2017-04-16

【「俳苑叢刊」を読む】 第12回 西東三鬼『旗』 懐かしい旗 西村麒麟

【「俳苑叢刊」を読む】
第12回 西東三鬼『旗』

懐かしい旗 西村麒麟

俳句を初めてわりとすぐに親しんだ俳人の一人が西東三鬼であったことを思い出した。二十歳前後にたまたま芸林書房の『西東三鬼句集』を手に入れたのがきっかけだった。続いて『わが愛する俳人』の第一集に三橋敏雄が三鬼について書いてある文章も夢中になって読んだ。

水枕ガバリと寒い海がある
絶叫する高度一万の若い戦死
枯蓮のうごく時きてみなうごく
火事赤し哄笑せしが今日黒し
滅びつつピアノ鳴る家蟹赤し

等に衝撃を覚え、三鬼の独特な経歴や人物、エピソードを面白く思い、それが僕の中で大いに膨らみ、憧れた。

西東三鬼に夢中になっていた僕から、十数年の月日が流れ、最近ではほとんど三鬼を読み返すことはなくなり、好きであった気持ちもかなり薄れてしまっていた。正直に書くと、「もう飽きてしまった」という態度の方が大人というか、格好いいと思うようになったのかもしれない。今回は良い機会なので、先人の文章を鵜呑みにするのではなく、もう一度自分の眼で三鬼を読んでみたい。

思い出話が過ぎたけれど、『旗』に話題を移そう。

『旗』の特色として、三鬼の俳歴の短さに驚かされる。三鬼は33歳(昭和八年)で俳句を初め、数年後には〈水枕ガバリと寒い海がある〉を発表している。
東京堂『昭和俳句作品年表 戦前・戦中篇』を開くとわかりやすいので少し引いてみる。

昭和10年
あきかぜの草よりひくく白き塔
咳きて神父女人のごと優し
昭和11年
春夕べあまたのびつこ跳ねゆけり
算術の少年しのび泣けり夏
緑蔭に三人の老婆わらへりき
水枕ガバリと寒い海がある
右の眼に大河左の眼に騎兵
白馬を少女瀆れて下りにけむ
不眠症魚はとほい海にゐる
手品師の指いきいきと地下の街
道化師や大いにわらふ馬より落ち


俳句を初めて二、三年ほどで、よく知られた所謂三鬼の作品を多く残している。
『旗』は、俳句を初めてたったの数年の、ほぼ才能だけで書かれたような句集(昭和10〜14年の句)だ。上手な、巧みな、器用な、という程度の言葉ではまるで足りない。

「西東三鬼とは何だったか」とのタイトルで鈴木六林男が次のように書いている。

西東三鬼の業績は『旗』をもって終わっている、とするのが私の三鬼観である。(1992.4『俳句空間 第十九号』)
それは言い過ぎだが(ちなみに誓子は激浪までである、という氏の言葉もある)、そんな風に熱弁したくなる句集と言うことだろう。そろそろ本当に句集の中身に入ろう。

咳きて神父女人のごと優し
冒頭の「アヴェ・マリア」連作の中ではこの句に惹かれる。住職にも優しい人は居るかもしれないが、「女人のごと優し」の感じは出ない。連作の他の句は少しわざとらしい気がした。

あきかぜの草よりひくく白き塔
意味としては塔が小さく見えた、というだけの句であるけれど、白い塔が小さな光を放っているような、不思議な魅力がある。従来の俳句とは異なるものを作ろうとする、作者の意気込みを感じる。

小脳をひやし小さき魚をみる
水枕ガバリと寒い海がある
不眠症魚は遠い海にゐる

誰もが知っている有名句、ガバリ。名句鑑賞的な本を開くと、三鬼のページにはガバリの鑑賞が掲載されていることが多い。誰もが認める代表句ということだろう。その前後の句の〈小脳をひやし小さき魚をみる〉〈不眠症魚は遠い海にゐる〉も良いと思うのだが、ガバリのおまけのような扱いが多い。高熱にうなされながらの想像上の海であり、幻の魚だろう。この「寒い海」は死のイメージと評されることもあるが、前後の句を読むと、そう悪いイメージばかりでもないのではないかと思えてきた。高熱の中で想像する魚や海は孤独ではあるが、少し涼しくはないか。高熱の重たい我が身を捨てて美しい小さな魚にでもなり気儘に泳ぎまわりたい、というような空想があったのかもしれない。

三鬼は寂しがりやであったかもしれないけれど、孤独好きでもあったのではないだろうか。

長病みの足の方向海さぶき
アダリンが白き軍艦を白うせり
微熱ありきのふの猫と沖をみる
熱さらず遠き花火は遠く咲け
冬海へ体温計を振り又振り

三鬼は病弱な中年であるが、病弱な少年の持つ、諦めに似た倦怠感を感じる。自分の弱さを嘆くでもなく、ただただ遠い海を眺めている。「寒い海」は慰めてくれることはないが、三鬼のいつも近くにある、懐かしい風景なのかもしれない。

