2017-12-24

【週俳11月の俳句を読む】異変 大塚凱

【週俳11月の俳句を読む】
異変

大塚凱


初冬や西でだらだら遊びたし 西村麒麟

この「初冬」のおおらかな付け具合とフレーズの抜き加減が、やはりかねてからの西村麒麟の魅力に違いはない。しかし、西村麒麟の俳句に、わずかな異変が起こっている気がしつつある。

虫籠に住みて全く鳴かぬもの 同
秋の夜の重石再び樽の上   同

「全く」と語調をととのえた上で着目しているのは、鳴かない虫。その視点自体は従来からの持ち味ではあるものの、虚しさや哀れみを湛えている比較的情の濃い句だ(もちろん、語調自体はなめらかで全く激情的ではないものの)。掲句下段の「再び」も同様、当該の副詞によって連続性、敢えて過剰に言えば永遠性への漸近を感じる。この書きぶりは、副詞に呼び出された用言の力によって景色だけではない新たな次元を加えている、と分析できるだろう。次元を加えるという意味合いでは、本作は「空間」への志向が作者の従来よりも高まっているように感じられる。

栗の秋八王子から出て来いよ 同
林檎の実すれすれを行くバスに乗り 同
我のゐる二階に気付く秋の人 同

いずれも、句の肝は空間の認知にある。「栗の秋」と前置きした上で、「八王子から出て来」るというイメージを想起させる鳥瞰。「林檎の実すれすれ」というミクロな空間把握。「我のゐる二階」という内界に対して、「秋の人」という外的な”異物”が認知されるという構造。本連作の冒頭に通底するテーマは、臨界に対する意識である。<一ページ又一ページ良夜かな>以降、作者の意識は「空間」だけでなく「時間」へも拡張していく。

焚火して浮かび来るもの沈むもの 西村麒麟

この「焚火して」の入りは、西村麒麟が従来の手法と異なった方向で、作品の重層性を引き出そうと試みているように感じられる。前号「【週俳11月の俳句を読む】さあらぬ(http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/12/11_15.html)」で藤井あかりが「火や風の勢いにより、燃えながらふっと浮かんだり沈んだりするもの。そんな景を超え、胸に浮かんでは沈む何かにもつながってゆく」と評した通り、「浮かぶ/沈む」の空間イメージから「おもかげ」の次元へと抽象をスライドさせうる書き方をしている。前後の<蟷螂は古き書物の如く枯れ>は「枯れ」へと橋を渡す比喩の常套さ、<水洟やテレビの中を滝流れ>は上五と下五の連想の強さのあまり句としては成功していないように思えるが、いずれにしても前述の志向を持ち合わせているだろう。

僕は予感している。本作は西村麒麟からの寡黙な示唆である。

西村麒麟 八王子 10句 ≫読む 
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