2009-12-06

〔俳句ツーリズム番外編〕滝は「水道の代替物」ではありません~「滝」俳句と高尾山トンネル問題を考える 小野裕三

〔俳句ツーリズム番外編〕
滝は「水道の代替物」ではありません
「滝」俳句と高尾山トンネル問題を考える

小野裕三


以前から「俳句ツーリズム」というエッセイを気ままに続けていたのだけれど、一昨年に息子が誕生して以来、なかなか旅行に行く時間も文章を書く時間も思うように取れなくなった。そんな中で、僕が今でもよく行く数少ない都心近郊の場所として高尾山がある。高尾山のことは以前にも書いたが(*1)、その後フランスのガイドブック「ミシュラン」が観光地として三ツ星を付けたこともあり(三ツ星は京都などと並ぶ最高ランク)、外人観光客も増えるなど人気は高まっている。

そんな高尾山だが、以前にも少し触れたように山の下を縦貫するトンネルの建設計画が進み、それに対する反対運動が起きている。高尾山のトンネル建設は、滝や沢を涸らす危険性があり、それだけでなく豊かな動植物が棲む生態系も破壊する危険もあると反対派は主張する。しかし最近の報道によると、そんな反対運動にもかかわらずとうとう工事は着手され、一方で実際に水が涸れ始めた沢などもあるとのこと。

僕自身のことを言うと、実はこの手の社会運動的なものは全般的に言って決してあまり好きでもないし、あまり参加したこともない。だがこの高尾山トンネル工事のことを調べていたら、とんでもない逸話に出会って驚いた。それは日経新聞のインターネットサイトに載った記事なのだが(*2)、トンネル工事の影響によって滝涸れが起こることについて、ある行政担当者が「滝が涸れたら水道を流せば良いじゃないか」と言ったというのだ。

この発言が本当だとするなら、それは単に環境破壊ということを越えて日本文化に対する根本的な無理解と無神経の産物と言っていい。少なくとも、俳句という文芸に少しでも携わる人間であれば、そのような考え方には唖然とするはずだ。特に最近は政権交代の影響もあり、「コンクリートから人へ」ということで巨大ダムの工事見直しなども言われ始めた。そんな中で、「工事のせいで滝が涸れたら水道を流せばいい」などいう発想は、まさに時代錯誤の妄言ではないかとつい考え込んでしまった。

周知のように、滝は俳句の大切な季語である。滝の句として思い浮かぶ有名な句はいくらでもある。

  滝の上に水現われて落ちにけり 後藤夜半

  神にませばまこと美はし那智の滝 高浜虚子

この虚子の句でもわかるのだが、滝は日本人にとって単なる「水道の代替物」ではない。日本の宗教史・精神史さらには文化史において滝が神聖視されてきたことは厳然とした事実だし、特に神道・仏教もしくはその混交たる修験道において滝は大切に扱われてきた。虚子が詠んだように那智の滝は単なる観光名所ではなくまさに「ご神体」とされてきたわけだ。そしてそのことは日本文化に接した外国人もよく理解していた。例えば、フランスの著名な作家・政治家であったアンドレ・マルローが「那智滝図」(写真)に深く感銘して那智を訪れたのは有名な話である。

高尾山にも蛇滝・琵琶滝などの滝が散在し、それらの滝は今も神聖なものとして大切に扱われている。実は僕自身、高尾山の蛇滝で作った句がある。

  煙草消し滝が滅んでいきにけり

自作ながらあまりうまく解説ができないのだが、滝はどこか生き物めいている。そのことをこの句は示しているつもりだ。そしてそのことは、日本における俳人・歌人から芸術家・宗教家まで、広く共有できる感覚ではないのだろうか。画家の横尾忠則氏が「滝フリーク」であることは有名だが、僕もそこまでではないにしても滝は好きだ。滝を材とした句も結構作っている。

  バス降りて簡単な滝ありにけり

  滝の夜少女のような和室かな

上の句は関東のどこだったか、田舎の小さな滝を見た時の句。下の句は、伊豆で滝を見た時の句。それぞれに、個人的には思い入れがある。

俳句や短歌に代表される美意識は、長い歴史が培ってきた日本人の世界観・倫理観の結晶であると考えている。滝のようなものを大切に扱うのも、そのひとつである。俳句が滝を季語のひとつとして大切に扱い、多くの作品に詠み込んできたのは決して気まぐれではない。滝のようなものを大事にするという所作自体に、長い歴史が育んだ日本人の深い思想があるし、そしてそのことは俳句の根底にも通じている。

勿論、今の時代に合わせてトンネルやダムなど、必要なものはあるだろう。個々の開発に関する是非はいろいろあって当然だし、改善策や代替策も含め、個々に丁寧に議論をすればよい。ただ驚いたのは、そのような開発を支える発想自体に「工事で滝が涸れたら水道を流せ」といったものがあるのかも知れないということだ。もしそうだとしたら、この国に生を受けた俳人の一人としてとても恥ずかしいことだと感じる。


(*1)俳句ツーリズム 第12回 高尾山篇 感情のコレクション:週刊俳句
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/01/blog-post.html

(*2)国定公園の高尾山にトンネルを掘る理由(07/10/22):日経エコロミー
http://eco.nikkei.co.jp/column/patagonia_shino/article.aspx?id=MMECc5013022102007&page=2

※写真はWikipediaから引用しました。

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