2008-05-04

山上譚抄 長谷川 裕

【特集・海外詠】

山上譚抄  ……長谷川 裕


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日の霊は黒曜石を透けて撲つ

乾期なり痩もろこしも痩蔭も

雨蛇や楽隊いまだ現れず

白昼の木馬は人を待ちにけり

かはたれそ樽を満たせる紅ばつた

山頂に星の骸や犬の昼

柑橘を袖もて拭い騾馬を蹴る

片陰に溶けて鳥語のおみなたち

いわくらへ糞ころがしの艱苦して

平原よ我も虫喰う艸の裔



  


ざっくり骨太


  稲妻や山の麓でカレー喰う  H・M

いまは音信不通となってしまった、かつての俳友H・M氏の句。長いあいだインドやカンボジアあたりを放浪しており、どうやらネパールあたりで拾ったらしい。吃音のうえに、たえずブツブツ独り言ばかりと、ほとんど会話のなりたたない男だったが、不思議なことに俳句はいつもきわめて健全だった。この句が印象に残っているのは、言葉の輪郭がしっかりしており、句意明瞭だからだろう。どこか北斎の「山下白雨」を思わせるところもある。

  マンハッタン万有引力見え晩夏  下村まさる

もう十年ほど前に亡くなった、会社勤めをしていたときの先輩の句。むろんニューヨークを訪ねたときに得たのであろう。万有引力は巧みだが、むしろ「晩夏」という下五が絶妙。晩夏の残照を浴びて光る摩天楼の高さがよく見えてくる。

虚子が外洋航路の汽船に乗って、欧州へ遊んだ時代といまはちがう。だれもがかんたんに海外へ行く。芭蕉が奥の細道で命がけの旅をしたときとはことなり、修学旅行、いや、それ以上のお気軽気分であろう。海外詠といっても、特別にかまえるほどのことではない。

ただ、海外詠でむずかしいのは季語だ。日本国内でしか通用しない特殊な季語はものの役に立たない。前の二句が成功しているのは、「稲妻」「晩夏」という、世界中どこへもっていっても、おおかた通じるであろう、単純明快な言葉をキーポイントにしているからだ。

海外詠の場合、日本でしか通用しない微妙なニュアンスとか、言葉のアヤによりかかった、ひ弱な作りかたをすると、うまくいかない。ざっくりと骨太にいったほうがいいようだ。とはいえ、そのざっくり骨太にというのがとてつもなくむずかしいのだけれど。

ところで、うちのかみさんのニナ氏に言わせると、俳句は電報みたいで、さっぱりわからないのだそうだ。で、芭蕉の「古池」の句は、つぎのようなことになるらしい。

  静かな池 蛙がぽーんと落ちた

う~む、これはこれでなんだかいい。ま、そんなことを詠っているワケだし。あながち遠からずという気がする。単純明快である。ざっくり骨太である。






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