【週俳7月の俳句を読む】
人生のほとんどが平成
酒井俊祐
流るるか流されゐるか水すまし 小池康生
私は水すましを生で見たことがない。そんな現代っ子アピールはさておき、水すましがすいすいと水面を移動するのは、実は流されているだけなのかもしれない。本当のところは、きっと水すまし自身にもわからないのだろう。寧ろ、流されているか流れているかは大した問題ではない。定義付けは人間が勝手にやっているだけであって、その現象その場所が水すましの現実・生活である。シンプルな言葉遊びのようで、深い。
外つ国の水売り暮らす秋の人 生駒大祐
エビアン、ボルヴィック、女性ならコントレックス。外国の水は特に目新しいものでもないのだが、ここでの『外つ国の水』はどうしてか非合法な印象を受けてしまう。秋の人は日本人ではないだろう。おそらくあまり日本語も喋れない。東上野の雑居ビルの3Fあたりで、日がだんだん短くなり、絨毯の部屋に終日閉じこもりながら、訳の分からない言葉と世界の中でどうにか立ち上がっていこうとする強い気概を感じる。
しちがつなのかかべはどうしてあるのかな 御中虫
七夕。二人の間には壁があって…と考えてしまうとケータイ小説のようになってしまうが、この句の本意はそうしたところにはないだろう。壁とは便利なもので、物理的にも、精神的にも、空間を遮断することができる。壁があるお陰で、マンションの隣の部屋の住人の喧嘩を聞かずに済む。では、壁がない世界って、どんなだろう…?今私達が意識することもなく便利さを享受している前提を、もし取っ払ってみたら…?ちょっとSFチックで、あまり類を見ない7月7日のワンシーンである。
人生の半分昭和生ビール 栗山心
職場の飲み会で「この1杯目の生が最高で」などという言葉を耳にすると、高校生のころ最もなりたくなかった立場に今自分が近づきつつあるような気がして、少し不安になる。残業、ビール、上司の愚痴。ダサくてやってらんない。けれども、そんな日々の繰り返しで、今私たちがまともに暮らせる土台ができあがってきたんだろうなと思うと、これはこれで切り捨てることのできない習慣なのかもしれない。人生の殆どが平成である私の世代は、1杯目からカルーアミルクを頼んだりするらしいが、昭和の先輩方のように何かを生み出せるだろうか。
第271号
■栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
■生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
■小池康生 光(かげ) 10句 ≫読む
第275号
■御中虫 もようがえ 10句 ≫読む
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2012-08-12
【週俳7月の俳句を読む】 人生のほとんどが平成 酒井俊祐
Posted by wh at 0:03
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