tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post8638918402669757593..comments2024-03-25T12:03:13.555+09:00Comments on 週刊俳句 Haiku Weekly: 後記+プロフィール409Unknownnoreply@blogger.comBlogger5125tag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-15496097009243660942015-02-26T18:29:13.853+09:002015-02-26T18:29:13.853+09:00いいえ、お気遣いなく。
《言葉がなおさら窮屈な場処へ閉じ込められる…》
重要な指摘と存じます。
...いいえ、お気遣いなく。<br /><br />《言葉がなおさら窮屈な場処へ閉じ込められる…》<br /><br />重要な指摘と存じます。<br /><br />批評が貧しくなり、評価が閉じていくと、分野が死んでいくと思っています。西原天気noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-78231318285513297132015-02-26T13:52:20.054+09:002015-02-26T13:52:20.054+09:00場違いなコメントをいたしましたのに、ご丁寧なお返事を頂きありがとうございます。
印刷屋で、結社誌数...場違いなコメントをいたしましたのに、ご丁寧なお返事を頂きありがとうございます。<br /><br />印刷屋で、結社誌数誌の組版をしています。<br />季語以外の全てを「措辞」の二文字で括り、季語の「斡旋」と相俟って素晴しい、などと言われれば、もうその句にはほかに何も残っていないようで(或いははじめから何も無かったようで)、或いはまた、言葉がなおさら窮屈な場処へ閉じ込められるようで、つい悲しくなったのです。<br /><br />門外漢がつまらぬことを申しすみません。失礼いたしました。S. Yagasakinoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-59230525476270341402015-02-25T14:22:10.940+09:002015-02-25T14:22:10.940+09:00Yagasakiさんの疑問、よくわかります。つけ加えさせていただきますと、鑑賞でちょくちょく見かける...Yagasakiさんの疑問、よくわかります。つけ加えさせていただきますと、鑑賞でちょくちょく見かける「文学臭」「ポエム」というのも説明がなく、俳壇のジャルゴンなのかなと思っています。tomynoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-40500870928541084592015-02-25T02:11:48.634+09:002015-02-25T02:11:48.634+09:00Yagasakiさん、こんばんは。
私がコメントしてご要望に適うかどうかわかりませんが、いちおう私...Yagasakiさん、こんばんは。<br /><br />私がコメントしてご要望に適うかどうかわかりませんが、いちおう私の書いた記事に付けてくださったコメントなので。<br /><br />(記事内容=後記とは無関係のなようですが)<br /><br />●<br /><br />まず、「措辞」と「斡旋」は、事情がかなり違う感じです。「措辞」は、おっしゃるような「俳句の世界の方々に独特な言い回し」でもないと思います。「季語の斡旋」はおっしゃるとおりです。<br /><br />●<br /><br />「措辞」は、俳句分野で使われるときも、辞書にあるとおりだと思います。<br />≫<a href="http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/130495/m0u/" rel="nofollow">http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/130495/m0u/</a><br />俳句にかぎらず、主に詩歌分野で使われていると思います。<br /><br />修辞(レトリック)との区別は微妙ですが、俳句という短いもの(文章より短い)に「修辞」はちょっと違和感。措辞(ワーディング)という語のほうが収まりがいいような気がします。「修辞」は修飾・多弁・雄弁の気味があるので、その意味でも俳句に使うと、誤解を生みそうですし。<br /><br />●<br /><br />一方、「季語の斡旋」という言い方は、多分にジャルゴン(俳句業界用語)的に用いられているようです。<br /><br />ただ、意味は、作者が作った数音から十数音に、どんな季語をくっつけるか、といった、ごく単純なことだと思います。<br /><br />起源は知りません。わかるとおもしろい展開があるかもしれません。<br /><br />「季語の斡旋」については、抵抗なく使用する人(書き手)とそうではない人がいます。私は後者です。この言い方には抵抗があるので(理由は長くなりますが、簡単に後述)、きほん使いません。使うときは《いわゆる「斡旋」》というふうに鍵括弧付きで使います。<br /><br />●<br /><br />「季語の斡旋」という言い方をしない理由(簡単に)<br />1 あまりに業界用語的で、俳句外部には注釈なしで伝わらないので。<br />2 この言い方にには、季語と季語以外のあいだを取り持つということでしょうから、季語以外のフレーズに季語をポンとくっつける感じが含意として拭えない。その作り方ももちろんありますが、それは俳句の本質的な部分ではないと考えるので。西原天気noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-6325915141711411690.post-16478307172293531942015-02-24T15:02:32.899+09:002015-02-24T15:02:32.899+09:00素朴な疑問、なのですが。
季語の「斡旋」・「措辞」といった(たぶん)俳句の世界の方々に独特な言い回...素朴な疑問、なのですが。<br /><br />季語の「斡旋」・「措辞」といった(たぶん)俳句の世界の方々に独特な言い回しの、ルーツを御存知でしたらご教示ください。<br />(鑑賞文を書かれる際の必須アイテムのようですが、自身は俳句をやらない私にはとても違和感があるのです。)S. Yagasakinoreply@blogger.com