2008-03-02

散歩日和 第1回 谷保天満宮

散 歩 日 和
第1回 谷保天満宮





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2008年2月24日、日曜日、強風。
各地で電車が止まるほどの強風のなか、

第1回「週刊俳句的散歩」は、
「この、どこが日和なんだ?」的散歩となりました。

なんだか、第2回以降が心配になってきましたが、
第2回も、あります。きっと、
おそらく、たぶん。
(さいばら天気)



谷保逍遥
 ……長谷川裕


谷保といえば武蔵野のどまんなかである。その武蔵野といえば、楡や欅の大木がおいしげった屋敷林、あるいは椚や楢の雑木林ということになっている。昔から多くの文人が、四季おりおりに変化する疎林の美しさをくり返し称揚してきた。

そんなものはここのあたりには残っていない。無数の建て売り住宅、コンクリートの団地、物流倉庫などのあいまに、わずかな畑地が取り残され、腐れかかった大根が転がっていたり、狭い庭に貧弱なコニファーやら鳥の糞から芽吹いたピラカンサなんぞがちょぼちょぼ生えているといったぐあいだ。典型的な東京郊外の風景である。

深い緑は谷保天神の境内ぐらいだ。といっても、主に樫のたぐいの常緑照葉樹のため、昼から薄暗く、武蔵野特有の明るい落葉樹林のイメージとはちと違う。縄文的な湿度を感じさせる森である。

谷保天神に出るには、南武線の谷保駅から南に向かい、てれてれ歩いて五分ぐらい。甲州街道を渡ると、神社としてはちょっと変則的な、北に向いた参道にぶつかる。この参道は国分寺崖線を横断して、本殿へ向かって下っている。森の中では、いつも薄汚れた鶏が数羽、地面を突いて餌を探したりしているが、ここの神鶏なのだろう。

拝殿の前に合格祈願の絵馬が並んでいたり、ブロンズの牛像が置かれているのは、ここが菅原道真を祀っているからだ。牛は参詣客にさんざん撫でられて、鼻のところだけピカピカに光っている。

境内の外れの崖下には湧き水があり、池の中には太った鯉とか、きれいな鴨が緊張感なく泳いでいる。亀もたくさんいて、石の上で甲羅干ししているが、よく見ると毒々しい原色の黄や緑に彩られており、アメリカから来た奴だとわかる。首を伸ばすと獰猛そうで気味が悪い。おおかた縁日かなんかで買ってきたのが捨てられ、育ったのだろう。

拝殿の東側の高台に小さな梅林があり、梅の花が咲いている。いい匂いがする。団子屋なんぞも店を出している。

この梅林から南側を望むと多摩川が見えるはずだが、物流倉庫やラブホテルなんぞが林立するうえに、中央高速道路の土手にさえぎられ、どこにあるのか判らない。ただ、多摩川の対岸につらなる多摩丘陵の稜線が遠くに見えるので、あのへんが河なのだなあと知れる。とにかく乱雑な風景だ。お行儀が悪い。

   ●

武蔵野については、小さいころからさんざん洗脳されて、ぼくの頭の中には「昔はよかった」とする固定観念がすっかり出来上がってしまっている。まずは『鉄腕アトム』の『赤い猫の巻』だ。都市開発で破壊され、わずかに残された武蔵野の森を守るために、マッドサイエンティストが動物を催眠電波でコントロールし、人間社会に大混乱を引き起こすうんぬんというお話で、その悲劇的結末は、少年のセンチメントをおおいにくすぐった。いまの環境問題を先取りしたとでも言おうか、少年は『鉄腕アトム』によって、とにかく木を切っちゃいかん、自然は大事なのだと教育されたのである。

『赤い猫の巻』には国木田独歩の『武蔵野』の「されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその路が君を小さな林に導く……」という有名なくだりが出てくる。そこで、中学生になった少年は、辞書を引き引き原典の『武蔵野』にあたり、つづけて德富蘆花の『みみずのたはごと』、さらに渋いところでは、上林暁の武蔵野を舞台にした一連の短編てなぐあいに読み進み、そのうちに、すっかり武蔵野センチメンタリズムに毒された。武蔵野は人々にうるおいをもたらすかけがえのない欅や楡の雑木林であり、それは日々とどめようのない開発によって乱伐され、過去へ追いやられていくという典型的イメージである。とどめが『となりのトトロ』だ。

しかし、この手の自然を守れ、樹木を守れ的センチメントは、どんなもんなんだろうと、ぼくはぼくの頭の中を疑ってかかる。建て売り住宅だって、ラブホテルだって、物流倉庫だって、必要だからできているんであって、そいつはちょっと以前まで、必要だったからそこら中が畑や田んぼや屋敷林になっていたのと同じことじゃないかしらん。縄文人は、森や湿地を切り開いて、どんどん畑や田んぼにしてしまう弥生人の乱開発ぶりを、さぞかし苦い思いで眺めていたことだろうが、しょせん人の暮らしなんて、乱雑で、お行儀の悪いものなのだ。

谷保天神の境内を出て、国分寺崖線沿いの細い路を東へ向かう。きっと昔から人が往来した古い路だと思う。そんな味がする。昭和三十年代に建ったのであろう、時間が経ってもちっとも味の出てこない小住宅や、赤いアルファ・ロメオなんぞを置いた、ま新しいショートケーキハウス、あるいはどんな人が住んでいるのか、奇っ怪な壊れかけた古アパートなどが、笹藪や生け垣、錆びた自転車やオートバイなどと乱雑に混じって、いい感じだ。白木蓮の花芽がふくらんでいる。

路の突き当たりを左へ曲がり、甲州街道へ戻る。崖沿いの枯藪の中から、パチンコ屋の大看板が青空に向かって力強く突きだしていた。





photo by saibara tenki



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