2007-07-01

言葉の腔腸類 羽田野 令

言葉の腔腸類 ……羽田野 令



言葉を逆さまに読んでみるということは、誰でも幼い頃にしたことがあるのではないだろうか。文字を書けるようになった頃、自分の名前を書いて下から読んでみる。最初はたどたどしく辿るのだが、いつの間にか反対からすらっと言えるようになっていて、後々までその言い方は覚えていたりする。逆さに読むと同じになる言葉があることも発見し、トマト等がその最初なのではないかと思うが、他にもっとそんな言葉がないかと探していると、まわりの者から「竹やぶ焼けた」や「わたし負けましたわ」などを教えてもらったりする。そんなことは子供の他愛無い遊びに過ぎないのかも知れないが、なぜ人はそういうことに面白さを見出すのであろうか。

それは、伝達目的のための道具として使うのではない、言葉そのものを材料することの一つである。同じ言葉を繰返し唱えること、例えば膝をちょっと擦りむいた時に「ちちんぷい」と言うことや、歌としてことばを何度も歌い繰り返す行為とも同じ領域の事柄である。

反対から読んだ時に広がる地平、全く元と違うものであれ元に還っているものであれ、それは異化された世界の出現であるが、何も手を加えずに見方を変えることで、それが偶然に内包している新たな位相に立ち会えるのは、目を眩まされるようなことである。

反対から読んで意味が変わる場合、元の語との落差の激しい時は、揶揄される材料になったりする。かつて白樺派は「ばからし」と言われたことがあるそうだ。言われて憤慨した武者小路実篤は、「アホダラ経まがひにバカラシといってからかはれた。バカラシの反対がシラカバだ。しかし、そんな語呂合せが何にもならないことはわかってゐる。ともかく軽蔑されてきたことはたしかだ」(『日本のことば遊び』小林祥次郎2004年)と書き残している。

「てぶくろ」を逆に言わせて六つ叩くというのは子供の頃皆したことだし、英語で神godの反対は犬dogであるというのもよく知られていることである。

今はもう廃れているが、良い初夢を見るために枕の下に宝船の絵を敷いて寝るという風習があった。江戸時代には刷り物の絵を売りに来て、人々はそれを買って枕の下に入れて寝たそうだ。京都市下御霊神社所蔵の寛永十二年(1635年)の絵(『図説七福神』伊藤光祥2002年)では、宝舟の帆の脇に変体仮名で、

 なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな

と、回文の和歌が書かれている。漢字を入れて書くとこうなる。

 長き夜のとおの眠りのみな目覚め波乗り舟の音の良きかな

古文では濁点はつけないから「ながき」=「なかき」である。「ねふり」は「ねぶり」と読んで「眠り」である。「とおの」は「遠の」と書かれている書物もあるが、「十」なのか、「遠」なのか、また他の「とお」であるのかは不明である。「遠」は仮名表記すると「とほ」であるが、回文では「を」「お」「ほ」は同じに扱われていることが多い。

残されている最も古い回文は、

 むらくさにくさのなはもしそなはらばなぞしもはなのさくにさくらむ

という和歌で、平安期の和歌実作の手引書『俊頼髄脳』(『日本古典文学全集50』1975年)に「廻文の歌といへるものあり」として載っている。漢字を入れて書き直すと、

 群草にくさの名はもし備はらばなぞしも花の咲くに咲くらむ

となり、群生している草々に瘡(くさ)の名が備わっているならば、なぜどれも美しい花を咲くに咲かせるのであろうか、の様な意の回文になっている。面白いことにこの歌の後に、これは「すみのまのみす」という言葉と同じ類で逆さに読んでも同じであると書かれている。当時、「隅の間の御簾」が今の「竹やぶや焼けた」と同じようによく知られている回文だったことがわかる。

では五七五ではどうかというと、江戸初期に出された松江重頼の『毛吹草』(岩波文庫『毛吹草』1988年)には、廻文之発句として78句が、『毛吹草追加』(正保四年1647年/同上)には発句以外に百韻二巻が収められている。

  名はいかに軒は椿の二階花       重頼
  月を常に見たか互(かたみ)に寝つ起つ  重方
  池の皆鴨か真鴨か浪の景        重頼
  馬子のるはむたいぞいたむ春の駒    光有

