2009-08-23

商店街放浪記16 大阪 空堀商店街 前編 小池康生

商店街放浪記16 大阪 空堀商店街 前編

小池康生



空堀商店街は、上町台地の西側、急な斜面にある。
といっても、岩手県や熊本県や岐阜県の人には、上町台地では分からない。

大阪の街をイメージしていただきたい。
ざっくりと、実にざつくりと説明するので、頭に描いていただきたい。

西に大阪湾があり、
東に生駒山があり、
その間に、大阪の街がある。

市内の中心地に、南北に、細く長く伸びる高台を思い描いていただきたい。
これが上町台地。
岐阜県の方は、大阪市内に台地があるなんてことをご存知ないかもしれない。
場所によっては標高30数メートル、20メートルもある台地なのだ。

上町台地の北限には、大阪城があり、大阪府庁があり、NHK大阪があり、
難波宮跡がある。ずっと、南に行くと、聖徳太子の建立した四天王寺がある。
この台地は、古代都市であった頃から現代まで長年大阪の文化経済の中心地なのである。上町台地は、さらに南、住吉界隈まで続くのだろうが、大阪人が「上町台地」と言うとき、天王寺の寺町界隈から大阪城界隈を指すことが多いように思う。

熊本県の方々は、天王寺七坂と言う美しい坂をご存知ないかもしれない。
上町台地の西側、大阪湾に展ける急な坂道だ。
真言坂―――。
源聖寺坂―――。
口縄坂―――。
愛染坂―――。
清水坂―――。
天神坂―――。
逢坂―――
学園坂―――。
夕日の沈む大阪湾にむかって下る坂道。
天王寺七坂と言いながら、さりげに<学園坂>を入れて八坂、わたしがいつか眠るであろう寺が学園坂の下にあるもので、つい、贔屓を・・・。

とにかく西に向いて多彩な坂がある。
四天王寺の鳥居なども西を向いているが、それは彼岸の中日、大阪湾に沈む夕日が鳥居のなかにすっぽり入るように設計されているのだ。
古代より、この上町台地の西は大事だったのだ。

確か、春の季語『貝寄風』は、ここの岸辺に貝を寄せる季節風だ。
岩手県の方はご存知ないかもしれないが、大阪平野はかつてほとんど海であった。生駒山と、半島状の砂嘴であった上町台地のほかは、海だったのだ。
だから、上町台地の西側に展開する坂道は、海蝕された崖。掘れば貝や魚の骨が出てくる。そんなところに四天王寺があり、同じ上町台地の北側に、空堀商店街がある。

長い前節であったが、こういう雰囲気を伝えないと、空堀商店街の話はできない。空堀を歩いているときの気持ちの良さは、上町台地の持つ空気に触れている気持ち良さでもあるからだ。

上町台地は広い。
空堀商店街は、文化の中心地大阪城界隈と、寺町である天王寺界隈の中間に位置しながら、生活の匂いがほどよく漂う街なのだ。

空堀と書いて、カラホリ。
<大阪城の三の丸外堀>があったところで、大阪冬の陣で徳川方に埋められた堀。だから、空堀。
埋められたのにカラ。いや、逆。喪失した掘だから、空堀。

さて、どこからどう書いたものだろう。
空堀商店街の心地良さをどう書いたものなのだろう。

数日前の8月20日、<路地裏荒縄会>であった。
今回は、わたしが幹事。空堀と決めたのは、昼に最近人気のうどん屋<春菜>に寄ってみたいということと、夜は皆で洋食の<もなみ>か、お好み焼きの<冨紗家>に行こうと、めしのプランを立てていたのだ。

<路地裏荒縄会>のメンバーが集まるのは、18時45分。
しかし、わたしは讃岐うどんの店を訪れるため、14:00頃から空堀に行った。この時点で夜の集合時間までずっと歩き倒すとは思ってもみなかった。

わたしがこの時点で考えていたのは、<春菜>なる店を訪ねることと、<直木三十五記念館>を訪ねることだった。

まずは、<春菜>に行くのだ。
最近大阪では、さぬきうどんの名店がぞくぞく誕生している。
長年、大阪駅前第3ビル地下2階の<はがくれ>しかさぬきうどんの旨い店はなかったのだが、最近は、大阪のあちこちに評判の店があり、ここも一度訪ねておきたかったところ。実は、何日か前に訪れ、休日だったのだ。

さて、<春菜>。
今日は、開いている。
・・・しかし、閉まっている。
うん?どういうこと。
店の前の楽譜のように飾られたメニュー。そこに、貼紙があり、麺が売りきれ、本日はお終いということが書かれている。
営業時間は、14時30分まで。
現在は14時前。閉店・・・。名古屋大須編のスタートを思いだすではないか。

