〔超新撰21を読む〕
北方へのまなざし
青山茂根の一句……広渡敬雄
風紋のみづみづしきを雁供養 青山茂根
青山茂根の百句は、他の超新撰の俳人と比較してその詠む対象が驚くほど広範にわたる。
多くの海外詠も単なるスナップ風ではなく、景が一度青山自身の体内で濾過され、そのイメージがある程度の時間を経て浮かび上がって来た句が多いし、川崎展宏、櫂未知子の句を本歌取りしたと感じられる句、生きとし生けるものへのしみじみとした愛情が漲る句、大胆に屈折した発想を取り入れた句、ナイーブな身体感覚をストレート表現した句、俳句への志を明快に詠んだ若々しい句等々実に多岐にわたる。
そういう意味からも、一句に絞って青山の俳句を鑑賞するのは、かなり乱暴とも言えるが、敢えて「雁供養」の句をあげてみたい。
奥州・外ヶ浜(諸説があるが、陸奥湾内の夏泊崎から津軽半島突端の竜飛岬にわたる海岸が定説、他に日本海岸の深浦、鯵ヶ沢一帯の海岸、下北半島の田名部一帯との説もある)の土俗には、雁が北に帰ったあと、海岸に落ち散っている木片を拾い集めて風呂を沸かし諸人に浴せしめる習わしがあるとの言い伝えがある。
空想から生まれた物語で実際には風習はないとされるが、雁は秋の渡来時に海面に咥えて来た木片を浮かべて休み、春に北に帰るときはそれを拾い咥えて行くと考えられていたため、残った木片は死んだ雁のものであろうとされた。
なくなった哀れな雁を深く追悼する季語。さらに言えば、風呂を施行することは、奈良時代の光明皇后の逸話もあり、都から遠く離れた奥州の奇特な習俗としての意味合いも含めた季語でもあろう。
雁風呂や海荒るる日は焚かぬなり 高浜虚子
雁供養砂の埋れ木焚き添へぬ 新谷ひろし
雁風呂の代表句としてどの歳時記にも掲載されている虚子の句、地元青森の俳人新谷ひろしの句はいずれも、雁風呂そのものを詠い哀感の情もゆるぎない。
この季語は、上記の謂れに基づいており、イメージの広がり方がやや制限されるためか、最近の俳人はあまり詠んでいないようだ。
乾びたる藻を焚きにけり雁供養 棚山波朗
海沿ひに煙たなびく雁供養 片山由美子
ひるがえって、青山の句には、古今の謂れの「風呂」のイメージを消したところが斬新である。
しかし、この季語が持つ哀感は十分に伝わって来る。
帰雁の頃とはいえ、青森地方はまだまだ春は浅い。
春の雪がやっと降りやんだ深雪晴の浜辺は、久し振りに凪いだ海がことのほか青い。
その海が広がる砂浜には、昨日までの激しい風雪のあとがくっきりと風紋として残っており、その鮮明さは目を見張るくらいだ。
強風で何度も消され、さらに砂に埋められの繰り返しのあと、安らぎのように凛と残された風紋は、奇しくも北に帰っていった雁への惜別であり、また昨秋の渡来後に生命を落とした雁への挽歌でもある。
その双方の雁への深い愛をさりげなくしかし高らかに詠みあげた点が「雁供養」の本意を少し外しながらもその季語の許容される範囲で、新境地を詠んだ画期的な句と言えるだろう。
その基調には、青山の生きとし生けるものへの慈しみと賛歌が流れていることは疑いの余地はない。
中七の措辞は直截にして簡明で揺るぎない。
青森・外ケ浜の海は、本格的な春に向かって、どんよりとした鉛色からすこしずつではあるが、着実に明るく青い海となる日が増えてきていることだろう。
青山は、茨城県の太平洋岸に育った。白砂青松の大洗海岸。
鹿島灘の北に位置するため通年、絶えず波荒い海岸ではあるが、色彩的には青々とした海が広がり風が止むと松原越しの砂浜には美しい風紋が広がる。
それは、青山の原風景でもあろうか。
その原風景を日夜見たまなざしが、この「雁供養」の句に深く投影していると解するのは筆者の思い過しかも知れない。
しかし、結果的にはそれが、従来の類想感を一掃したこの秀句を生み出したのだろう。
同じ北を詠んだ「流氷は嘶きをもて迎ふべし」との切り口の違いも、青山の俳句を解き明かすうえで大きな手掛かりとなりそうであるが、いずれ論じてみたい。
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2011-02-06
〔超新撰21を読む〕 青山茂根の一句 広渡敬雄
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