tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post8231236876574297702..comments2024-03-25T12:03:13.555+09:00Comments on 週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句時評第28回 弧は問いであり、問いが答えである 五十嵐秀彦Unknownnoreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-56299042379265894622011-04-27T01:35:59.944+09:002011-04-27T01:35:59.944+09:00五十嵐秀彦様、御文読ませていただきました。
矛先が僕(「台」こと館野洋一)にも向けられていますので、...五十嵐秀彦様、御文読ませていただきました。<br />矛先が僕(「台」こと館野洋一)にも向けられていますので、<br />ちょっと思うところを書かせていただきます。<br /><br />>ただ残念なのは、ここに批判も批評もなかったということである。<br />ひょっとしたらご本人は批判したつもりでいるのかもしれぬが、「腹が立」ったとか「醜い」とか言うのは批判ではない。<br />ほかにも「いらいらする」とか「語る資格ゼロ」とかいうのも同様。<br />>人の論考に対して感情的な意見(意見にもなっていなかったが)を人目に触れることを知りつつ吐き出し、<br /><br />そういった「感情的」な箇所があるからと言って、その一文全体が「批判・批評」ではなくなる、という言説、全く理解できません。<br />たとえば、一個人氏は、西原氏の<br /><br />>テレビで見る地震・津波の被害を安穏と五七五にするような、程度の悪い「のんきさ」、どうしようもない「蒙昧さ」。それはまた、まったく別の話<br /><br />という発言に対し、<br /><br />>そういったこと、何であなたに決め付けられなければならないのでしょう。<br />いろいろな思い、立場、真摯な気持ちでこの大災害を自分なりに形にしたいと思われた方もいたはずです。<br /><br />と述べておられます。<br />僕にはこの一節、十分真っ当な「批判・批評」に思えました。<br />この一節に僕は共感し、僕も同意見だ、と思えたからです。<br />ともかくもそれだけの力がある一文だと僕は感じました。<br />だから、その後の西原氏の対応が大変不愉快だったのです。<br />で、その旨、思うところを書き込みました。<br />それは確かに別に批判でも批評でもないです。ただの「思うところ」です。<br />僕のあとに書き込んだ匿名氏については、ちょっとわかりません。<br />というか、率直に言えば「ああいう書き方はヤバいんじゃないか」と思います。<br /><br />逆に五十嵐様にお尋ねしたいのですが、<br />もともとこの一連の流れの発端となった西原氏の、<br /><br />>ファンクラブの会報と見紛うような、信仰表明・帰依宣言は、書き手本人には意義のあることでしょうし「海程」という組織にとっても意味があるかもれませんが、多くの読者にとっては、「なに、これ?」であり、むしろ「金子兜太」を遠ざける負の効果を生みます。<br /><br />の「信仰表明・帰依宣言」「むしろ金子兜太を遠ざける負の効果を生みます」といった断定にあなたの言う「批判・批評」に足る何らかの論理的な裏づけが見えるのでしょうか?<br />さらに西原氏は「ウラハイ」なる自分のブログにて、<br /><br />>十把一絡げは、ちょっと良くなかったな、と反省しています。でも、かといって、記事のいちいちを取り上げるべきとは、今でも思いません。すべての記事が頭に残っているわけではありませんが、コメント欄で触れたように、「俳句史」にとって幸せなのか」 (小野裕三)は興味深く読みました。だからといって、「いい記事もある」と申し上げる気にはなりません。きほん、「信仰告白」。ほとんどが「結社内でおやりになればいいのに」という記事でした。<br /><br />と書いています。<br />この一節、単なる個人的な見解の押し付けであり、どこに誠実な批判・批評があると言うのですか?<br />僕も「俳句樹」のあのコーナー、<br />あらためて通読させていただきましたが、<br />確かに金子兜太氏への思い入れの異様に強い方、それ系の一節が、ある程度目に付きましたが、全体としては一個人氏の書かれている通り、内容は多岐に渡っています。<br />西原氏の言説は、「俳句樹」執筆者・編集者の思い、意図を全く無視した上での、<br />『俺が「信仰告白」だって言ってるんだから、誰が何と言おうとあのコーナーは「信仰告白」なんだよ!』<br />という何とも子供じみた、一人よがりの無理強いにしか過ぎません。<br />説得力が全く感じられないのです。<br /><br />>それとも、一個人さんは、私が、「俳句樹」の「海程ディープ/兜太インパクト」は素晴らしい記事だと言うまで、納得なさらないのでしょうか。<br /><br />見苦しい開き直りというか、この一文に僕は何とも嫌らしいものを感じました。<br />もうこの人を相手にするのはやめよう、と思いました。<br />とにかく、前述の「のんきさ・蒙昧さ」といい「信仰告白」といい、<br />西原氏は他者の在り方や作品を愚弄し、こきおろすことでしか、<br />自分を主張できないのか?と思わざるを得ません。<br />おそらく検索すれば、西原氏の同じような事例がどんどん出てくると思われます。<br /><br />五十嵐様、あなたは一個人氏や僕の「感情的」な物言いの部分だけをあげつらって、<br />(一個人氏の訴えや西原氏の言説の在り方など、他の要素を意図的に無視し)、<br />身勝手に不公平に持論を展開しているだけです。<br />そして終いには、「文芸の徒であればまずそれを為すべきである」などという、<br />手垢のついた大上段でもって、ひとり悦に入っている。<br />怒りとか不愉快を通り越して、ただ情けなくなるばかりです。<br />以上、乱筆乱文お許しください。館野洋一noreply@blogger.com