2017-02-12

【「俳苑叢刊」を読む】 第3回 石橋辰之助『家』 山を下る 仮屋賢一

「俳苑叢刊」を読む
3回 石橋辰之助
山を下る

仮屋賢一


繭干すや農鳥岳にとはの雪   石橋辰之助
朝燒の雲海尾根を溢れ落つ
石橋辰之助の代表作とも言えるであろうこれらの作品は、彼の第一句集『山行』に収められている。彼が「山岳俳人」などと称されるきっかけとなった句集というのが頷けるほど、山岳を対象とした作品が大半を占めている。この『山行』から他にもいくつか書き抜いてみる。
遠ざかる雪崩や爐邊に目をとづる
登山綱(ザイル)干す我を雷鳥おそれざる
岩灼くるにほひに耐へて登山綱負ふ
橇あそび雜木林の雪に來る
學童のゆきさす床の雪まみれ
若者の日照雨に濡るゝ春來たり
花に彳ち農場の麵麭を喰ひちぎる
これらの作品にうかがえるのは、彼の、眼前の光景に対する真っ直ぐな讃美。比較的に人間の存在を意識させるような作品を選んでみたのだが、どれも焦点は人間やその行為、感情ではなく、光景や自然といった、広い映像が立ち上がってきて、よい写真作品を見ているかのよう。つまり、人間は自然の一部として、大いなる自然を讃美するための一つの要素として存在しているのである。想像だが、それは彼の、自然に対する敬意のあらわれなのかもしれない。

中でも、「雪崩」の作品は一見、作中主体の内面世界を指向するような措辞が並ぶが、「雪崩」の持つ壮大さや迫力は、作品が内面的な描写となることを許さない。視覚を断ったからこそ、他の感覚から雪崩を想起することで、より力のある雪崩の虚像が立ち上がってくるのである。




『山行』には、終助詞「や」を使った作品も散見され、先に挙げた「繭干すや」「遠ざかる雪崩や」の他にも
古苑や徂く春の花眞つ盛り
月明や乘鞍岳に雪けむり
紺青の空が淋しや萩の花
初蟬や河原はあつき湯を湛ふ
秋晴や笹生のひかり木がくれに
藁干すや來そめし雪の明るさに
南風やゆく人まれに萱さわぐ
とある。「や」という一音によって、人の些細な身の上の世界から大きく引き離され、大自然の詠嘆へと導かれる。

若さによるところの勢いや真っ直ぐさを排除して鑑賞した際に『山行』の作品群から一抹の寂寥感を感じることを禁じ得ないのは、自然という対象と、人間という自分自身を引き離して捉えている、というところもあるのかもしれない。それだけ、当時の彼にとって大自然と人間とはかけ離れたものであり、それだけ離れているからこそ、淋しくならずにいられるのかもしれない。 




『山岳畫』においては終助詞「や」の使用はぱったりと止み、全体的にも大自然との精神的な距離が一気に縮まったようである。
われのみの靜けさ霧に妻こほし
おのれ恥づ冬山の日の淸らなる
新雪に踏み入りおのれ影小さし
野の夏日無邊にせまり彳ちつくす
秋空のつめたさ谷の日をおほふ
霧にほふおもき障子戸のうちにねむる
またゝく灯冬山の夜をよびかはし
あれほどまでに離れていた大自然と人間とに、交わりが出来ている。一句目では大自然の静けさのなかに「われ」が確かな主体性を持って存在するし、五句目では「秋空のつめたさ」と、自然と人間の知覚とがそこに入り混じっている。これらのことは、決して大自然に対する敬意が薄れたためというわけではなかろうが、『山行』のときの真っ直ぐさには若気の至りのような部分もあったのかもしれない。年齢を重ねてゆく間に、妻を娶ったり子を授かったり、そういうことも無関係ではないだろう。

大自然が必ずしも別世界とはいえなくなった以上、その片隅にぽつんと存在する自分自身という存在を寂しく感じることもあったのだろう。『山行』のときの不安がついに現実的なものとなった。


『山行』から『山岳畫』にかけて、雲海の上の、まさに別世界といえる山頂から、だんだんと人間世界へと下山をしてゆくような、そういう感覚になる。




そして、『家』。
雪山の闇たゞ闇にすがりゆく
秋日向鐵材は子にあたへられ
秋睡るわが子に晝の汽車ひゞき
裸馬枯園のぞきつまづける
夕凍てし工場の扉を猫出て來ぬ
高原に五月の雪を踏みちらす
從軍僧默り白菜陽にちゞれ
軍醫の眼赤し山脈の襞赤し
工場の吐く水の上に家暮れぬ
雪山に英靈の供華あたらしき
表現の対象・関心が人間に向いている。意味性やインパクトの強い言葉が多く、その背景として自然が存在しているだけである。一句目は、雪山を表現してはいるものの、「すがりゆく」という言葉の印象が強い。『山行』のころの石橋辰之助であれば、二つの闇の存在をストレートに褒め称えたであろう。しかしこの作品で彼は、そこに頼りなさげで人間味のある、見方によっては滑稽にも思えるような描写をしているのである。滑稽、といえば四句目もそうで、かつては主役にもなり得た「枯園」は、舞台装置として背景に控えめに存在しているだけである。六句目も「踏みちらす」が映像の軸となり、足回りにズームインした、ピンポイントの映像が再生される。
 

「山岳俳人」と呼ばれるような句集を編んだ同じ人が、後に七句目、八句目のような作品を収めた句集を編むようになるのである。こういうことがあるから、今の人でも、長く同じ人を見続けるのはおもしろい。
 


 
『山行』から『家』までの間は5年ほど。その間にガラリと方向転換をしたのは、彼の周囲にいた才能ある人々の存在も大きいだろう。ただ、変わった部分が大きいものの、彼の絶妙な対比の手法は受け継がれている部分が大いにあるし、俳句作品が変わったとしても、自然と自分との個人的な向き合い方は変わっておらず、そこには常に畏怖と尊敬、そして信頼があるのだろう。


 

『家』に所収された『山行』『山岳畫』『家』。石橋辰之助が「山岳俳人」という個性を捨ててゆく過程がここにある。鑑賞する身としては、彼とだんだん親しくなってきたような気分になるが、一方で物足りなさも感じざるを得ない。この時点にたどり着いて、ようやく新たな作家としてスタートすることが出来るのだろう。……と、自分自身に言い聞かせるために書いて、この気ままな文章を終えることとする。

2 comments:

匿名 さんのコメント...

>秋晴や笹生のひかり木がくれた

という句、唐突に口語になっていますが、もしかして「木がくれに」ではないでしょうか。

Unknown さんのコメント...

執筆いたしました仮屋と申します。
確認いたしましたところ、ご指摘の通り、「木がくれに」でした。執筆の際の間違いでした。運営の方に記事の方に訂正をお願いしました。
ご指摘に感謝いたしますとともに、こちらの不手際で誤った上に確認漏れをしてしまったこと、改めてお詫び申し上げます。