという空間を動き回りながら、いにしえと繋がる時空を探し求めたのであろう。

        *

昨年わたくしは西スラヴの地に遊んだ。忘れ難いのはクラクフの夕暮である。広場に坐して天を仰ぐ。この地の夕暮は、夜の帳が下りるのではない。昼の光の帳を、天が引き上げるのだ。秋雨に湖水の嵩が増すように、爪先へ、膝へ、腰へ、肩へとせりあがる薄闇に身を委ねながら、その昔タタール軍に胸を射られた喇叭手を悼んで今に絶えず奏でられる金管の音に耳を欹てる。昼の名残の光は、尖塔から雲の底へ移る。niebo(そら)、chmura(くも)、zmierzch(たそがれ)、……これらの単語に遭うたびに、故郷ならぬ地を思って、帰心が騒ぎ出すのである。

だがその黄昏はあまりに遠い。今わたくしの傍にあって密友の如く語りかけ、疲怠せる心神を慰めてくれるものは、ただ喞喞(しょくしょく)たる虫の声あるのみである。それでももし出来ることならば、青と白、光と影のほかは何もない処を目指して、桴(いかだ)に乗って海に浮かぼうか。

海洋には純然たる色彩の美があるばかりである。海は飽くまで自由である。自由にして大きな海を見れば、陸上の都會に於て、自分の心を激昂させた凡(すべ)ての論爭も、實に小さなつまらないものとなつて、水平線の下に沈み消えてしまふではないか。新しい劇場や新しい橋梁の建築に對して、或は各處の劇場に演じられる突飛なる新興藝術の試みに對して經驗した憤怒の如きは、全く我ながら馬鹿らしい事だと心付く。海洋に於ける大きな自然の美は陸上のつまらない小さな藝術の論爭などを顧みさせる餘裕を許さない。
(永井荷風『紅茶の後』「海洋の旅」)

平成二十八年中秋節初夜記

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