2012-03-18

写生写生文研究会  第一部基調講演 写生の「中味」竹中宏

愛媛大学写生写生文研究会京都研究会(2012.2.4)
第一部・基調講演 

写生の「中味」


竹中宏


これから写生についておしゃべりをさせてもらうわけですが、ごく大づかみな荒っぽい話に終わると思います。

私の写生に対する関心は、すべて、私が俳句実作者であることがスタートとなっています。逆に言えば、俳句実作者の関心を出るものではありません。

この写生文研究会は、文科省の科学研究費の助成を受けておられるそうです。私の話がどこまで学術的な参考になるかどうかは疑問です、と青木(亮人)さんにも申し上げたのですが、いいから喋れということだったので、基調講演と大げさな名前が付いておりますが、何かのきっかけになる話でもできれば、幸せだなと思っております。



さきほどの佐藤(栄作)先生のお話ともつながりますが、明治の、漱石、子規、そこに虚子も入れていいでしょう、近代俳句のスタートの段階から、写生は一つのモットーとして扱われてきており、そして、私が俳句をはじめた五十年ほど前にも、まだまだ重要な論点ということになっていました。

そして、俳句でいうところの写生の「中味」が、それぞれの論者によってあまりに違うことに、とまどいをおぼえることがしょっちゅうだったわけです。その状況は今でも変わっていないものと思われます。その、さまざまなニュアンスで語られる写生とは、結局のところ何なんだ、ということを見つけたいと、自分はずっと思ってきたのかもしれません。

写生という理念あるいは概念が、個々の俳人の表現においてどう具体的に顕現してくるかについて、こまごまと分析することには関心がありません。具体例に関わりすぎると木を見て森を見ずということになりかねない。茫洋として収拾のつかないまでに広がっていく写生という概念の、基本にあるものはいったい何なんだ、ということを、つかんでみたい。



虚子の句を、写生的でないという角度から論じることも出来るでしょう。では、どうして彼は、それを写生と言ったのでしょうか。

割り切った見方で、客観写生というのは、単なる看板であって、虚子はそれを本気で考えてなかった、というようなことが、よく言われます。あれは、俳句を啓蒙する普及活動において、大衆にたやすく俳句に入門してもらうための手段にすぎないんだ、と。

そういう解釈がありうることは否定できません。しかし、話はそれですむのだろうか? と思うわけです。それを「高濱稲畑商店」が掲げている看板に過ぎないと言ってしまえば、むしろ話はカンタンなんです。

しかし、どうも、そうでもないのではないか、と。

むしろ、それを実のない看板だと言ってすましてしまう言い方は、その人の批評意識の貧困を示しているのではないか。



波多野爽波の『舗道の花』という第一句集の、扉にちらっと一行半ほど書いてある断章があります。

「写生の世界は自由闊達の世界である」

爽波さんが、この言葉を、第一句集の扉に書いた、ということに興味があります。



写生は何だと言われて、物を写すことだ、と答えることは同義反復です。トートロジーは絶対的な真実ではありますが、そういうことから、ものの本質や真髄が、明らかになるのか、それでいいのかと思うわけです。

僕は俳句というのは物を写すことだとは思っておりません。結論を先取りして言えばですね、俳句における写生とは、非常に特殊なものの捉え方、ないしは感覚、だろうと思っています。



さて、爽波さんのこの短い言葉がなんで面白いかというと、この人は虚子直系の弟子で、写生写生と言われて俳句をやっているわけです。しかし、自分の作句で意識されることは、自由闊達なんだと。

外から見ると、俳句における写生、というのは、対象を限定し、表現のかたちを限定し、俳句を特定の方向に圧縮し収斂していくもののように見えるけれど、どうもそうではないらしい。

どんなことでもそうなんですが、理想的に事柄が行われる場合と、そうでない場合は区別しなきゃならん、ということです。

つまり、すぐれた写生派の俳人は、その中である種の自由闊達さを享受しているらしい。このことは僕が写生を考える上での、重要なヒントになりました。



自由闊達は、単純に存在するわけではありません。どこにおいての自由か、ということが問題です。

この句集は昭和31年、1956年の刊行です。1950年代後半、つまり戦後のこの時期、彼がどういう意味でこの一行を、しかも扉に書き加えたか。どこまで意図されたものか分かりませんが、非常に象徴的で、いろんなことを考えさせる文句であると思います。

