【俳句なんやかんや】
草刈の人の弁当草の上〔依光陽子〕
佐藤りえ×西原天気
りえ●こんばんは。夏が終わったような、そうでもないような曖昧な毎日で、暑がったり寒がったりしています。
草刈の人の弁当草の上 依光陽子
ミニマムな構成の句です。名詞が五つにひらがな「の」が三つ。「の」の連続はWord校正がなんやかや言うやつですね。流しますが。
天気●助詞「の」が生み出すリズムですね。 気持ちよく柔らかい。
りえ●そっけなく配置されたような言葉のつながりから、いろんなことが推察されて、じわじわくる句で、しがんでいます。
天気●そっけないようでいて、「草」の反復が技巧的。でありながら、いい意味の「ただごと句」でもあり、そのへんが嚙めば嚙むほど、なのでしょうね。
りえ●草刈り中で、弁当はまだ食べてないんだよね…?(カラの可能性)、とか、すぐそばで草を刈ってるから、その人の弁当だってわかるんだよな…とか、車やなにか別な場所じゃなく、草の上に弁当置くのかよ、昼食時間短いタイプなのか、とか、弁当が置かれた草も、食べ終わったあと刈られちゃうのかな…、とか。
天気●そこまで?(笑)景色としては、波多野爽波《掛稲のすぐそこにある湯呑かな》を思い出しました。書きぶりは違うし、《掛稲~》の冗長さ(これも悪くはない)とは無縁の端正な仕上がりですね。
りえ●深掘りしすぎは、エセ探偵のヘボ推理になりかねませんね、いや、いや。爽波の句も、なんというか、休憩を思わせる余裕があって、いいですね。「すぐそこ」、手の届くところに休むきっかけがある。《草刈~》も《掛稲~》も、休憩の予感があって、そこに特に惹かれるのかもしれません。
ちょっと角度が変わりますが、津川絵理子《箒目を乱し菊師の来てゐたり》という句がありまして、予感という意味で、こちらも好きな句です。枯山水とは限りませんが、白砂か何か、地面がちょっと乱れていて、「ははあ、菊の手入れだな」と察している、という。痕跡から「菊師」を呼び出すところが、時間の経過を思わせて、ほほう、となります。
『ふ、は鳥に』には、他にも時間の経過を思わせるこんな句が見られます。
今投げたる団栗ならず水の底 (p51)
この垣の徒長を宥し酷暑かな (p61)
空白やきさらぎと字を記すまで (p98)
張りし巣を見捨てし蜘蛛や道の雨 (p104)
いずれも、瞬間じゃなくて、時間の推移がうまーく織り込まれている句が、今自分的にちょっとアツい、ってところでしょうか。
りえ●お読みいただきありがとうございます。陽子さんの句は折々拝見していましたが、ブッキッシュだったり、山水画のようにシブかったり、と多彩で、いい意味で幻惑されていたんですね。句集によって、豊富な球種が「写生」を軸に展開されているのがありありと感じられました。