2017-12-10

【句集を読む】 愛おしく在る可く 上田信治句集『リボン』を読む トオイダイスケ

【句集を読む】
愛おしく在る可く
上田信治句集『リボン』を読む

トオイダイスケ


保坂和志『もうひとつの季節』(中公文庫)は、同じ著者の『季節の記憶』(中公文庫)の続編として語られることの多い本であるが、私はこの本の最大の魅力は、登場する猫の「茶々丸」がとてつもなく可愛らしく生々しく臨場感を持って描かれていることだと思っている。私が読んだことのあるテキストのなかで描かれた猫では最も可愛く、ひとつひとつの振舞いが本当に生きている、と感じさせられる。さも猫のことばっかり書いてある本であるかのように説明してしまったが、実際はその猫と暮らしている主人公格の父と息子&主人公格の兄と妹が稲村ガ崎で暮す話だ。その中に彼らと同量かそれ以上の存在感を持って(「彼らにとっては存在感があるのだ」と著者が読者に思わせるようにではなく、彼らと同じようにひとつの生きものとして、著者がただ書きたいという気持ちで書いたであろうが故に)茶々丸が生きている。

『リボン』を読んでなぜ『もうひとつの季節』を思い出したかと言うと、『リボン』も生きものがそこに存在している句がたくさんあったと思ったからだ。

とほい海あけがた蠅の生まれけり 上田信治

この句を目にしたとき、この「蠅」を可愛いと思った。かわいい、というよりも、「愛おしく在る可く」描かれている。生まれたての一匹の蠅の新たな生命のかけがえのなさが「とほい海」「あけがた」「生まれけり」に込められてある。

他にも生きものが「可愛く」描かれた句がいくつもあった。

大仏や木にそれぞれの芽のかたち
大き甕てふてふ一つ来て帰る
山々や芋虫は葉を食べてゐる
溶接の火花すずしく油蝉
夏鴉ま上に跳んで塀に載る
紅葉山から蠅がきて部屋に入る
つの出して夜の田螺は悪いもの
絨毯に文鳥のゐてまだ午前
草を踏む犬のはだしも秋めくと
さつきから犬は何見て秋の風
秋の蝸牛雲からひかり八方に
みみず鳴く町にすべての草は濡れ
生きるとは蛸の足には動く疣
あれは鳥雲にリボンをなびかせつ


「大仏や」「それぞれの」、「帰る」、「すずしく」、「ま上」「載る」、「紅葉山」、「つの出して」「夜の」、「絨毯に」「まだ午前」、「はだし」、「秋の風」、「ひかり八方に」、「すべての草は濡れ」、「生きる」、「あれは」。これらの言葉が生きものを確かに存在させて可愛く描いている。短い一句の中のたった一語や二語をもって、季語としての機能を負わされることもある生きものが、目の前のひとつの生きものとしてこんなに可愛く描かれるのはすばらしいことだと思う。


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