ここには明らかに、写生以外のやりかたでは、自由は獲得できないというニュアンスがあるように思える。

爽波には、片方に、自由闊達「でない」俳句がある、ということが意識されていたのではないか。つまり自己を縛っていくような俳句があることが意識されていたと思うんです。



写生ではない、自由ではない俳句とはなんだろう。これはおそらく、当時のアンチ写生の大きな流れが視野に入っているんじゃないか。そう考えることで、この命題は意味を持ってくる。

ここにお集まりの皆さんは、近現代俳句史のアウトラインはご存じでしょうから、細かく挙げる必要はないと思いますが、今日にまで続く反写生の流れの大元は、水原秋桜子だと思います。昭和初年「自然の真と文芸上の真」というホトトギス離脱の宣言において、秋桜子は、写生的な方向は「自然の真」であり、そうではない、別のものを俳句として求めていかなければならない、としている。

この反写生の方向は新興俳句へと続くわけですが、これは総じて見ると、非常に近代的な意識と価値観を前面に立てる方向である、と言える。

人間の意識というのは、ほうっておけば、とりとめもなく、あちらこちらへ散漫に勝手に動いていきます。我々の日常の経験というのは、そういうものですよね。

それを、いわば自覚的に「意識を」意識しながら、運用していくことを徹底させる。それが近代的主体の考え方で、文学も(この場合は俳句ですが)、それを前提として追求していく。秋桜子以降の反写生の流れというのはそういうものだったと思います。つまり近代的なものの考え方、人間が自己の意識を自覚的に運用していく、そして人間としての自信あるいは誇りというものが主張されるような方向です。

そういうものに対する違和感が、爽波さんにその一文を書かせたのではないか、と思われる。



爽波さんと僕は、その後、お互い長い付き合いになるんですが、爽波さんは、ここで言うようなややこしい論理操作を好む方ではなかった。非常に直感的な、そういう意味で頭のするどい人でした。

近代的な意識の自己展開的な動きの中で人間がほんとうに自由でありうるのだろうか、と彼は、あまり理屈をこねない人だからこそ、非常に強く思っていたのではないか。

近代人が当然とする、自意識を中心とするスタンスが一方にあり、また一方にそうでない自由自在さがあるとすれば、それは、いったいどういう部分で、あるいはどういう場面で実現するものだろうか。

その自由は、いわば、人間を「外の世界」に開いていくもの、自意識から自分を解き放つもので、その必要を、彼は言いたかったのではないか。

爽波さんのことは一つの例として言いましたが、いわゆる写生派の俳人は、みなそれを感じていたのではないか。これは私の観測で、そして、おそらく当たっているのではないかと思われます。



写生は、写生的な自由を、どういうふうに実現していくのか。

いちばん具体的な話をすれば、句作における主題の構成あるいは俗に言うところの俳句的な表現といったものの、外側に、俳句自体を解き放つ契機として、写生はある。写生派の俳人は、そういうふうに、自分たちの仕事を意識しているのではないか。

わたくしたちが俳句のことを考えるときには、俳句というカテゴリーをなんらかの形で打ち立てて、俳句の内と外を区別しているわけです。

近代的な意味での俳句は、近代的意識主体が、主題を選定し表現を構築します。その過程においては、俳句になりきらないもの、俳句をこわしてしまう、俳句でうたうに値しないと考えられるものが捨象される。俳句を意識する主体は、近代的意識主体として、その内と外を分けるわけです。

しかし写生派は、俳句の外とされる部分をとらえて、放さないようにしようとする。それが、俳句における写生の一番のポイントではないか。



意識的主体の主題にしたがって、作品世界を構築していくためには、目標設定の必要がある。それはいまだに実現されていないものであるにせよ、こうであろう、かくあってほしい、かくあらねばならない、という、我々のある種の理想です。

しかし、我々がそう考えるように、我々の外界は動いているんだろうか?