発句から四句引いた。意味の通った無理のない回文の句である。一句目にある、「名は」「花」の裏返りは他にもよく使われている。下五が「哉」で終わるものは、「永き」「眺む」「中」「長」のどれかで始まっていることが多いし、「遠」と「音」、「待つ、松」と「妻」や、「咲く」と「草」等とよく登場する語がある。やはり反対に読んで意味を成し、句に使い易い語だからなのだろう。

  楽までぞ花見て皆は袖まくら      直久
    友の来つるは春月のもと      重頼
  出し野をば雁が帰雁が羽をのして    重方

正保三年の百韻から第三句までをあげてみた。発句に切れ字が入り春の季語が入り、脇の体現止め、第三句の「て」止めと、きちんとした連句の形をとっている。初めの「楽までぞ」の「までぞ」は「あやしきまで」等という時の「まで」に助詞の「ぞ」がついている言葉だが、「楽なるまでぞ」の省略された形だと受け取ればいいのだろうか。回文には、このようなやや無理かと思われる表現に出くわすことはがあるが、反対から読んでも同じにするという技術の方が優先されてのことだろう。「楽までぞ」に関しては、いやこれでいいという見解もあるかもしれない。

現代の回文の俳句には、濁点は江戸期のように、が=か、とするのと、反対から読むときも濁点で読むというルールで作るのと二つのやり方がある様である。井口吾郎氏は後者の作家である。

  蔦が聴くサックス掘削機が立つ    吾郎

蔦の絡まっている瀟酒な建物、古い洋風建築を思い浮かべる。誰かが吹いているサキソフォンの音が響いている。と、カメラはずうっと後ろへ引いて工事が始まりそうな様子を映し出す、といった感じだろうか。真ん中の促音が、文字で見ている時はカタカナと漢字であまり気づかないのだが、声に出してみるとリズミカルな妙味がある。これが回文の俳句なのだから驚く。とても上質のマジックを見せられている気がする。

  遠く長い匙紫陽花が泣く音    吾郎『月天』第九號2006年

全体として湿度のある印象の句。「遠く長い匙」にある言葉のずらし。長い匙ならごく普通に解るが「遠く」があることでとてもシュールな匙となる。「音」を最後に持ってきたことで、頭が「遠く」となったのであろうが、それによって生じる少しの違和が効果的になった句だと思う。例えばダリの溶けている時計の彼方に柄の長い匙が描かれていたなら、それは現実をまさに超えて存在する「遠く長い匙」となる。そんな匙が、銀であれステンレスであれつるりとした金属の丸みが光を反射して光っている様子も描き得る、物が出され、次に紫陽花が泣くという抒情が示される。それは、三好達治の詩の「淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり」という世界を、何となく下敷きにして読まれる場合もあるだろう。紫陽花と匙は回文の表裏の関係にあるのだが、一見句の中では何か無意識の中の必然みたいなものに呼び出されて、ふと出てきた様な言葉同士として並んでいる。よくできた作品である。

ネットで回文を検索してみるとおびただしい数のサイトがある。回文に惹かれ日々回文を生産している多くの人がいるのである。形としては散文を短かくしたものが多く、内容も社会風刺や滑稽を含んだものもあり様々である。回文について種村季弘は円環の無限循環だと言い、「この言葉の腔腸類では、口腔が肛門となり肛門が口腔となって、流れと逆流が同一化する」(『ナンセンス詩人の肖像』1977年)と言う。回文とは、終わったところからまた始まることのできる、腔腸類の得体の知れなさと不思議さを合わせ持った言葉なのかもしれない。しかしそれは多くの人を惹きつけて止まない輝かしい腔腸類である。

2 コメント:

かわうそ亭 さんのコメント...

たのしく拝読いたしました。
貞門では回文がかなり流行ったらしいですね。蕉門俳諧では其角の『五元集拾遺』に次のようなのが残っているのだとか。

けさたんとのめや菖の富田酒

hatano rei さんのコメント...

かわうそ亭さま
コメントありがとうございます。其角が回文を作っているのは知りませんでした。「けさたんとのめや菖の富田酒」とは、豪快な、お酒が美味しそうな句ですね。京と大坂の間の富田は、酒造りの町だったんですね。当時は回文のほかにもいろいろな言葉遊びが流行ったようですね。