tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post4274427400395037962..comments2024-03-25T12:03:13.555+09:00Comments on 週刊俳句 Haiku Weekly: さいばら天気 散歩者のまなざし・断章Unknownnoreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-38962228134560459522009-01-26T23:26:00.000+09:002009-01-26T23:26:00.000+09:00イマゴンさん、こんばんは。含蓄。進化形かどうかはわかりませんが、ホトトギス系ではあるかも、です。イマゴンさん、こんばんは。<BR/><BR/>含蓄。<BR/><BR/>進化形かどうかはわかりませんが、ホトトギス系ではあるかも、です。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-38155347705025680652009-01-25T17:35:00.000+09:002009-01-25T17:35:00.000+09:00さいばら天気様遅ればせながら東人30句読ませていただきました。この「ほっとする高揚感」は何でしょうか...さいばら天気様<BR/><BR/>遅ればせながら東人30句読ませていただきました。<BR/>この「ほっとする高揚感」は何でしょうか。日夜、俳句道に精進する善男善女に観音様がにこやか微笑むごとくです。以下、愚考にご一笑ください。<BR/><BR/>1)季題について<BR/>季語がない、季感がない、というご指摘でした。私にはどの句も季語の有無にかかわらず「無題」という意識的な標題があるように感じられます。"untitled"を連発するCindy Shermanの写真展のようです。「無題」を演じていると言えるのかもしれません。<BR/><BR/><季題とは何でしょうか。私は「題」という字にこだわります。音楽や絵画、詩にも「題」があります。「題」とは一体なんでしょうか。<BR/> 美術館で絵をみるとき、絵の題を見ます。題を見れば何を描いた絵かがわかります。神話の場面、王侯貴族の肖像、何々のある生物、どこそこの風景などの題を見て、それから絵を見るのです。抽象絵画の場合も「コンポジション」でも「無題」でもいいから「題」があると安心します。題のない絵があったらなば不安になることでしょう。>「俳句の力学」より<BR/><BR/>2)型について<BR/>定型感、切れ、取り合わせといった俳句原理に(かなり)忠実です。また、どれも印象深く、語呂がよくてすぐ覚えられます(名句の条件)。<BR/><BR/><思想の上からは大概なものは採る。非常に憎悪うるべきものは採らない。措辞の上からは最も厳密に検討する。材料と複雑と単純、ということになると比較的単純なものを採る。俳句本来の性質として単純に叙して複雑な効果を齎すものを尊重する。>虚子「俳句への道」より<BR/><BR/>虚子も採るかもしれません。岸本流に言うと、堅牢な俳句形式に則り、「無題」という標題を軽妙に演じ、読み手の内言語を想起させる秀句・・・でしょうか。<BR/><BR/>実は三村純也さんの句をいくつか思い浮かべていました。非才にして、標題が季題である以外、東人さんの句と本質的な差異を読み取れません。<BR/><BR/>麻雀といふ秋の夜の過し方<BR/>赤い羽根つけて外車の中の人<BR/>お転婆の素っ頓狂のチューリップ<BR/>盆明けて縁談動きそめにけり<BR/>治聾酒を大きな声で酌み合へる<BR/><BR/>あくまで私見ですが、東人句はホトトギス進化形なのかもしれません。<BR/><BR/>イマゴンAnonymoushttps://www.blogger.com/profile/08431271533587727825noreply@blogger.com