2011-01-30

〔超新撰21を読む〕小川楓子の一句 岩淵喜代子

〔超新撰21を読む〕
鮮やかな着地点
小川楓子の一句……岩淵喜代子


わが生みし鯨と思ふまで青む  小川楓子(以下同)

俳句は表現志向が命である。それは作者の志向と置き換えてもいい。あるがままの風景、あるがままの自分、あるがままの生き方などといえばとても俳句という形式に叶うようにも誤解して関わっているひとが多い。あるがままではない。ありたい自分が表現するものだと思う。そうして見たい世界を切り取るものだと思うのである。それが、読み手に納得出来た時はじめて作品として成り立つ。

読み手もまた、思ってもみない風景、どきどきさせてくれる風景を期待しながら頁を繰るのである。だから「梅咲いて庭中に青鮫が来ている  金子兜太」などという鮮やかな着地点を提示させられると、私などは、思わず知らず納得させられてしまう。そういう意味で掲出句「わが生みし鯨と思ふまで青む」に共鳴した。

掲出句のどこにと言われると困るのである。「わが生みし鯨」などあり得ない設定なのである。だが、作者もそのことを十分認識しながら「わが生みし鯨」と思いたいのである。別に鯨が哺乳類だからではない。それがジュゴンであろうと、マンボーであろうと愛しくなれなわれの内側に入ってくるのである。だがそれだけでは単に想いが浮遊しているに過ぎない。一句は「‥‥まで青む」によって着地している。青むという視覚に入るものによって、遥かなものを遥かなままでわが内側に抱え込むことができるのである。



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