2013-06-09

成分表58 ロングトーン 上田信治

成分表58 ロングトーン

上田信治

森の中で、一つの楽器の音が、長く長く引き伸ばされて鳴っている(と想像する)。

音は、バイオリンでも、サキソフォンでも、笙でもいい。音が途切れないように想像を続けていると、森も言葉も自分も消えて、その持続だけがあるような状態になるので、そうしたら、想像を止めて、その日の作業にとりかかる。

──というのが、自分の、仕事前のルーティーンだ。以前は、頭の中で、大きな石を何度も持ち上げていた。

楽器のロングトーンを想像するのは、とても気持ちのいいことで、見渡すかぎりの広さの風呂に一人でつかっているような、ずっとそうしていたいような心持ちになる。楽音をホワイトノイズに換えてやってみると、ある状態までは行けてもそこまで気持ち良くはなく、楽音から得られるもののほうが、より「深く」感じる。そのことは多分、音楽はどうやって人の心に感情をひき起こすかという、大きめの問いにつながっている。

音楽を聴くことは、日常意識から、ある大きな部分を「取り除く」ことだ。

人の心にとって、視覚情報と言葉がいわばフロントで、聴覚情報はバックヤードに当たる。注意のバランスを聴覚に傾けることは、言葉と視覚にマスクをかけることで、つまり音楽は、日常をうっすらと遮断するインスタントな瞑想なのだろう。そこには意識の集中によって得られる、独特の悦びがある。

楽音がノイズと異なるのは、それが、過去の声や音楽の記憶と共にあることだ。

バイオリンの一つの音は全てのクラシック音楽の、サキソフォンの一つの音は、全てのムード歌謡のイントロの記憶と共にある。全てとは、過去の全ての鳥や犬の鳴き声や、音楽や祝祭にこめられた、感情の全てである。

そういうものに、音楽は触れてくる。

音楽が励起するものは、言葉の手前にあるもの、必ずしも自分のものではないものを含む全記憶であり、そういう人間のバックヤードにあるものが共振するとき、自分だと思っていたものはぐらぐらと揺り動かされる。

九鬼周造に「小唄のレコード」(≫青空文庫)という心を打つ小文があって、そこで彼が「ここにいる三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだ」と書いたのは、そういうようなことだと思う。

  花ふゞき音楽近く起りけり   石井露月

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