2010-12-05

【句集を読む】下村志津子『可惜夜』を読む 小池康生

【句集を読む】
火の色を孕む 

下村志津子句集 『可惜夜(あたらよ)
(2010年8月・角川書店刊)を読む 

小池康生

(「銀化」2010年11月号より転載)


下村志津子は昔、書店で働いていたことがある。

請われて、責任ある立場で住みこみの勤務。毎夜、二、三冊の本を寝床に持ち込み、眠るを惜しみ読書に耽り、朝になると、そっと商品棚に本を戻した。独身時代の話、俳句を始める前の話、こんな歳月が下村のなかに言葉を貯金させた。

可惜夜(あたらよ)の鳴らして解く花衣

この句集は、俳句をはじめて二十年の集大成。「銀化」入会以前の句は惜し気もなく捨てている。

下村は「銀化」になじめるかどうか悩み、師にこう切り出したことがある。「この結社で、私はもたないです」。「銀化」調をやれないと痛感したのだ。師はこう返した。「自分のやり方でやればいい。自分の書きたいように書けばいい」。下村はそれで肚を決め、「銀化」で精進を積んできた。

連泊をすでに決めたる河鹿笛

吟行先だろうか。詳しいことは書いていないが、土地や人とのドラマを感じる。軽く書かれていて、奥行きがある。これは句集全体に通底する作者の人柄、作風だ。

犬枇杷の黄色をしかと総武線

JR山の手線は緑、中央線はオレンジ、総武線は車体に黄色が塗られている。犬枇杷は暖地の海岸線に咲く。総武線は、千葉の海から犬枇杷の黄色を都心へ携えてくるというわけだ。千葉在住、自分の生活圏での嘱目から詩を生みだす。

一途とは折れやすきもの吾亦紅

上五中七の世界に若者のイメージをいだくが、下五の〈吾亦紅〉により若者とは限らないと知らされ、読後に世界感がひろがる。

旅かばん花野の端を押へをり

旅鞄を持ちあげると花野がブルーシートのようにめくりあがるかのよう。風の強さだけでなく、花野の現実と思われないほどの美しさも伝えているのではないだろうか。

鰯雲小径あつまる避難小屋

鰯雲が〈小径あつまる避難小屋〉の景にひろがりを与える。この道の懐かしさ、厳しさ、淋しさ、秋の長閑さなど、自然の移ろいにより色々な表情を見せるのだと教えてくれる。

蜻蛉の眼ふたつが水つぽし

蜻蛉の目に着目する人は多いだろうが、それを〈水つぽし〉と言い切った人がいるだろうか。作者の観察眼のただならぬこと、表現のほどよい飛躍に驚かされる。

短日や馬の磨きし厩栓棒

集中、最も感心した句である。厩舎の中の馬房をこういう風に描く・・・。馬房の出入り口には一本の棒しかない。その棒に〈厩栓棒〉という名があることは知らなかった。さすが本屋の商品を偸み見、言葉を採取してきた作者だ。掲句から、厩舎内の昏さ、馬の儚さが伝わる。短日も効いているし、一本の棒に馬の心根が耀く。

つまらなくなれば流れる浮寝鳥

〈つまらない〉とは逆の心理状態の浮寝鳥を思うと、なんともおかしい。ツ―と流れて行くあの動きにこういう措辞を用意するとは。一冊の句集のなかで箸休めのような働きをする句だ。

囀や植樹待つ木を地に寝かせ

地に置かれた若木からも句は作れるのだ。何気ない芸を見せられ楽しい。

夜哭きする海をしりをり合歓の花
優曇華や名刺一箱遺されて
夕化粧そちらに行ってから話

下村志津子と言う人にとって大切なものに夫恋句がある。だから情が全面に押し出されてみえるが、とまれ、集中を見渡せばそれだけでないことは明瞭、足で稼いだ客観写生が主流であるし、季題への意外な働きかけも多い。

子へすこし隠しごとあり目刺し焼く
サロンパス絹莢の筋とつてをり

目刺しでこういう取り合わせは珍しいし、絹莢でサロンパスは理が見えるが、組み合わせとしてやはり面白い。

ぢぢぢとネオンの老ゆる夜の秋

下村は、俳句を始める前には詩や短歌を愛読していたという。ちなみに俳人では師を始め、相生垣瓜人、瀧春一、平井照敏、中尾寿美子、清水径子などを愛読してきたのだという。

短日や火の色孕むかもめの眼

〈厩栓棒〉の句と同じくらい強く魅かれた作品だ。冬の昼間も終わろうかと言う時、かもめの眼を〈火の色孕む〉と詠んだ。
下村は自分の句を「月並みで」と卑下するが、なんのなんの。多種多彩。読者は年齢性別を超えた作品に魅了される。

〈火を孕む〉のはかもめだけでなく、下村自身もそうなのではないだろうか。植物や動物を見つめ、あらゆる命に存問の詩を詠うのだ。

利き足に替へ山茱萸の香を偸む

吟行中の俳人は、ぼんやりものを眺めない。植物に触れ、匂いをかぎ、時には噛んだり食べたり。五感で向かいあう。掲句には、少しでもものの本質に近づこうとする下村の姿が見える。そして夜中になると、何十年そうしたように寝床に本を持ちこみ、朝方まで言葉探しの時間が続くのだ。

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