2009-11-01

商店街放浪記21 大阪 福島聖天通商店街 小池康生

商店街放浪記21 大阪 福島聖天通商店街

小池康生


「ここは、昔、大阪の四大商店街のひとつだったんですよ」
商店街に入ると、横に並んだ筆ペンさんからそう言われた。
ここが、四大商店街のひとつ・・・知らなんだ・・・。


路地裏荒縄会。今回の幹事は、筆ペンさん。物識り俳人である。

ペーパーさんもいるし、ペーパーさんのエスコートする赤レンガさんもいる。
赤レンガさんは、前回まで本名で登場だったが赤レンガさんにしたいので、赤レンガにした。

赤レンガさんは、赤レンガの建物に惚れ、建造物の写真を撮り歩き、建物の来歴を調べ上げ、一冊の本にしてしまった。
ペーパーさんのエスコートするゲストだが、出席率がいい。

他のメンバーも四大商店街という言葉に驚いたはずだ。
わたしは、大阪に四大商店街なんて言葉があることすら知らなかった。

この情報がわたしを俄然、元気にさせた。
実のところ、大阪に戻り、大好きだったこの商店街は何度か歩いているのだが、イメージが変わり、正直なところ少々がっかりしていたのだ。

「昔は、寄席や芝居小屋もあり、西の心斎橋と呼ばれていたようです」

筆ペンさんはなんでも識っている。
前々から物識りだとは気付いていたが、一度句会にお邪魔してさらにその印象が強まり、荒縄の度、抑えても抑えても溢れる知識というものを感じる。

基(もとい)。
四大商店街の話である。
それは―――
天神橋筋商店街(当時は十丁目筋)、
心斎橋筋、
聖天通商店街、
九条新道の四つだそうである。

天神橋筋商店街と心斎橋筋は有名である。
しかし、他のふたつは、あまり知られていないし、現在の大阪ではマイナーな存在だ。

往時の光景を想像してみるが、なかなか画が浮かばない。

聖天通商店街の所在地は、大阪市福島区鷺洲。鷺洲という地名からも分かるように、昔は湿地帯。海の端だったのだ。
だから、この<聖天>の指し示す<福島聖天 了徳院>には、

  杜若語るも旅のひとつ哉   芭蕉

の碑が境内にある。この界隈、杜若の名所だったのだ。

この福島聖天通商店街、東京へ行くまでは好きな商店街の一つだったのだが、
今は複雑である。
『売れても占い商店街』という幟をあちらこちらに掲げている。
ダジャレであるし、占いに特化した商店街をアピールしているわけだが、
こういうコピーをよしとする感覚がなんだかなぁであるし、わたしは、相当苦手なのだ。

空き家を占い師で埋め、商店街全体のイメージづけにしようということなのだろうが、以前にも書いたが、占いを売り物にするのは末期的症状で、しかし挽回できるならそれはそれでいいが、謳い文句が、イメージ付けがこれでいいのだろうか。

世間も皆さんは喜んでいるのだろうか?
そんなことには目くじらを立てず、健闘を祈っているのだろうか。
わたしも目くじらは立てていないのだが、愉しくならない。

そんなわたしの気持を察したのではないだろうが、筆ペンさんが、
「この商店街は、聖天さんの参道。その聖天さんと、観相学の大家、浪速の相聖、水野南北ゆかりの場所であるというのだ。

江戸中期の1760年~1837年を生きた南北は、両親を早くに失い、盗み、酒、ばくち、喧嘩に明け暮れる日々、酒代欲しさに押し込み強盗の罪を侵し、牢獄に。そして、罪人の集まる場所で、人にはそれぞれ人相がることに気づき、娑婆に出ても、また牢獄にいる人間との人相の違いに目覚め。人相学に目覚める。

その南北が、聖天さんの院主に諭され、一念発起しているというのだ。
 
その後、南北は、年間、散髪屋の小僧になって 頭の相を研究。
次の3年間、風呂屋の三助をして 裸体を見ながら体格を研究
さらに3年間は、火葬場の死体処理をして、死者の骨相やなどを研究。

放蕩無頼がいつの間にか研究者となり、『南北相法』、『相法早引』など数々の観相也占いに関連するっ書物を出版、名声を博し、門人を持つにいたる。

そのきっかけのひとつに院主の論しがあり、そういうゆかりが、「占いの商店街」構想に確たる発信のきっかけとなったそうな。

話に感心しながら、それならそれで水野南北を表にだせばいいのにと思う。
『売れても占い商店街』はないだろう。いや、ありだが、わたしになかではない。

さて、福島の地理を多少なりとも紹介しておかなければ、他府県の方には分かりづらいだろう。
JRで言えば、大阪駅の隣りである。
大阪一の繁華街の隣りの街でありながら、中心地とは呼べない場所なのである。ありていにいえば、辺鄙なのである。

この商店街のそばに大阪の朝日放送があり、そのむかいには局が経営するホテルプラザがあった。その局は同福島の南側、水都中之島の連なりに移転し、ホテルプラザはそれ以前に廃業。ホテルのなかは、大塚家具の展示場と化した。旧朝日放送の建物とホテルプラザの間には、大阪タワーがあり、建設当時、わたしは母に連れられ、近所の親しい一家とタワーに昇り、それはまさに三丁目の夕日の世界であった。

つまり、朝日放送のおかげで華やかところもあったが、大阪駅の隣りの駅でありながら、侘び寂びの町なのだ。

しかしながら、放送局のおかげで、今も旨い飲食店がた多数ある。
朝日放送が移転したおかげで、商店街はより危機感が増したかもしれない。

福島とはそういう街である。
先に湿地帯と書いたが、それは昔の話で、今では海岸線はずっと西に移り、ここは町中なのである

「聖天さんは、高田屋嘉兵衛もゆかりなんです」

筆ペンさんからまた新しい情報が発表される。
今日は歩きながら、講義を受けているようである。


虫の夜知音知音と鳴けるかな  行方克巳
                        

 (続く)

1 comments:

Unknown さんのコメント...

またまたおもしろいとおりですね。いってみよう。おかげさまで世界が広がります。
筆ペンさんは、私も、どうしたらこんなコトやこんなお店の情報を知っているんだろう、と不思議に思っているんです。打ち明けたところを聞いてみればそう不思議でもないなりゆきで、いわば偶然の出会いらしいんですけど。。こないだは、さる関西の長老行きつけの店というスナックに連れて行ってくださいました。人生の味わいの判る、80歳のママさん・・。

うーん。その日の「句会」もひとあじちがっていたし。

商店街放浪記とおなじく、「じんかん」をほうろうしているのかな?彼は。