2009-02-22

10句テキスト 如月真菜 女正月

女正月   如月真菜


七日はやホームシックと言ふことも

鬚長き神に詣でて女正月

身籠りし人ら集ふや女正月

一月の月ぽつかりとハイウェイに

袖口を持つくせありて懸想文

寒明けやこの界隈になれてきし

フランス文学まはりくどきを読初

書初の仮名文字女々しむつかしく

賀状来る恋終らせし人よりの

これもまた寒九の水と排水す

1 comments:

匿名 さんのコメント...

如月真菜様

 獅子鮟鱇といいます。漢詩人です。
 玉作10句拝読いたしました。死語化した季語をこのように使えばかくも面白い作になるのかと、ただただ口呆目鈍,吃驚しました。

  身籠りし人ら集ふや女正月

 わが家の正月は、娘夫婦と息子夫婦が年賀に来ますが、家内が手作りのおせち料理で彼らを歓待する、ということはありません。
 おせち料理はデパートから、去年は中華、今年はイタメシ屋の試作おせちでした。主食は元旦から開いている寿司屋です。
 思い出せば家内は、専業主婦として四十年近くになりますが、おせちを作ったことは、一度もありません。
 つまり、正月に働いたことはない。そこで、女正月は、小生の歳時記では、私と家内が結婚した昭和の時代に死語化した季語です。
 しかし、如月さんの句はそういう季語の死語を詩語として生かしていますね。女正月、懸想文、読初。それら死語となった季語を墓から運び出し洗い直して新品にし、今風に詠んでいますね。うまく使えば死語となった季語には、それが生きていた時代の習俗を提示する力があり、当時と昨今という時間の二層化を短い俳句のなかに組み立てることができる、と思いました。
 女正月。女正月が死語でなかった時代、身籠っている女性たちもおせちを作ったり、客に出したり、甲斐甲斐しく働いていたのでしょう。しかし、今の時代はどうなのか。少子化の世であれば「身籠りし人ら」は周囲から大切にされ、おせち作りで姑にこき使われる、というようなことはきっとない。おせちが作れない嫁などは要らん、とでもいえば、その家には嫁は、始めから来ない。
 そこで、現代の「身籠りし人ら」が、どういうことで女正月に「集ふ」のか、小生にはいささかわかりにくいのですが、きっとお産友だち(妊婦の定期健診で知り合った友だち)がお茶を楽しんでいる、ということかと思いました。
 というようなことで、玉作、大変面白く拝読した次第です。

     拝讀如月真菜女士俳句作品題“女正月”有感作一首絶句

  女人往古忙年菜,孕婦当今閑飲茶。春風十里長街起,五色点心如尾花。

   女人 往古には年菜に忙しく,
   孕婦 当今 飲茶に閑なり。
   春風 十里 長街に起こり,
   五色の点心 尾花のごとし。
     尾花:文章などの余白を埋める捨てカット