毎週日曜日更新のウェブマガジン。俳句にまつわる諸々の事柄。photo by Shino MURATA
くしけずればおたまじゃくしがぽろぽろと 擬人法では雨=天が涙する。 擬○法ではおたまじゃくし=涙なのでしょうか? しかし、そういう読み解きが許されるはずはないので、玉句、シュールレールに味読するしかありませんね。 御髪からおたまじゃくしがほろほろと、の感興、筆舌に尽くしがたく感服いたしました。 七三に分けたらたんぽぽ咲いていた 惨劇の跡はイチゴの匂いして 玉作二句、好きです。
獅子鮟鱇さまメッセージありがとうございました。七三に分けたら・・・の句は「こんなんできたぁ」とうれしかった句でしたがいろんな方に見ていただく際にすっとしのばせてみた句でありましたが好きだと言ってくださったのは獅子鮟鱇さんがはじめてです。うれしく。。。(感涙
江口ちかる様 お言葉ありがとうございます。感涙の件、私こそ感涙です。時に感じては花にも涙をそそぎ・・・ 図に乗って告白しますが、実を言えば、全部好きでした。でも、全部好きだといってしまっては、見識を疑われるだろうと思いましたので選びました。 まず、アリクイで始まり、アリクイで終わるところがすきです。 アリクイに夢見られているわたくしは これ、わたくしが、アリクイを夢見るのではないところがすごい。 「わたし」ではなく、「わたくし」がいい。 拙作短歌に: カラオケの一夜が明けて茶道具を下げて和服のわたくしである という駄作、あります。 鳥市でアリクイ仕立ての鳥を買う いいですね。鷄群孤鶴のおもむき。アリクイの蛇の舌のようなまめまめしい動きが、唯我独尊的に鳥市で目立っていて、私見ですが、とてもエロチックでした。 だから、アリクイ仕立ての鳥を買う。家に連れて帰ったら、 忘れっぽい天使が窓ですずなりに 意表を衝かれました。アリクイの立場からは、女性に部屋に案内され、窓にすずなりの天使をみたら、忘れます、ぽいっと。妻ある私の身を。 春の夜はあざらし すきまなく抱く これ、散文的には、「春の夜は嵐 あざらしをすきまなく抱く」 拙作三行詩に: 秋はさびしい/あざらしがプールにいない/愛 モンゴルに伝統の三行詩があります。日本の俳句との類似を思っているモンゴルの詩人もいます。ただし、モンゴル三行詩は、頭韻と脚韻を踏むとのこと。 今夜だね?しめしあわせて生るトマト 「生る」は、散文的には「生まれる」かと。 りかちゃんのように関節曲げられる ベットの上のアクロバット。ちなみにわが最愛の娘の名は利花です。娘誕生の頃は漢字制限があり、梨の字は戸籍に使えませんでした。 くしけずればおたまじゃくしがぽろぽろと 「くしけずれば」とありますから、事後ですね。 拙作七言律詩に: 白頭鼾睡迷花陣,青女翻衣送瞼波。 情慾難排充玉體,乳房高聳破紗羅。 氷肌流汗騎風馬,痴態搖腰交夢魔。 順性胯間噴水處,精虫百億涌銀河。 というのがあります。訳せば、 白頭(=じじい)いびきをかいて眠って花街に迷えば, 青女(=美人)衣を翻して瞼波(=色目)を送る。 情慾除きがたく玉の体に充ち, 乳房は高く聳えてうすぎぬを破る。 氷肌(=雪の肌)汗を流して風馬(さかりのついた馬)に騎乗し, 痴態 腰を揺らして夢魔と交わる。 性にしたがい胯間に噴水すれば, 精虫百億 銀河に涌く。 題は「夢精」です。2006年作、当時は自信作でしたが、よくできてはいるが、中国で出版する場合は、見識を疑われ軽蔑されるから、詩集にはいれない方がいい、と中国の詩友にいわれました。 蛇足ですが、精虫=精子。精子は尾の長いおたまじゃくしのように泳ぎますよね。 足指のひとつは球根ふふまれよ 足指。確かに球根のようですね。だから、春を仕込み終えたら足指から花が咲いたら、とても素敵です。 七三に分けたらたんぽぽ咲いていた 事終えれば、男も女も身繕いをします。一夜を明かして家に帰る前に髪を整えます。鏡に窓が映っています。 忘れっぽい「ぽ」の字のすずなりの天使たちは、天使であることを忘れて、「たんぽぽ」の花になってしまったのですね。 これ、とても明るい、しかし、少しさびしいかも。 惨劇の跡はイチゴの匂いして そう、昨夜のことは惨劇だった、のでしょう。 イチゴの匂い。追憶にはイチゴジャムを塗って、それを嘗めてみたい。 アリクイである小生は、舌をひょろひょろ揺すりながら、あなたの思い出をまめまめしく嘗め回すのです。だから、 アリクイに夢見られている(のです)あなたは というような次第で玉作10句、拝読いたしました。 私はこれ、玉作連作の正しい読み方だとは思っておりません。玉作を拝読し、私が江口さんと天からいただいた感動に過ぎません。 私見ですが、俳句川柳短歌を含め、詩作品に、正しい読み方などはありえません。あるのは、ただただ感涙。 七絶・幸接江口ちかる女士之玉作不忍感涙作一首詩留念 幸いにも江口ちかる女士の玉作に接し感涙するに忍びず一首の詩を作して念(おもい)を留む 白頭幸甚遇朱唇,江口佳吟驚鬼神。 感涙潺潺濺滄海,可憐才筆擅花春。 白頭 幸甚にも遇えば朱唇は, 江口に佳吟して鬼神を驚かす。 感涙 潺潺として滄海にそそぎ, 憐むべし才筆の 花春をほしいままにしたるは。
くしけずればおたまじゃくしがぽろぽろと
返信削除擬人法では雨=天が涙する。
擬○法ではおたまじゃくし=涙なのでしょうか?