写生派に残されているのは、その部分なんです。その部分を閉ざしてしまって、自閉的な独立した作品の中で世界を完結させるようなことをして、自由なのか、自在なのかということです。

逆に言えば、近代的な意識主体が考える、あるべき価値が、人間を窒息させるという考え方があるように思います。



外部とは、けっして、我々が自ら構築するものではない。

さいきん、思想の方面で強調されるところですが、我々の意識は対象を構成するという考え方があります。それは、一面その通りかもしれません。極端な話、我々は、意識的にも無意識的にも、自分が見たいようにしか、つまり自分が概念をもって構築したようにしか、外の世界というものは見ることができない、そういう考え方がある。

しかし、そうは、なってないんじゃないか(笑)。

本当にオレの思ったように、世界は成り立っているのか、と、思うわけです。我々の外側には、我々の期待通りにはいかない外部の世界というものがある。

よく「自然」ということを言いますが、我々が意味的に限定して自然というものを作り上げるわけではない。所与の世界として、運命的に、この我々にかぶさってくるもののある部分を、自然と呼ぶわけです。

その所与の部分が、我々を「愛して」くれるかどうかは、分からない。必ずしも親和的にそれと交わることができるとも限らない。おそらくそうでない部分が大きい。それこそ、こちらの期待に過ぎないかもしれないわけです。

あるいは、その部分をコントロールすることができるかというと、それがおよばない部分がある。自然の中で、コントロールがおよぶ部分はごく一部であって、我々にとって野性的なものは、我々の向こう側にありながら、交わりを持たざるを得ないものとして、有無を言わさず我々に関わってくる。

存在、という言い方もありますね。ハイデガーの言う存在がどういうものかは、哲学の専門家におまかせしますが。存在は、こちらの思うように動いてくれない。その中には、あるいは、目をそむけたくなるような部分もあるでしょう。

目を背けたくなる部分と言えば、我々にとっての絶対的な否定性であるところの「死」があります。絶対的に体験できない外っ側には、そういうものが、わかちがたく絡まり合って存在し、うごめいている。

そのことに、我々は、気づくわけです。そのことの意味を、自分で自分に納得させ、自分の感情のメカニズムの中で消化しようとするのですが、消化し回収しきることの不可能な部分がある。しかし、それは、放っておいてもリアリティの岸辺に打ち寄せてきている。



先ほど、自由自在と申しましたが、それは必ずしも、外界と仲の良い関係を保つことではありません。嫌なもの、見たくないものがあらわれた時に、それを避けない、という自由もありますね。

爽波の句なんて、読んでみられたら分かりますが、あんまり気持ちの良い句ばかりではない。ときどきヘンな句があるんですね。なんでこんなものが混ざるんだろう、というような句が入っている。俳人としてそういう部分から目をそむけずに、むしろ作品の重要な契機として、取り込んでいく。

写生派の俳人は、そういうところで、価値的に上下関係をつけていない。何が来ても、俗な言い方をすれば、句材にしてしまう。

それは今言ったようなところからくるんじゃないか。



もちろん、我々の内的世界と外的世界の境目のようなところにあって、どちらとも言い難いようなものはあります。

「自然」というもののも、必ずしも、目に見える、自分の外にあるもの、と割り切れず、我々の内にも、意識的主体に回収できない内的自然が存在しているといえる。

「言語」というものにも、私が使うものだけれど、私が作ったものではない、という、どうしようもなさがある。

あるいは「身体」。よく言われることですが、身体は私の内と外の境目であってどちらとも言い難い。

それどころか、意識それ自体も、醒めている段階ではコントロールによって自分の世界を打ち立てようとしておりますが、はたして、それができているのかどうか(笑)。そういう厄介なものとして感じられるとき、意識それ自体も、写生の対象となっていくだろうということです。

だから、特定の「何を」うたうかと言うことではない。そしてそれは、どう現れるか分かりませんから、「どう」うたうかでもない。すくなくとも、それは写生という契機からは決められない。

