2008-08-31

『俳句』2008年9月号を読む 上田信治

【俳誌を読む】
『俳句』2008年9月号を読む……上田信治




●大特集 忘れられない名句集20 p.59

先月の「師の時代、私の時代 師は自分の年齢でどう詠んでいたか」に続いて、ふたたび懐古的・過去検証的な特集。「師の時代、私の時代」は、自分的にはかなり楽しめて、さすが俳人は、師を語らせると、短い文章でも背筋が通るというか、なんというか。

今月の特集は、戦前戦後の名句集を各10冊ずつあげて、昭和の俳句的遺産を概観しようという内容。

思ったこと。

句集は、作家がそのキャリアのばらばらの時期に出すものなので、時系列に並べても、あまり意味がないというか、流れが見えてこないという、恨みがある。

先月の特集と同じく、見開きの右側に短文。左側に代表句というページ構成だが、句集に対する各評者の文章は、あまりにも分量不足。各句集からの30句は、もの知らずの自分にとっては、ああ、こんな句あったか、という発見はある。

総論の位置にある「戦後の名句集概観 十の誕生に立ち会う」(小林貴子)に、ちょっと驚いた。

鷹羽狩行『誕生』(昭和40年)を「伝統の誕生」の句集であったと位置づける(それは、編集部のセレクトによる戦後10冊をそれぞれ「○○の誕生」とする、小林氏の趣向なのだけれど)。

ここで「誕生」したものは何か。私は「伝統」だと考える。平成20年の現在、俳句界の主流となっている傾向、すなわち、よどみなく、写生の目を効かせ、すっきりと一句を構成する。内容を腸詰めにせず、風通し良く、作者ならではの発見を無理なく読者に伝える。新しく、ユーモアがあり、知的だが旧態依然たるひねりなどは超克している。これは狩行によって構築された平成の伝統といえよう。(p.87)

うう〜ん。そうですかw?

それは「伝統」じゃなくて「流行(トレンド)」でしょ、ということは容易いのですが、そうやって斥けてしまうには惜しい「おもしろい」暴論です。


●現代俳句時評 第9回「近刊句集から」藤原龍一郎 p.162

佐藤文香『海藻標本』、金子敦『冬夕焼』の、2冊の句集をたっぷりと紹介。まず、おなじモチーフの句をとりあげて、対比を試みている。

灯を消してのちの水中花を知らず
真夜中に蕾のひらく水中花

ジャズの声けだるし桔梗一輪挿
合歓の花濡れてデキシーランドジャズ

あけがたの詩集に頁毎の冷え
流星や古りし詩集に銀の帯

それぞれ前が佐藤文香、うしろが金子敦、作。

「特に他意はない」と藤原氏が言うように、その比較自体にはそれほど意味はないのだろうが、並べることは、なんにせよ面白い。

その並びから筆者(上田)が感じたのは、二人の作者がともに、俳句「外」の感覚、俳句「外」の価値を把持しつつ、俳句の可能性をさぐっているのかな、ということ。

晩夏のキネマ氏名をありつたけ流し 佐藤文香
夏休みマーブルチョコの赤青黄   金子敦


「俳句の現在」を近刊の二冊の句集から味わい検証してみた。佐藤文香の新鮮な自意識も、金子敦の円熟した表現技巧も、「俳句の現在」を形作る重要な要素であろう。俳句を味わう醍醐味は、歴史の継続を認識した視点で、眼前の成熟や変化の意義を感受し、その価値を迷いなく見極めることである。この二冊の句集は、少なくとも、時代のノイズの堆積にたちまち埋もれてしまうことはないはずである。(p.167)


今号の大特集と、平仄の合う、結論でした。



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1 コメント:

とき さんのコメント...

今頃、コメントしてなんですが、
人物を詠う 岸本尚毅 (p.132)
が面白いです
騙されたと思って、ご覧ください