2010-02-14

〔新撰21の一句〕豊里友行の一句 小川楓子

〔新撰21の一句〕豊里友行の一句
死者たちと共に……小川楓子


死者も僕らも甘蔗(きび)穂波のマラソン 豊里友行

比喩は楽しい。普段気づいていなかった世界にはっとしたり、頷いたり、そうした句に出会うと嬉しくなる。豊里友行の句の多くは、故郷である沖縄に対する強い思いを比喩で表現しようとしている。

物を内側から眺めて俳句を作るとき、しばしば比喩が使われる。物と自己との対立ではなくそこに思いを入れようとするからだ。しかし、対象としている物でなく、比喩にこめられた思いが強すぎると読者はその句の中で佇む余地を失い、句の表面を撫ぜることしかできない。

豊里の句で、比喩でありながら比喩という表現を超えようとしている句に私は惹かれた。自身が伝えたい、伝えなければならない物になりきる、つまり豊里であれば自身が轟音や島豆腐になりきる。憑依するほど、作者が物に入り込みその物が作者の肉となり得たとき、比喩は比喩を超えて読者に深い感動を呼び起こすのだと思う。

冒頭の句には、金子兜太の「彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」から引き継いだバトンを受け取り、これから走りだそうとしている作者がいる。戦争を直接は知らない世代でありながら、その姿勢は傍観ではなく、戦争を単に風景として句にしようとしているのではない。あくまで自らが戦争というものを肉体で感じようとしている。沖縄の作者にしかできないことがある。甘蔗(きび)穂波の風を感じつつ死者たちと共にこれからも走り続けてほしい。




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12 件のコメント:

  1. 「伝えたいことがあるんだ~」という小田和正の歌のように豊里友行の俳句作品にも伝えたいことがある。
    それらが詩的に体験へと消化され詩的昇華されているところに魅力があります。
    ガイセイの俳人たちにこびることなくその伝えたい熱い気持ちを大切に俳句表現の開拓をされるとよいと思います。
    がんばれ~。

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  2. 新社会性俳句というねきか。
    以前の社会性俳句の金子兜太師の作風とも違う異質の熱い釘のような感じを受ける。
    熱い情熱で叩き上げられる熱い釘はマグリットのような絵画的手法をも取り込んでいるように視える。
    『新撰21』は頼もしい俳人の発掘がなされたものだ!
    さてどれだけこの21人から時代に耐え得る俳句を創造できるだろうか。

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  3. 豊里友行の俳句について付け加えて置きたいことがある。
    週刊俳句の「戦争」と題したテーマを掘り下げているあたりで彼自身が「戦跡や戦争体験者との交流などで追体験する私の心が感じた戦争を詠む」と語っている。
    洞窟(ガマ)内の遺骨収集の写真などは衝撃的であった(下記のURL参照)。

    http://www.geocities.jp/okinawasyashinkyoukai/gallery/toyosato02.htm

    また文章等でも地元の新聞社である沖縄タイムスに◎【フォトエッセー まなざしの行方】の連載で触れている(下記URL参照)。

    http://toyoanneru123.ti-da.net/e2713633.html

    つまり彼は追体験を重ねながら体験としての戦争文学の血と肉を育む俳句の創造がなされている。
    比喩などの技術面だけで見ていくと意外と真実を視ようとするうえでの体験を見落としがちになるだけに豊里友行の俳人で写真家としての戦争の追体験の作業に注目して行きたい。
    『新撰21』による新社会性俳句の旗あげ的存在としての頼もしい存在のデビューとなった。

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  4. 友里さんの句を読むと、自分も何かしなくてはならないと、じっとしていられなくなります。
    一度も言ったことのない、沖縄で、彼は必死に郷土、戦争に向き合っている。
    沖縄は今も戦争の中で戦っている。
    平和ボケしている本土、僕も、彼の句に触れて、もがくしかないと思う。

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  5. 『バーコードの森』豊里友行俳句集や『新撰21』の「月と太陽(ティダ)」100句を読後の感想は、ににん代表の岩淵氏が述べている「書いておかなければならないものがある」という意志を感じるというのに私も共感する。
    つまり沖縄の置かれている現実を素直に直視する姿勢に共感を覚えた。
    現代俳人で稀な存在といわれることもあるが現代社会を素直に視る姿勢を最近の俳人の姿勢から感じられなくなって久しい。
    貴重な俳人だと思う。

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  6. 「書いておかなければならないものがある」とはうまく言ったものだ。
    だが俳句という分野ではまだまだ認められないぐらい巨大な流星のように感じます。
    俳句界の閉塞したコジンマリとした世界に妥協することなく突き進んでほしいです。
    朝日新聞の「あるきだす言葉」への「琉球弧」10句も良かったです。
    精進あるのみです。

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  7. 朝日新聞の「あるきだす言葉」への「琉球弧」良かったですよ。
    新選21の「月と太陽(ティダ)」はご自身の俳句会からお取りになられたんですね。
    社会性もいいです。
    私はそれ以外の俳句にも素晴らしいものがあり同じ作者と思えないほど多様に俳句を創られていると思いました。
    ますますの御健吟を切に願います。

     与えるも奪うも愛の雪月花  友行
     

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  8. コメントありがとうございます。
    ますます俳句道に精進いたしますので忌憚のないご意見、ご感想をいただけると幸いです。

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  9. はじめまして。
    よくみると金子兜太の「彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」と豊里友行の「死者も僕らも甘蔗(きび)穂波のマラソン」の句は大きく違いがありますね。

    まず金子兜太が戦争体験者であるのに対して戦争を体験していない世代(1976年9月23日生まれで誕生日が一緒ではあるのに!)の豊里ではあるが、豊里のブログ「とよチャンネル」によると戦争の追体験や米軍基地があるゆえの間接的戦争の加害者として豊里は語る。
    下記も面白い文なので必読ですよ。

    http://toyoanneru123.ti-da.net/e751906.html

    金子の映像的俳句に対して死者と共に沖縄の惨劇の地をマラソンしているという沖縄のサトウキビ畑の原風景を走り続けたい作者の祈りともとれる俳句だ。
    だが豊里俳句のほうがパンチが弱いように思える。
    それは金子の映像化する「彎曲し火傷し」の造型性に裏打ちされた表現方法に対して豊里の沖縄的思想というべきか死者と生きる者たちとのつながりのような精神世界。
     表現の衝撃性、パンチのなさとは、死者への切なる祈りとの差なのか?
    豊里は金子主宰の海程に所属している。
    形式的に類似しているのは金子の作品への影響下にあるからかもしれない。
    だが沖縄の地に生まれ育った豊里の俳句の世界は、金子とは別の世界にあるように思える。
    それだけ進撃に俳句に関われる沖縄にある幸福と不幸がある。
    表現していく題材との出会いは幸福であり、沖縄の暗部をえぐらざるをえない軍事戦略の地理的、歴史的悲劇を背負わざるを得ない不幸。

    最後に朝日新聞に掲載されていた句。


     桜咲く末端の島は先端だ 友行


    これは何かにつけ豊里が敬愛して止まない現・国会議員の山内徳信氏の著書『叫び訴え続ける基地沖縄 主権在民の精神を盾に 読谷24年・村民ぐるみの闘い』(那覇出版社)による影響が伺える。
    日本列島で一番早く咲く沖縄のカンヒサクラと一地方の南国を末端として見る日本人の政治的(?)差別意識。
    それらを軍事基地問題など山済みの最先端にあると言い切るすごさ。

    豊里もこれからが楽しみな俳人ではある。

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  10. 名嘉さまへ

    とよチャンネルの方もしっかりご観覧くださりありがとうございます。
    「沖縄にある幸福と不幸」については俳人の外山一機さんからも同じようなことを指摘されています。
    私自身はメッセージ性だけに偏らないように心の趣くままに俳句を詠んでいるつもりです。
    さいばら天気氏のつぶやき(ツイスターの?)もしかりだと思います。
    ただメッセージ性むき出しにして魂の叫びのような根源的な伝達方法としての俳句が私の中で強く占めているのも名嘉氏のおっしゃられる「沖縄にある幸福と不幸」に起因しています。
    別にその伝えたいことを俳句に限定する気もありません。
    ブログ・とよチャンネルのつぶやきだったり写真であったり「国家という踏みつけられた足である米軍基地」をどけてもらいたいだけです。
    抵抗権、日本国憲法の恩恵を平等に太陽の日差しのように降り注いでほしいだけです(今では紫外線がきついですが・・・)。
    沖縄は基地があるから沖縄が本来持っている自然の宝や心を破壊し(基地に関する補助金漬けで!)、腐らせてしまっている面がある。
    私は沖縄にこだわる理由はあくまでも自分の生き続ける土地だから小さいながらも俳句で声を
    あげる。
    それが生きた証でもありあます。
    長々と的をえない文ですみません。
    商業写真家の傍ら私の本分の報道写真を私の代表する出版社 沖縄書房で写真集にまとめている最中です。
    多忙につきまともな返事ができず失礼ありましたらご容赦ください。
    今後ともどうかよろしくご指導ご助言頂けると幸いです。

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  11. 豊里さんは「伝えたいことを俳句に限定する気もありません。」というように短歌や「第二次未定」に多氏行詩型俳句を寄稿している。
    第九回前田純孝賞浜坂町教育長賞受賞の一首は衝撃的な短歌でしたね。



    幾つ目の曲り角来る折鶴の祈りをほどかないでください    友行
                 
    (第九回前田純孝賞浜坂町教育長賞受賞 平成16年3月14日)

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  12. なお さまへ

    念のため短歌や詩などはあまり発表はしていません。
    写真と俳句を発表の主にしています。
    とり急ぎまで。

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