自由律俳句を読む 70 尾沢寧次
馬場古戸暢
尾沢寧次(おざわやすじ、1886-1967)は、長野出身の自由律俳人。23歳の時に渡米し、米国にて薬剤師として働いた。「ヴァレー吟社」を創立主宰。海紅派とされる。以下『自由律俳句作品史』(永田書房、1979)より、数句を選んで鑑賞したい。
麦秋の風の行手長者の名は忘れて通る 尾沢寧次
前回に紹介した鏡太郎と同じく、寧次もまたアメリカ移民であった。この句がどこで詠まれたものか知らないが、アメリカのかおりを感じないでもない。
母娘三代の顔であり夏の日縫屑ちらす 同
母娘三代が、裁縫に精を出している様を詠んだものだろう。生活のためか趣味かわからないが、彼女たちの腕は確かなもののように思う。
お寺のさつき空後槻さんを僧形にす 同
後槻とは、先に紹介した伊藤後槻のことか。両者ともに海紅派であり、親交があったのだろう。僧形になるには、さつき空がふさわしいのかもしれない。
甲斐の山川夏めく武田滅びた歴史 同
歴史に詳しいと、各地で昔に思いを馳せることができる。少しばかし、羨ましく思う。
義歯をおき夏夜髑骸と見へたは老耄 同
このおいぼれは、誰かのことか自身のことか。こうした景を見聞きすると、芥川の羅生門を思い出さずにはいられない。
0 comments:
コメントを投稿