tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post5674236200455542470..comments2024-03-25T12:03:13.555+09:00Comments on 週刊俳句 Haiku Weekly: 〔週刊俳句時評62〕おもに短歌の話 松尾清隆Unknownnoreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-33571752900859116042012-05-01T19:16:52.002+09:002012-05-01T19:16:52.002+09:00俳句の世界のリーダー的存在の方は、自分の職業の上に乗っかって俳句という文芸によって豊かな人生を生きて...俳句の世界のリーダー的存在の方は、自分の職業の上に乗っかって俳句という文芸によって豊かな人生を生きてきたのでしょう。原発推進思想と俳句を作る心とは一体です。俳人仲間から讃えられるような、どれほどすばらしい句を詠む俳人であろうと、原発を推進しようとしてきた人間としての罪が消えるわけではありません。東電という会社の中で句作を楽しんできた社員たちも、そのOBたちも同罪です。許されるべきではありません。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-91299297578732139362012-04-18T00:16:13.247+09:002012-04-18T00:16:13.247+09:00今更ながら、興味深く読ませていただきました。
田中さん、松尾さんのご意見、ごもっともと思います。
...今更ながら、興味深く読ませていただきました。<br />田中さん、松尾さんのご意見、ごもっともと思います。<br /><br />仮に「社会思想」を言葉に刻印できるとして、<br />その方法は短歌とは根本的に異なると思いますし、<br />だからといって「原発推進」に加担してきた有馬<br />氏に対して不満がないわけではない。<br />そうした「もやもや」の原因は、おそらく「社会<br />的な立場のちがいが棚上げされる」という「美点」<br />にあるのかもしれません。<br />実際、それゆえに松尾さんは田中さんのアジテーシ<br />ョンに違和感を表明することになったのでしょうし<br />(わかります)、有馬氏自身もけっして自らの仕事<br />を反省するようなことを俳句の場でなすことはない<br />でしょう(いけないとは思いますが、これもわかり<br />ます)。<br /><br />ここで詳述することはできませんが、こうした問題<br />には、俳句の17文字が作者「自身」(←まあ、それ<br />もフィクションだと言うことも可能ですが)を反映<br />しているかどうか、という程度の問題がありますね。<br />したがって、有馬氏の俳句におけるフィクション性<br />(作者と作品の距離感)をふまえたうえで話をしな<br />いと、俳句の話にはならず、結局のところ「倫理観<br />のようなもの」の「規定、強要」にすり替わってし<br />まう……ということなのだと思います。<br />逆に言えば、田中さんのツイッターでの発言は、<br />若手俳人が「社会的な立場のちがいが棚上げされる」<br />ことを疑問もなく「美点」と言ってしまうような言<br />葉との距離感にもう少し自覚的になるべきである、<br />という「鼓舞」であると解釈することもできます。<br /><br />もっとも、そこでいうところの「若手俳人」とは、<br />フィクション性の際立った「大人のあそび」として<br />の俳句作者たちのこと(多かれ少なかれ「天為」も<br />そこに含まれることでしょう)ですが。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-8895091129396000312012-04-01T23:48:53.645+09:002012-04-01T23:48:53.645+09:00田中さん、コメントありがとうございます。
心情は理解できますが、俳句のフィールドにおいては社会的な
...田中さん、コメントありがとうございます。<br />心情は理解できますが、俳句のフィールドにおいては社会的な<br />立場のちがいが棚上げされるというのがひとつの美点としてあ<br />るように思います。<br />原発事故によって自然が汚染されてしまったことについては、<br />「季語」とか「俳人」という以前に、人として憂うべき事態と<br />考えます。季語とは言葉であって自然そのものではありません<br />が、季語をとおして自然への認識が深まるということはあるか<br />も知れません。ただし、そのあり方には個人差があるはずで、<br />残念ながら、倫理観のようなものを規定したり、強要したりす<br />ることはできないと思います。松尾清隆noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-79797174658435061492012-04-01T15:45:32.606+09:002012-04-01T15:45:32.606+09:00田中濯です。
私のツイッターの発言について、
コメントを感謝いたします。
本来、まとめた文章にすべき...田中濯です。<br />私のツイッターの発言について、<br />コメントを感謝いたします。<br />本来、まとめた文章にすべきでありますが、<br />どうも、その必要性をあまり感じなくなったため、<br />ここでの発言に留めます。<br />私の疑念は二点あります。<br />有馬氏に関しては仰る通りの判断が可能です。<br />しかし、例えるなら、現状は「東電の前会長」に相当するような人物(いや、もっと大物、ですね)、が<br />事故を無視かつ自己の来歴を無視、した状態で<br />なんの屈託もなく俳句を発表し続けている、ように見えるのです。<br />なにか、忌まわしいものを感じませんか?<br />二点目。<br />俳人は季語を尊重されておられます。<br />季語は「美しい日本の自然や文化」を基に成立したもので、<br />ひとつの季語はひとつの「宇宙」を形成する、とも聞きます。<br />さてここで、日本の自然のある広大な領域を<br />事実上永遠に汚染した事故がありました。<br />俳人は、この状況を放置してよろしいものでしょうか。<br />また、放置した場合、「季語」についてこれまで通り語ることができるのでしょうか。<br />そして、季語を使い続ける人物が、季語の根本たる自然を汚した責任をもつと推定される場合、<br />それもまた議論にはしない、ということが<br />ありえるのでしょうか。<br />以上になります。<br />一点目。「特に疑問は感じない」というのなら、それはそれで結構だと思います。<br />二点目。「季語」と今回の事故は全く別で、議論の対象にもならない、というのであれば、それはそれで結構だと思います。<br />長いコメントになりました。申し訳ありません。<br />それでは、失礼いたします。田中濯noreply@blogger.com