2017-02-26

【句集を読む】 憂いが日常と化したところで 中原道夫『一夜劇』と高野ムツオ『片翅』 福田若之

【句集を読む】
憂いが日常と化したところで
中原道夫一夜劇』と高野ムツオ片翅

福田若之



いま、手元に、どうにも語ることがむずかしく感じられる句集が二冊ある。中原道夫『一夜劇』(ふらんす堂、2016年)と高野ムツオ『片翅』(邑書林、2016年)だ。

いずれも昨年の十月末に刊行されたこれら二冊の句集は、それぞれ別個の社会的な事件をその重要な主題のひとつに据えている。前者はパリでの同時多発テロ、後者は東北での震災である。

もちろん、二冊の句集の書き手はそれぞれの事件の起こった土地における立場を大きく異にしている。パリで、中原道夫はつかのまの滞在者であり、東北で、高野ムツオはながらくの定住者である。そして、土地とのかかわりのこの違いは、これらの句集が出来事をとりあつかう仕方の違いに反映されている。『一夜劇』がパリでのテロについて語るのは、句集の終わりにさしかかってのことだ。そこから一気にまとめてこの出来事にかかわるもろもろのイメージが句集になだれこんでくる。これに対して、『片翅』はつねに震災以後の環境に身をおきながら、ときおりぽつりぽつりと思い出すかのように、震災にかかわることをつぶやくように語っている。

だが、そうした違いにもかかわらず、両者には決定的に共通しているところがある。それは、ひとつには、どちらもがその語ろうとする出来事がすでに「事件」として起こってしまったあとに、いわば「事件」の名残りとしての土地に身を置きながらその「事件」を語ろうとしていることだ。さらにまた、両者の取り扱う「事件」は、いずれもすでに近い過去の記録と化しながらも、同時に、それらについて根本的な解決はいまだに果たされてはいないという類のものである。このとき、これらの句集に滲み出ることになるのは、あの長期的な宙づりの感情としての憂いにほかならない。憂いが日常と化したところで、これらの句集は、その土地に刻まれた「事件」の痕跡を語るのである。

血は花と散る隱れ家に暖取りし跡 中原道夫(「隱れ家」に「アジト」とルビ)

「あとがき」によれば、「主謀者の濳んでゐた〝隱れ家〟から然程離れてゐない所に私の宿はあり、その距離から當然緊張は强ひられた」という。句の語り手は、宿にありながら、報道の伝えるその近くて遠い〝隱れ家〟のありさまを「事件」の痕跡として自ら語りなおしている。重要なのは、語り手の宿とテロの主謀者の〝隠れ家〟とが、その近接によって換喩的に結びつけられるものであると同時に、「暖取りし跡」という句の記述にみられるとおり、閉じられた生活空間として隠喩的に結びつけられるものであるということだ。〝隱れ家〟は、こうして、語り手の泊っている宿と重なりあう。

もちろん、「事件」はパリの本来の日常にとって異質なものだったはずだ。「新聞・TVでは自爆テロのことを〝KAMIKAZE〟と日本の特攻隊の名を使用」という前書きの付された《神在にKAMIKAZEの吹く狂氣かな》の句が語っているとおり、それはあくまでも「狂氣」だったはずなのだ。にもかかわらず、異常な「事件」の痕跡はこの日常にあり、しかも、どうしようもなく日常的なすがたでここにある。だからこそ、《主犯にも新年圍むはずの家族》ということが、語り手には想像されずにはいない。憂いの残る異境にあって家族を顧みるとき、語り手のその思いは、望むと望まざるとにかかわらず、自ずからテロの主犯と重なりあってしまうのだ。

異常であるはずの「事件」の痕跡が、生々しいありさまのまま、日常に、日常的なすがたであるということ。それはまた、『片翅』がその全編を通じて語ろうとしている事態でもある。やはりここでも生活空間が、隠喩的であると同時に換喩的でもある仕方で、「事件」の痕跡と結びつけられる。