画家のルオーはキリストの他、娼婦やサーカス芸人など、当時における社会的弱者を題材にした絵が多い。あの厚く塗りたくった絵を見ていると、不思議と優しい気持ちになる。別にルオーと三鬼が似ていると言うつもりはないが、三鬼の作品からも弱きものに対する優しい視線を感じる。

春ゆふべあまたのびつこ跳ねゆけり
手品師の指いきいきと地下の街
道化師や大いに笑ふ馬より落ち

自解等を読むと実際には異なるのだが、この手品師や道化師も三鬼自身のような感じがする。ほらほら、と戯けてみせているようだ。「面白い」は「哀しい」し、「哀しい」は少し「面白い」。三鬼のサービス精神にもそんなところがある。

詩や絵画、音楽等の芸術の中には幸福が詰まっているが、実際の景色は不安や不幸がごろごろ転がっている。三鬼は不安や不幸を見捨てることなく、いきいきと詩にしてしまう。

汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ
葡萄あまししづかに友の死をいかる
顔つめたしにんにくの香の唾を吐き
哭く女窓の寒潮縞をなし
絶壁に寒き男女の顔ならぶ
誕生日美しき女見ずて暮れぬ

日常は唾を吐きたくなるような、そんな日の方が多い、残念ではあるけれど。テレビや映画、芝居に到るまで、人は幸福と同じぐらい、不幸(を見ること)が好きである。不幸の全くない芝居ばかりを、そう長々と見続けることが出来るものではない。三鬼の俳句は三鬼の人生と同じく、劇的で、退屈を嫌い、スリリングである。実人生も劇的であるのが、三鬼の正直なところかもしれない。三鬼は大変だったかもしれないが、読者にとって三鬼の作品は常にドラマチックである。

人生は不幸であるから、幸福だけを詠む、という態度は正しい。それと同様に、人生は不幸であるけどそれをそのまま詠むことも同等に正しい。

銅像の裏には青き童(こ)がゐたり
夏痩せて少年魚をのみゑがく
算術の少年しのび泣けり夏

有名な算術の句は自分の息子がモデルらしいけれど、僕には上の三句の少年は、全て幼き三鬼のように見える。三鬼の心の中にはいつまでも、病弱で繊細な少年が住んでいる。僕はこれらの句を読む時にいつも懐かしい気持ちになる。それはこれらの句の中の少年を幼き自分に置き換えて読んでしまうからだろう。

今までに挙げてこなかった句では

右の眼に大河左の眼に騎兵
ランチタイム禁苑の鶴天に浮き
空港の青き冬日に人あゆむ
冬草に黒きステッキ挿し憩ふ
荒園のましろき犬に見つめらる
昇降機しづかに雷の夜を昇る
兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り
僧を乗せしづかに黒い艦が出る
巨き百合なり冷房の中心に

などが今回読み返してみて面白く思った。今回はここまでで長くなってしまったので、特に指摘はしないことにする。

では、終わり。

としたかっけど、問題の作品群が残っている。いくつか評論を読んだけれど、なんというか、あまり評判のよろしくない、心意気は買うよ、と言われるような作品、そう「戦争」句についてちょっと触れたい。

機関銃熱キ蛇腹ヲ震ハスル
機関銃眉間ニ赤キ花ガ桜ク
機関銃機関銃ヲ射チ闇黙ル
逆襲ノ女兵士ヲ狙ひ撃テ!
絶叫する高度一萬の若い戦死
「戦争」では機関銃の句が十五句並んでいて、目にもうるさく、まことに騒がしい。連作中最も効果があったのは、愚直にまでぶっ放し続けた機関銃句ではないだろうか。三鬼の機関銃はまるで生き物のように暴れまくっている。

「戦争」の句は三鬼が映画の中で一兵卒として出演しているような感じがある。ドラマはあるが、戦争の生々しさは感じない。現実の戦争を馬鹿馬鹿しい、愚かなことだ、と怒りつつも、生々しさを感じない句にすることが、三鬼流の皮肉だったのかもしれない。
戦争句は全体的には評価出来る句はあまり見つけることは出来なかった。三鬼にしても、巧いだろう?とは思ってなかったのではないだろうか。むしろ読者がギョッとした顔をすることを期待したかもしれない。戦争は恐ろしいものであり、馬鹿馬鹿しいものである、と三鬼は皆を代表して機関銃を放ってみせた。巧いとか下手であるとか、そんなケチな話ではないのだろう。

そう言えば、僕はちょうど三鬼が俳句を始めた三十三歳であったことを思い出した。『旗』は俳句を初めて数年の作品であるから、小慣れてはいない、ぎらぎらとした原石だ。

三鬼を卒業することは、大人になるということであるどころか、詩において大切な熱い血の喪失ではないだろうか。

今後も僕は『旗』を時々無性に読みたくなり、やがてまた飽きて嫌になる、そんなことを繰り返す気がする。

0 コメント: