『俳句研究』2007年7月号を読む ……上田信治
●西野文代「今月の顔」口絵 p9-
「目利きがほしい」というのは亡師波多野爽波の口癖だった。このごろはよくそのことを思い出す。師のあるときは、それこそ貴方任せでそう切実に思わなかったけれど、今は違う。切実に目利きがほしいと思う。
というと反射的に「価値観の多様化」が、旧来の目利きの存在を不可能にした、というようなことを、思われる方も多いかもしれませんが、なにも、目利きがこの世に一人である必要はないんで。いま、必要なのは、複数の目利きを可能にする、言説の市、なんです、きっと。
●仁平勝「おとなの文学(13) ごく普通の青年たち」p54-
誤解されたくないが、個人がどんなイデオロギーの持ち主でも、それは俳句の価値と関係ない。けれども、そのイデオロギーが俳句の表現に入り込めば、それは月並みにしかならないということだ。ある読者からは、時事俳句にイデオロギーなどない、という反論が出るかもしれない。でもわたしにいわせれば、そもそも時事を俳句の題材にする発想自体が、市民主義というイデオロギーなのですよ。
時事問題を取り入れた俳句について。掲出部分に、異議無し。白泉の戦争俳句について、あれは時事俳句というものではない、という部分にも異議無し。
ただ、新聞読んで俳句作ったって、もともとそんなの駄目に決まってるじゃないですか。なぜ、そんなことを主張する人がいるのか。時事俳句を待望する論者は、俳句の現状、おそらくその極楽っぷりに危機感を感じているのかもしれない。その危機感自体は、すこし正当なものをふくんでいる気もします。ま、俳句にとって「9.11」も「九条」も「イナバウアー」と等価の言葉だということは、動かしがたいと思いますが。
●夏石番矢「五十人の空飛ぶ法王」p124-
特別作品50句。すごいですよ。それぞれの句から「空飛ぶ法王」という部分をのけて読むと、単なる心境です。何のアイロニーもない。〈白票を夕日に投じる空飛ぶ法王〉〈黒雲なびく大学の空飛ぶ法王〉〈レミングに置いてきぼりの空飛ぶ法王〉〈空飛ぶ法王眉間のしわから麦の種〉あなたの苦悩から、未来が生まれると言いたいのですね。〈受験生欄外に空飛ぶ法王を落書き〉若者にも大人気。
●現代俳人の貌(4)柿本多映 p176-
〈出入口照らされてゐる桜かな〉この句は関西の「元の会」という超党派の句会に出した句です。句会が始まる前に「この句を書いたんは、だれや」と永田耕衣先生がおっしゃるんですよ。「私です」と言ったら、「へえーっ。多映さん、これ書いたはええけど、いま書いてしもたら、あと、えらいこっちゃねえ」
山西雅子さんを聞き手にしたロングインタビュー。兜子、耕衣、間石、信子らの謦咳に接した経験など。耕衣が「句会の始まる前に」これ、だれや、と言いだしてるところなど、たいへん面白いです。柿本さんが、48歳から俳句を始めた方だったということにも驚きました。
●今月のことば抄 p236-
「週刊俳句」今号掲載、小野裕三さんの「あえて「俳句2.0」と言ってみよう」が、抄録されています。
●今月の好き句
残照やふらここひとりでに止まり 田部谷 紫
鏡から尺取虫が出て戻る 柿本多映
山河晴れたれば伏せおく白盃 〃
てふてふや水の面に杭一つ 森典代 (読者俳句)
※今号の注目記事は、なんといっても「新鋭俳人競詠」ですが、これは、来週に回します。
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2007-06-17
『俳句研究』2007年7月号を読む 上田信治
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