寒気荘厳原子炉建屋もわが部屋も 高野ムツオ

地震の痕跡であり、同時に震災の現状でありつづけているあの原子炉建屋と自分の暮らす部屋とには同じ寒気がはりつめている。二つの空間は、寒気を孕むことによって類似していると同時に、寒気を通じて近接している。両者を満たしているのは同じ東北の寒気なのである。《お降りや仮設長屋に原子炉に》もまた、たしかに仮設住宅にあるのは本来の日常ではないとしても、やはり生活空間を原子炉の空間と結び付けている。両者はともに雨に濡れて類似し、雨雲の下に近接している。日常は「事件」の痕跡と重なり合っている。たとえば、《花見弁当大震災の記事の上》という一句は、極めて明瞭なかたちでそのことを示すものである。

それにしても、僕はこれらの作品に触れながら、あらためて俳句形式のある種のゆるぎなさにおそれおののかずにはいられない。これらの句集において、俳句形式は、「事件」にかかわる語彙を、俳諧以来この形式に根づいている俗語の接収の回路を働かせることで、いともたやすく自らのうちにとりこんでしまえているように見えるのだ。たとえば、『一夜劇』の《無差別の無は神のみぞ知る霜夜》における「無差別」や《殺戮に霜月も神不在なる》における「殺戮」は、パロディをはじめとする言語遊戯の所作によって、平時の《鳰潛る徒勞の底の見えてをり》における「徒勞」や《自由形の拔き手そのまま拔けさうな》(「自由形」に「クロール」とルビ)における「自由形(クロール)」などとほとんど変わらない仕方で、驚くほど容易に俳句形式に捉えられてしまっている。『片翅』の《また降って来る氷塵かセシウムか》における「セシウム」、《鬩ぎ合う岩盤の上雛祭》(「岩盤」に「プレート」とルビ)における「岩盤(プレート)」あるいは《せりなずなごぎょうはこべら放射能》における「放射能」なども、雅語に対する俗語として句のなかに受け入れられた結果、ここでは完全に俳句形式の制御下に置かれているのである。僕たちは、まさしくあの「事件」によって、危険を人間の技術によって完全に制御できると考えることの傲慢さを学んだはずだ。それにもかかわらず、俳句形式は、書き手がまさしくそのことの傲慢さを告発しようとするときにさえ、異質な語彙が俳句形式にもたらす危険をその書き手の技術によって完全に制御するよう、書き手に要請してやまない。旧来の俳句形式は、僕たちが一度その傲慢さを学んだはずの神話を、いまなお、僕たちにふたたび演じさせ、信じ込ませようとしてやまないのである。

地盤としての俳句形式の安定は、異常であるはずの「事件」にかかわる語彙が、もはや俳句形式にとって、日常に、日常的なすがたで存在するものとなってしまったということを意味している。これらの語彙は、たしかにそれが俳句に書き込まれること自体によって、「事件」の痕跡たりえてはいる。しかしながら、それらは、生活空間と共存するほかの数々の痕跡と同じく、この日常に、まったくのところ日常的なすがたで現れているのだ。この点、二冊の句集は、かつて虚子が俳句は戦争に何の影響も受けなかったと述べていたことを思い出させるほどに、ある意味では「事件」に対する俳句形式の美しい勝利であるとさえ感じられる。その上、書き手にとっての「事件」の痕跡のありようがそのまま俳句形式におけるこれらの語彙のありようとして体現されているという点でも、これらの句集はたしかに表現的な成果をあげているのだ。だが、テロや震災に関する語彙が俳句形式に降りかかってくるという「事件」は、俳句形式のじつに虚子的な勝利をもって、やはり本質的には何ら解決していないように思われてならない。したがって、これらの句集を前にしながら、僕はこれらの句集に表されたのと同様の憂いを抱かずにはいられないのである。憂いが日常と化したところで、僕たちは、「事件」を巧みに飼い殺そうとする俳句形式からいかにしてその「事件」を守り、あくまでも「事件」としてそれに向きあいつづけることができるのか。その答えが、この日常から、書くことを通じてそのつど再び見出されるのでなければ、僕たちはなおもこの憂いに生きるほかないに違いない。

1 comments:

亀割潔 さんのコメント...

こちらの記事について、橋本直様のリツイートをさらにリツイートするかたちで短く私見を述べております。俳句について考え自分の言葉にする良いきっかけをいただき、ありがとうございました。