売り切れと書いてあるのだから、諦めればいいものを、ものは試しで扉に触れてみる。開くではないか。カウンターには客がいるではないか。うどんを食べているではないか。
レジに女将さんらしき上品な人。
「すみませんっ。今日は、麺が全部出てしまいまして」
それは表に書いてあること、わざわざわたしが扉を開けるから、お店の人を謝らすことになる。さらに、
「この前も入れなかったんです。二度続けて・・・」
このひとことで、女将さんらしき人は、さらに腰を折り、
「あーそれは、すみません。こんなこと滅多にないんですけれど」
丁寧な詫びを述べていたくことになる。この前は定休日、こちらが悪いのに・・・。こういうところ、本当にわたしは根性が悪い。言えばどうなるか分かっているくせに。食い意地が余計なことを言わせる。

あー、食いたい。どんなうどんなのだろう。昼から麺が売りきれるなんて、さぞ旨いのだろう。また近々来て見なければ。

我が身の不運を恨み、空堀商店街に入る。
さぁ、気分を変えよう。
少し歩くと、すぐに空掘り商店街の雰囲気に浸れる。
不思議なことだ。
幾ら店が多く、有名な商店街でも、なんの感動もなく、
「書くことないや」
と思わせるところもある。
数分歩けば、その商店街にトキメクかどうかが分かる。
それはドラマや映画を途中から観て、5分もすれば面白いかどうかが分かるのと似ている。

大阪市内の中心地は、大空襲でほとんどが焼け野原になったというのに、この界隈は奇跡的に残り、だから、昔ながらの長屋が並び、実にいい味をだしている。 しかも、石畳。上町筋からはじまる坂の商店街だが、商店街の両脇に時々、路地が現われ、その横道がまた坂となっていたりするから、なんともロケーションに 変化がついて面白い。
秋口に歩くのにぴったりの商店街である。
しばらく、アーケードのない商店街。
途中でアーケードが始まる。
アーケードに、<空堀ど~り>とある。
ここら辺は、空堀通りではなく、<空堀ど~り>。
ブロックにより、微妙に名前が変わるのだ。
ちょうど、このアーケードの始まるところ、横道があり、その角に石碑。
<熊野街道 大阪天満八軒家から2.1km>と記されている。
蟻の熊野詣といわれた参拝、京からは船で淀川を下り大阪の天橋界隈で下船し、この街道を歩いて、熊野に向かったのだ。

アーケードに入るとコロッケを売っている店やたこ焼屋。
この商店街のたこ焼は、いずれもチェーン展開でないのがいい。
最近、下町の商店街も、チェーン展開のたこ焼が増えどうも情緒がない。

しばらく進むと、谷町筋という大きな道路と交差する。
その手前に<洋食の店 もなみ>がある。
しかし、閉店。
今日は夜だけ営業との貼紙。そういう展開になっても本日は穏やかである。上町台地の静けさが、わたしを穏やかにする。
お好み焼きの<冨紗家>も昼はやっていない。
ここはNHKに近いので、役者やアーチストがよく訪れ、NHKでドラマ収録をしていた松田優作が連日通っていたことでも有名。
<冨紗家>、<洋食のもなみ>、すこし外れに<春菜>、有名店が三店も存在するのは、商店街にとっても大きなコンテンツだ。

カレーにしよう。昨日の昼もカレーだったが、カレーにしよう。
近くのカレー店に入る、雰囲気はいけそうだったし、タレントに色紙も多かったが、わたしにはピンとこなかった。だから省略。

もういい。夜に旨いものを食おう。ペーパーさんや、筆ペンさんは街に詳しい。なにか新しいところを教えてくれるかもしれない。
直木賞だ。違う、直木三十五記念館だ。これを探そう。
この近辺であることは確か。
住所を調べればいいものを、どうもそういうことが嫌いなのだ。
歩いて出合う。そうしたい。見つけられるはずだと思ってしまう。
そして、また歩きだす。

谷町筋を越え、商店街を進む。ここからは、<はいからほり>と表示される。
色々な店があるが、魚屋が何軒かあり、これが印象的。商店街に質感を与えている感じがした。魚が並び、氷がかけられ、その氷が溶け、商店街に流れだす。店主が声を掛け、おばさんが自転車を止める。ハンドルには傘をセットできる“装置”が付いている。

商店街の左右に石畳の路地が複雑に伸び、昭和の長屋、いや、ひょっとするとそれ以前の建物もあるのかもしれない。

坂をくだると、松屋町筋。ここは人形問屋、お菓子や玩具の問屋街。駄菓子屋の卸しもあり、ここで、景品つきの菓子を大人買いする人もいるようだ。

また商店街を上がる。
どこかに看板があるはずだろう。
<直木三十五記念館>、矢印なんかあったりして。
見落としたのかなぁ。
看板を気にしつつ、商店街の店を楽しみつつ、坂を上り、坂を下り・・・。
ないなぁ。
しかし、手がかりがなくとも、この商店街はわたしを苛々させない。

てにをはを省き物言ふ残暑かな    戸恒東人

                  
       (続く)

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