しかし、そういう読み解きが許されるはずはないので、玉句、シュールレールに味読するしかありませんね。
御髪からおたまじゃくしがほろほろと、の感興、筆舌に尽くしがたく感服いたしました。
七三に分けたらたんぽぽ咲いていた
惨劇の跡はイチゴの匂いして
玉作二句、好きです。
獅子鮟鱇さま
返信削除メッセージありがとうございました。
七三に分けたら・・・の句は
「こんなんできたぁ」とうれしかった句でしたが
いろんな方に見ていただく際にすっとしのばせてみた句でありましたが
好きだと言ってくださったのは
獅子鮟鱇さんがはじめてです。
うれしく。。。(感涙
江口ちかる様
返信削除お言葉ありがとうございます。感涙の件、私こそ感涙です。時に感じては花にも涙をそそぎ・・・
図に乗って告白しますが、実を言えば、全部好きでした。でも、全部好きだといってしまっては、見識を疑われるだろうと思いましたので選びました。
まず、アリクイで始まり、アリクイで終わるところがすきです。
アリクイに夢見られているわたくしは
これ、わたくしが、アリクイを夢見るのではないところがすごい。
「わたし」ではなく、「わたくし」がいい。
拙作短歌に:
カラオケの一夜が明けて茶道具を下げて和服のわたくしである
という駄作、あります。
鳥市でアリクイ仕立ての鳥を買う
いいですね。鷄群孤鶴のおもむき。アリクイの蛇の舌のようなまめまめしい動きが、唯我独尊的に鳥市で目立っていて、私見ですが、とてもエロチックでした。
だから、アリクイ仕立ての鳥を買う。家に連れて帰ったら、
忘れっぽい天使が窓ですずなりに
意表を衝かれました。アリクイの立場からは、女性に部屋に案内され、窓にすずなりの天使をみたら、忘れます、ぽいっと。妻ある私の身を。
春の夜はあざらし すきまなく抱く
これ、散文的には、「春の夜は嵐 あざらしをすきまなく抱く」
拙作三行詩に:
秋はさびしい/あざらしがプールにいない/愛
モンゴルに伝統の三行詩があります。日本の俳句との類似を思っているモンゴルの詩人もいます。ただし、モンゴル三行詩は、頭韻と脚韻を踏むとのこと。
今夜だね?しめしあわせて生るトマト
「生る」は、散文的には「生まれる」かと。
りかちゃんのように関節曲げられる
ベットの上のアクロバット。ちなみにわが最愛の娘の名は利花です。娘誕生の頃は漢字制限があり、梨の字は戸籍に使えませんでした。
くしけずればおたまじゃくしがぽろぽろと
「くしけずれば」とありますから、事後ですね。
拙作七言律詩に:
白頭鼾睡迷花陣,青女翻衣送瞼波。
情慾難排充玉體,乳房高聳破紗羅。
氷肌流汗騎風馬,痴態搖腰交夢魔。
順性胯間噴水處,精虫百億涌銀河。
というのがあります。訳せば、
白頭(=じじい)いびきをかいて眠って花街に迷えば,
青女(=美人)衣を翻して瞼波(=色目)を送る。
情慾除きがたく玉の体に充ち,
乳房は高く聳えてうすぎぬを破る。
氷肌(=雪の肌)汗を流して風馬(さかりのついた馬)に騎乗し,
痴態 腰を揺らして夢魔と交わる。
性にしたがい胯間に噴水すれば,
精虫百億 銀河に涌く。
題は「夢精」です。2006年作、当時は自信作でしたが、よくできてはいるが、中国で出版する場合は、見識を疑われ軽蔑されるから、詩集にはいれない方がいい、と中国の詩友にいわれました。
蛇足ですが、精虫=精子。精子は尾の長いおたまじゃくしのように泳ぎますよね。
足指のひとつは球根ふふまれよ
足指。確かに球根のようですね。だから、春を仕込み終えたら足指から花が咲いたら、とても素敵です。
七三に分けたらたんぽぽ咲いていた
事終えれば、男も女も身繕いをします。一夜を明かして家に帰る前に髪を整えます。鏡に窓が映っています。
忘れっぽい「ぽ」の字のすずなりの天使たちは、天使であることを忘れて、「たんぽぽ」の花になってしまったのですね。
これ、とても明るい、しかし、少しさびしいかも。
惨劇の跡はイチゴの匂いして
そう、昨夜のことは惨劇だった、のでしょう。
イチゴの匂い。追憶にはイチゴジャムを塗って、それを嘗めてみたい。
アリクイである小生は、舌をひょろひょろ揺すりながら、あなたの思い出をまめまめしく嘗め回すのです。だから、
アリクイに夢見られている(のです)あなたは
というような次第で玉作10句、拝読いたしました。
私はこれ、玉作連作の正しい読み方だとは思っておりません。玉作を拝読し、私が江口さんと天からいただいた感動に過ぎません。
私見ですが、俳句川柳短歌を含め、詩作品に、正しい読み方などはありえません。あるのは、ただただ感涙。
七絶・幸接江口ちかる女士之玉作不忍感涙作一首詩留念
幸いにも江口ちかる女士の玉作に接し感涙するに忍びず一首の詩を作して念(おもい)を留む
白頭幸甚遇朱唇,江口佳吟驚鬼神。
感涙潺潺濺滄海,可憐才筆擅花春。
白頭 幸甚にも遇えば朱唇は,
江口に佳吟して鬼神を驚かす。
感涙 潺潺として滄海にそそぎ,
憐むべし才筆の 花春をほしいままにしたるは。