2017-06-25

【俳苑叢刊を読む】 第18回 竹下しづの女『䬃』 かたくな 工藤玲音

【俳苑叢刊を読む】
第18回 竹下しづの女『䬃』

かたくな

工藤玲音


竹下しづの女の「颯」を、お願いします。と言われ、すぐに検索した。「先駆的女性としての宿命を生きた俳人」「意志力、行動力、包容力、元気印の元祖のように喧伝されている」と知り、わたしに担当が回ってきたことも、なにか意味があるような気がして背筋が伸びた。

短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)

しづの女の代表句である。「保育園落ちた日本死ね」、が流行った現代の日本であっても、一歩下がってしまうほどの言いようだ。ましてや育児は女の仕事、と子供を愛する母親が女神のように美徳とされていた大正時代、この句のインパクトは物議を醸しただろう。『ホトトギス』の巻頭にこの作品が選ばれたことが、どれだけの決断か思いを馳せる。それにしても、ものすごい剣幕である。そんな、そこまで言わなくても……と思う。しかし、この句の前には

短夜を乳足らぬ兒のかたくなに

とある。母としての感情の波が読み取れる。ただでさえ蒸して寝苦しい短夜に、子の授乳のために泣いて起こされる。はじめは、頑なだなあ、と思い弱弱しく起き上がるも、度重なるうちに、「ああ、もう、捨ててやろうか!」と一瞬頭に血が上ったのだろう。子を育てる母の苦労を私はまだ知らないが、相当の覚悟が必要だと思う。

處女二十歳に夏痩がなにピアノ彈け

ひい、勘弁してほしい。二十歳の女に喝を入れている。「夏痩がなんだ、まだ二十歳でしょうが」。しかし夏痩は、ダイエットとか、スリムとか、そういう次元ではなく、栄養不足などでふらふらだったわけだから結構きつい叱咤である。

夏痩の肩に喰ひこむ負兒紐

を見ると、しづの女自身もそのつらさを経験していることがわかる。だからこそ、だ。二十歳の女が甘えたことを言うのが許せなかったのかもしれないし、つらくてもやらなければいけないのだ、とおしりを叩かなければならなかったのかも知れない。ごちゃごちゃ言うんじゃないよ、若いだろ、わがまま言うな、働け!

夏痩もせずたゞ眠き怖しゝ

だからこそ、老いてからのこの句が切なく響く。夏痩が恋しいとすら思える。

しづの女は夫が急逝したのち、働きながら5人の子を女手一つで育てた強い母だ。男性社会の中で働きながら生きていくためには、強気でびしばしいかなければ、負けてしまったのかもしれない。どうしてもしづの女の句は「喝!」というイメージがあり気圧されるが、そのような背景を考えるとめそめそなんてしていられなかったのだろう。 

ことごとく夫の遺筆や種子袋

夫を亡くした悲しみに触れる瞬間でさえ、働いているときなのだ。種子袋に遺された直筆は、遺書よりも濃く、かつての生をひしひしと思い知らされるだろう。それも、ことごとく。手に取る種子袋どれをとっても夫の字。種子袋の軽さが切なく、胸に迫る。

父のなき子に明るさや今日の月
おもむろに月の腕を相搦み
妻が守る防空の夜の露けさよ


子のことを「父のなき子」であると思い悩む夜もあったのだろう。しかしそれでも月光の下で、しづの女が「母」として「妻」として、しっかりと立っている句が美しい。大丈夫、大丈夫よ。と言い聞かせているようにも見える。

凍て疊に落ちてひろごる涙かな
大いなる弧を描きし瞳が蝶を捉ふ


ふとした瞬間をスローモーションのように切り取ることにも長けている。涙を吸う畳、ふわりと浮いたまま止まる筆。しづの女の一瞬は俳句となって永遠になる。

窓しめて魂ぬけ校舎干大根
書庫暗し若葉の窓のまぶしさに


しづの女は教員や図書館司書として働く中で、学校を詠んだ句も多く作っている。魂のぬけたような校舎と干大根のひょろっとした姿が妙に合っている。書庫の句は特に多い。書庫の窓から四季を見つめ、俳句を見つめていたようだ。

遠の灯の名ををしへられ居て涼し
灯りぬ花より艶に花の影
孵卵器もnoteも春の寝に委ね


読み心地よく、やさしい句も多い。歳を取るごとにしづの女の句から怒りや勢いが抜け、祈りに変わってゆく。眼光の鋭さが、柔らかい「まなざし」に変化してゆく。老い、あるいは若さのことを考えてしまう。

しづの女の「須可捨焉乎」は一時の育児のヒステリック、あるいは母のつらさを大胆に示したパフォーマンスだったのだろうか。

痩せて男肥えて女や走馬燈
汗臭き鈍の男の群に伍す
苺ジャム男子はこれを食う可らず


これらの句を作る原動力と、それを声に出して世に出す勇気は並のものではないだろう。男性社会の中で負けじと努力したしづの女は、そもそも根っこにものすごい強さ、明るさを持っていたからこそ、負けず嫌いで、「男勝り」で、迸る気概があったのではないだろうか。その猛烈な思いの矛先こそが男尊女卑の風潮であり、立ち向かうために強い母で居続けたのだろう。

かたくなに日記を買はぬ女なり

冒頭の授乳の句以外にも、「かたくな」という言葉が詠み込まれた句がいくつかあり、しづの女らしいと思う。しづの女をひとことで表すとき、「かたくな」はぴったりくるように思う。仕事に、子育てに、暮らしに、頑なであり、その力強さが俳句にももれなくあふれている。後記には「藝術に進歩はない。あるのは變遷ばかりである。といふのが私の主張である。」とある。すがすがしいほどにきっぱりとしていて、かたくなな人だったのだろう。

ここまで書き終え、「捨てちまおうか、と思ったことある?」と母に聞いてみた。「なにを?」と聞き返される。わたしを、と答える前に「はやくお皿洗って」と言われた。母は強い。お皿、洗います。

1 コメント:

匿名 さんのコメント...


苺ジャム男子はこれを食う可らず

とあるのは、

苺ジャム男子はこれを食ふ可らず

でしょうか。

ところで、

夏痩もせずたゞ眠き怖しゝ

という句、初めて見ましたが、不思議な句ですね。
「おそろしし」と読むのでしょうか。
「おそろし」の終止形を誤ったのかと思いますが。
その前の「眠き」が連体形なので、上五中七までが主語、「怖しゝ」が述語なのでしょう。
主格の助詞を省いた断裂感に、しづの女らしさを感じました。