ただ写生は、根本的な態度として、俳人の創作活動を方向付けていく最初のきっかけなのではないか、と思います。



さきほどの佐藤先生のお話とも関連しますが、「ありのまま」というものが、存在しうるのかどうか。我々が見たいようにしか見れないのであれば、ありのままというのは成り立ちえない。しかし、外部に対して開いていく、何かが入ってきたらそのまま受け止めていくという、受け身の姿勢、受動性というもの、それが「ありのまま」と言われていることの中味だと思うんです。

そういうふうに考えますと、虚子の句があまりにも多種多様でとりとめがなく、彼が何をしようとしたか分からない、というふうに、作品世界を立ち上がらせたわけも、その意味での受動性を示している。そういうふうに思っております。



もう一つ、写生について、面白いと思っていることがあります。俳句の歴史の中では、いわゆるホトトギス主流ではないんだけど、反写生の流れに入れて良いんだろうかと思われる、微妙なスタンスをとる作家がいます。明治以来100年を越える俳句の流れの、随所に、大小の作家で、そういう人はあらわれる。

たとえば飯田蛇笏はどうなんだろう。蛇笏には彌榮浩樹さんが深い関心を持って論を書いておられるらしいですから、いずれ読ませていただけるものと思っておりますが、蛇笏は、はっきりと写生が大事とも、そうでないとも言わないんです。あれ、なんやろう、ということです。

あるいは山口誓子。当初は、誓子流のメカニズムで、新興俳句時代大いにもてはやされたわけですが、それ以降、誓子の長い生涯の中で、彼の写生に対するスタンスははっきりしない。別の言葉で、即物非情、というふうな言い方をするのですが、それは写生とどう違って、どう関係しているのか。

あるいは、中村草田男。人間探求派と呼ばれてはいますが、ご存じの通りそれは山本健吉の作った言葉です。しかし、僕は草田男の弟子ですが、草田男の口からは、俺を人間探求派なんて言ってくれるな、という言葉をいっぺんも聞いたことがない。やはり、人間探求派という言葉は、彼の一角を射貫いているんでしょうね。としたら、それは写生とどう関係しているか、考えてみる必要がある。この三人の中で、草田男がいちばん「写生」を肯定的に語っています。



先程来申しておりますような理解の仕方をとれば、写生とは、特定の主題の選択、あるいは特定の表現のありようとは違う。写生ということだけを腹に据えておれば、俳句が出来るものだということにもならない。

なぜならば、外的な自分の意識でコントロールできないものに触れるっていうのは、有季定型体験と違うものですからね。そこから見えてくるものっていうのは、もうちょっと不定型な、これといった形をなさないへんなものですから。

だから、俳句というのは、写生だけを考えておれば出来るというような、そんな簡単なものではない。

蛇笏の場合ですと「連山影を正しうす」あの連山というのは、やっぱり、何かが見えていたんだと思うわけです。「影を正しうす」というのは、いつも見ている連山じゃない、何かがその時あらわれたんだろうと思いますねえ。それをキャッチする。もし、連山がそういうものを示しているとすれば、……いや、示すというのはむずかしいんで、もし、連山が、そういうものの方向を見せているとすれば、彼が、写生についての否定的な意見を述べられなかった、述べる必要がなかった、ということが分かる。

虚子自身にしましても、のちに花鳥諷詠なんていうことを言いますが、あの花鳥というのは、俳句の成立している場ですね。つまり写生よりももう少し俳句の表現の形に近づいた話で、俳句が、俳句の形をとってくる時に、その契機となるもの、花鳥というのは虚子にとってのそういう場所を示すものだったと思います。

さきほど、僕は死とか外部とか存在とか、ひじょうに茫漠とした言い方をしましたが、それは話を一般化していたということで、特定の作家にとっては、特定の関心の領域というものがある。

虚子は花鳥という言葉で何か述べたかったわけです。それは、なにも字義通りの花とか鳥とかではない。彼は花鳥とは何かときかれて、人事自然の一切であるとかそういう無限定なことを言っていて、トートロジー的循環におちいっている。しかし、そうとしか言えないから、彼はそう言っていたんだろうと思います。

