2014-03-09

特集・三年目の3・11 エッセイ 「三年目の風景」 山崎祐子 関根かな 風間博明

特集・三年目の3・11 
エッセイ 
三年目の風景

山崎祐子 関根かな 風間博明


リセット  山崎祐子

二月に、いわきでプロジェクト傳のメンバーと会ってきた。

いわきの津波被災地では、昨年の十二月から本格的な土木工事が始まった。どこに誰の家があったのか、もうまったくわからない。 グーグルで検索すると道路があるはずなのだが、ところどころフェンスがはられて立入禁止になっており、地図の通りには通れなくなっているところもある。

これから、大きく変わるのだ。地域にとって、ようやくのスタートである。喜ばしいことであるが、一抹の寂しさもある。

この景色を見て思い浮かべるのは、多摩ニュータウンの開発のこと。 「平成狸合戦ぽんぽこ」の世界だ。

多摩ニュータウンは、山を削り、谷を埋め、田畑を地域に残さない方針の開発計画であった。豊かな緑の農村は、関東ローム層が剥き出しになった赤い丘陵を経て、ニュータウンとなった。

私は平成元年から多摩ニュータウン地域で民俗調査を続けてきたが、ここ何年かで開発のことを知る方が亡くなり、多摩の語り部、開発の証言者といえる方たちがほぼいなくなってしまった。

新しい景観が完成すれば、さまざまなものがリセットされるのであろうが、途中のこの景観は、痛々しいという言葉以外に表現ができない。

もちろん、感傷に浸っているだけでは先へは進めないことも事実。 「痛々しい」という気持ちを忘れずに乗り越えてこそ、未来があるのだと思った。

*プロジェクト傳では、4月19日、20日の二日間、台東区上野で「いわき復興の響き展」を行います。20日は、じゃんがら念仏踊りの上演やいわきの物産市もあります。詳細はホームページをご覧ください。 

プロジェクト傳HP 



光る雪  関根かな

東日本大震災から三年が過ぎた。もう三年なのか、まだ三年なのか、私自身まだ整理ができていない。友人の父は未だ行方不明で、彼女とは震災の話をすることはない。

私の住居は、波音も遠い仙台市の内陸部に位置しているため、家屋や家財の被害はほとんどなかった。ただ、あの日、三月十一日の事は今でも画像や音響を伴って鮮明に蘇る。

大きく長い揺れの直後は、重い灰色の空だった。サイレンが鳴り響き、余震のたびに自分自身の身体も震えた。

徒歩での帰宅の途中は、灰色だった空に、急に光が差し込み、光りながら雪が降り始めた。

自宅の近くの高台からは、港の近くで黒煙が立ち上っているのが視界に入った。山の方を見ると今まで見たことが無い、薔薇が燃え尽きたような色の空があった。

歩きながら俳句を作った。

この一日を言葉に、十七音に留めなければならないと、無意識の意識の中で、言葉を繋いだ。

三年経った今、まだ言葉を繋ぎ続けている。



それでいいのか  風間博明

三年前の3月11日の地震・津波・原発事故による放射能。福島は本当に痛めつけられた。

そして、先祖から続く家も土地も家業も失い、将来の希望の糸口も見つけられず、難民のような放浪生活を余儀なくされている人たちは、十数万人にもなっている。
国は、復興よりもまず避難民の補償を優先させなければならないが、それはなされていない。国は巨大な利権の温床となっている東電などの電力企業を守ることに必死になっているのだ。

 全町避難の浪江町、完全な死の町と化した町の目抜き通りにかかるアーチ「原子力・明るい未来のエネルギー」の看板が虚しい。

震災後、着の身着のままに全員逃げた立ち入り禁止区域での、窃盗行為の横行、玄関に貼り出された文章。  

コラードロボー
3/12町のみんなが、どんな思いで
町を離れたか分かるかー
絶対バチあたるからな、
必ずバチあたるからな、仏様が見てるから

走り書きのこの文字に、なんともやるせない思いにかられた。

卒業式の最中に震災に見舞われた学校では、体育館のステージに卒業式の式次第と横断幕が貼り出されたまま、床は大きく抜け落ちたままだった。
福島の原発は、今も高濃度の放射能を放出し続けている。今後の展開は予断を許さず、再び大きな震度6以上のことが起きれば、あそこにある建て屋は吹き飛び、電源は喪失され世界史上類例をみない大爆発が起きると想定されている。
それは広島長崎の原爆の数百倍の大きさだと聞いている。
このようなことが起こるはずがないなどと根拠のない思い上がりのもとに高をくくり、莫大なる利権の確保に狂奔している、今の政治に心より怒りを覚える。

福島の人々は、お人好しが多い、そして子供達はまことに健気である。
そして福島が好きなのだ。

政府もメディアもことさらに原発事故の問題を風化させようとしている。

それでいいのか。今回は福島だったが、明日は我が身ということに、心を致せないものなのか。

私自身も、地元450軒余りの町会長をしている関係で、町内にある空き地・宅地500坪に汚染土の「仮仮置き場」を作るかどうかという、町会有史以来の大きな騒動に直面した。
最終的に臨時総会を開いて汚染土の「仮仮置き場」設置にいたり、今は家庭の汚染土は全て埋設が終わったところである。そこに至るまで、反対派の人々の僕個人に対する誹謗中傷のビラの配布など塗炭の苦しみを味わった。まさに原発事故の只中にいたに相違ないのであった。このことは語れば余りにも長くなるので、折りがあれば話したいと思う。
我々は、何も問題がなければ政治などに関心を払う必要も無いのだが、原発問題は、あまりにも危険な状況に立ち至っており、看過できないのである。

 角川「俳句」の三月号では震災特集がなされ、尊敬する多数の先生方が原発に異議を唱えておられたことは、誠に心強い限りであると思った。

原発反対運動は、巨大で広範な権益集団との戦いなので、粘り強くやっていかなくてはならないと思う。

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