2009-02-01

さきちゃんへの手紙 佐藤文香











さきちゃん。私達が初めて会ったときのことを覚えていますか。夏井いつきさんの家での句会じゃなかったかしら。初めて会った私にも気さくに話しかけてくれたね。たしか私が中学2年生、あなたが高校1年生の終りごろだったように思います。

私は、学生のためのファックス句会「俳句の缶づめ」に、いつきさんの授業で俳句に興味を持った仲間と一緒に参加することにしました。その中に「紗希」という女の子——と言っても私にとっては2つ先輩のあなた——がいました。

   海に礼桜紅葉の艇庫から   紗希

これは高校のボートレースか、ボート部のことを詠んだ句でしょう。海面はキラキラと輝き、砂浜に礼をする日焼けした高校生たちの姿がある、艇庫にはきっとボートがたくさんしまってあって、桜紅葉が赤々と秋を告げる。好きな句です。

とにかく松山東高の「紗希ちゃん」に憧れて、「紗希ちゃん」の通う東高に行って高校生活を送るのが楽しみでした。ファックスにはお便りコーナーもあって、「紗希ちゃん」がそこに東高の先生のことやイラストなどを投稿しているのを見るのも面白かった。いつきさんの句会に行くと、あなたがいて、文香と呼ばれ、さきちゃんと呼べるようになった。

東高は「俳句甲子園」に出場していて、中学三年生になった私は実際に会場に見に行きました。あなたはチームのキャプテンでしたが、他のメンバーはあまり発言せず孤軍奮闘というかんじで、準決勝で伯方高校に敗れました。いつも笑顔だった憧れの紗希ちゃんが今にも泣きそうな顔で舞台から降りてきたとき、(今思えば随分生意気ですが)「さきちゃんのために、東高に入って一緒に俳句甲子園に出たい」と思いました。

私は東高に入学し、あなたは三年生になりました。俳句甲子園に出るためにはメンバーが五人必要でしたが、前年のメンバーはあなたしか出ないという。私は中学時代に一緒に俳句を作っていた二人を誘い、未経験の金子君を勧誘して、メンバーを揃えました。

さきちゃんは放送部の部長で、しかも運動会の縦割りグループのグラ劇(グランド劇場という総合芸術とも言うべき劇)のリーダー、多忙を極めていました。だから私がはりきって他のメンバーを取りまとめ、あなたのいない日も、四人で特訓しておきました。

   起立礼着席青葉風過ぎた   紗希

俳句甲子園の準決勝でこの句が発表された瞬間、会場から拍手が起こったのを覚えていますか?そういえば三年生の教室は左右とも廊下が屋外のようなもので、夏は吹き抜ける風が気持ちよかったね(もうあの校舎は取り壊されてしまいました)。団体戦の結果は優勝、あなたの「カンバスの余白八月十五日」は最優秀賞に選ばれました。でも賞よりも、俳句にわき起こった拍手の方が、嬉しかった。そうじゃない?


そののち、さきちゃんは大学へ進学、私は高校生活のつづき。私は2年生でもさきちゃんなしで俳句甲子園に出場しました。私の夕立の句が最優秀賞でした。でも貴女はそれよりも「熱帯魚すれ違ふときふれ合はず」の方をいいと言ってくれましたね。この句はどうしてできたかまるで覚えていませんが、さきちゃんに好きだと言ってもらえたのは、今でも覚えています。

さきちゃんのいない松山で私は、「東京に行けばさきちゃんの行っている句会に連れて行ってもらって、新しい俳句仲間とも出会えるだろう」とわくわくしていました。そういえばさきちゃんが実家に帰って来ると会いに行って、東京でのキャンパスライフについて聞いたりしたよね。

あなたは芝不器男賞の坪内稔典賞を受賞したのをきっかけに、句集『星の地図』(まる新書)を出版し、BS俳句王国の司会も務めることになりました。きっといろいろなことが大きく変化した(また、大きく変化させなければならなかった)時期だったろうと思います。一方私は東京に出て、とにかくあなたを頼りにしていた。大学の俳句研究会の先輩を紹介してもらったり、句会に連れて行ってもらったり。

俳句漬けの大学生活が始まりました。私は谷雄介と「ワセハイ」なるものを作り、既存の「学生俳句」に対抗しようとした。そのころさきちゃんは自分のうちで夕飯を作り、句会を開いたりした。けれども何だか、その句会も違うような気がした。そして何より、あなたの句の「キラキラ」は、高校時代のあなたの作品に及ばなかった。

あなたは高校時代から、もちろん人に気を遣うことのできる人だったけれど、才能があるし可愛いから、狭い松山ではいつだって「ヒロイン」にならざるを得なかった。東京に出たあなたは一転して、自分の立場をわきまえ相手を立てる「大人の女性」になった。それが自分の本領だと気付きもしたでしょう、それは今も変わらない、しかしあの頃のあなたは今とは違う。まだそうするには余裕が足りず、心細く、疲れていたのではないでしょうか。

大好きな句会に出ることを反対する人が近くにいたり、だから無理にでも句会をしたり、句会を催すにも人に気を遣って…そんなときに私は、あなたが覚えているかはわかりませんが、「神野紗希は結局高校の頃の句の自己模倣だよ」などと直接言ったりもしたものです。

意気揚々と東京に出てきた私にとって、「ヒロイン」で「憧れの先輩」だったあなたが、みんなにいい顔をしてお酒を注いで、作る句にもあの「キラキラ」がなくなって……「憧れ」を裏切られたような気がしたのでした。

そんな私にも優しくしてくれたさきちゃん。あの頃の私は、あなたが一体何を考えているのかわからなかった。それは私が幼稚であった以外に、理由はありません。なのにあなたが今も私を友達として、可愛い(憎たらしい?)後輩として、またはライバルとして、相変わらず優しくしてくれることに、心から感謝しています。

   桃咲くや骨光り合う土の中   紗希 (週刊俳句第43号「誰か聞く」より)

あなたは地道に俳句を続け、小さな仕事も辛い仕事もこなし続けた。尊敬できる理解者を得たのも大きかったのでしょう。確実に力をつけて、活躍している。私は猪突猛進したりアップダウンを繰り返したりして、さきちゃんや皆に助けられて今に至ります。よし、今からや。

もう何度も言うたけど、いったん松山に帰るね。やなかった、「松山に行く」んやった。収録で帰って来るとき、またいつでも会おね。

  とにかく、今の俳句じゃいかんのよ!
  どうにかせんならん!うちらで!!
  作戦会議はまた今度、松山大街道三越のAfternoonTeaで!


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