誓子の即物非情、物に即する、の、物とは何か。意識の対象化しうる具体的な物であってそうではない、そこの境目に成立しているものととらえる必要がある。

草田男の場合ですと、人間になる。つまり人間が、爽波流に言えば自由闊達ですが、草田男流に言えば、いわば「やむをえず」です。意識感情を越えて、もみくちゃにされる、その場が、人間探求派にとっての人間と呼ばれるものだろうと思います。



虚子と、このような出色の弟子との、写生をめぐってもあらわれる師弟関係を、割り切った分かりやすい説明があって、あれは同窓会的な感情だと。その面があることは否定できない。しかし、同窓意識で話が片づくなら話はかんたんだけれども、それだけではないだろうと僕は考えますね。



写生派の俳人たちが、自分たちの写生体験、あるいは写生という営みをどう説明してきたか、というと、それらはほとんど役に立たない。虚子俳話の言葉の表面だけとって引用しても、非常に浅薄な理解に終ってしまう。彼らは自分の中で起こっていることを、つまり句作の体験の突端で起こっていることを、批評的な言語として出してみせる、ということをやっていない。

それは、彼らの責任というよりは、あの時代は自分たちの体験を語ろうとすれば、ああいう語り方になってしまう時代だった。明治時代に西洋の画論から吸収された理論の枠組に、とりあえず従って語ることしかできなかった。

彼らの自己解説として提示してくる言葉と、実際の体験のギャップをよく見ておかなければならないと思います。



もう少し言えば、写生というのは、けっきょく俳句プロパーの問題とは言い難いものです。有季定型は、俳句プロパーの問題です。俳諧性も、隣接領域の川柳の問題を視野に入れる必要があるでしょうが、俳句の枠の中で語ることができる。

でも、写生っていうのは、そういうものとは質が違う。写生は、俳句が俳句になる境目のところで、何が起こっているか、境目のところで起こっている何を重視するのがいいのか、ということに関わる論題になってくると思います。

その点については、さきほど内部と外部という言い方しましたけど、たとえば我々は日常生活を営む上で、常識的に心得ていることがある。そういう日常卑近のことから、もう少し抽象的感観念的なことにいたるまで、我々は自分のものの考え方の体系を内面的にもっているわけですが、それをある種、こうゆさぶってくる形で外部というものは我々にせまってくる、あるいは侵入してくる。

お手元にお配りした資料は若いころ書いた文章で、今となっては恥ずかしいような若気の至りの部分があちこちにありますが、けっきょく、その、我々の写生という俳句の行き方が、我々に見せるものっていうのは、こちらの期待を裏切るようなかたちで出てくるものですね。それに対して心を開く。それは、こちらを心地好くはさせてくれないだろう、ということを書いているわけです。

実作者としては、そのあたりをはっきりと腹に据えておく、つまり写生ということを、俳句の上で主張するのであれば、そのことが必要になる。

もうひとつ俳句の場面で具体的にそのことをいうならば、外から見たくもない聞きたくもないものが迫ってくるとして、それは「非日常」の体験なのか、というと、俳人はどうもそうは思っていなかったんじゃないか、と思われる節があります。

ある意味で、我々の思い通りにいかない、心地好くないものが、ぴょこぴょこ首をもたげるのは、むしろ普段あたりまえのことで、我々は、それに気づかないふりをしているのか、あるいは蓋をして圧殺しているか、どちらかであろうと。そういうふうに俳人は考えているのではないかなあと思われます。

つまり外部が侵入してくるのは、非常時でもなく戦時でもなく平時の事態である。それに平然と向かい合っていく。それが俳人の心得ごと、心構えである、と。近代以前には、あたりまえすぎて、特別問題にもならなかった世界の受けとめ方を、近代的な意識のもとでの主体像が、たてまえとして当然とされるような時代となって、あらためて、取り出して確認する必要が生じてきたのだといえます。

しかし、写生体験をうんぬんするとすれば、そこには独特の、何ていいますかねえ、俳句表現を越え出る「もの」に対する、あるいは一般的な体験に対する腹の据え方という面があるのではないかと思います。

あとまあ、いろんなことがあると思います。皆さんからご質問が出れば、私もまたはっと気付くことがあるかもしれませんが、今は、写生とは何かと問われれば、こんなふうに答えることになるというふうに、ご理解いただければと思います。



第一部(了)

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