〔俳誌を読む〕
ことばで見る
『弦』第32号(2011年1月1日)を読む
太田うさぎ
遠山陽子さんの個人誌『弦』が10年目を迎えたという。遠山さんは、三橋敏雄の年代記を書き続けているのだ。こうやって地道にその足跡を書き残している人がいることを俳壇はもっと評価してもいいのではないかと思う。
『弦』第32号「したたかなダンディズム 三橋敏雄 32」のなかに、ほぉっと目が覚めるような段落があった。
吟行会の教え
敏雄は吟行句会に際し、「吟行句は参加していない人にも判るような表現であることが基本」と先ず話すが、実はもっと本質的なことも折に触れ話してくれるのである。
「よく見なさい。目で見るのではなく、ことばで見なさい。ことばで断片的にでもいいから物事をつかむ。ことばで見なければ、ただ見ているに過ぎない。俳句は言語表現だから、見るときにはことばで見る。そのときに、これは俳句に使えるなという言葉の断片にでも出会ったなら、その日の吟行は充実したものと思っていい。」
「目の前のものを見るだけじゃない。そこから過去のいろいろの体験、経験を連想する。」などなど。
石川淳は「レス・ノン・ヴェルバ」、言葉ではなくものなり、と言った。観念ではなく事象を、ということだろうが、でも、その石川淳にしたって言葉、なのだ、あのカッコよさは。ことばで見ることなのだ。見よ、アタマでなく、言葉で。
具体的に明日からどうこう出来る指南ではないけれど、ここから教わることは多いのではないだろうか。
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