成分表 71
似合う
上田信治
「里」2012年12月号より改稿転載
自分が二十代の頃はいわゆるDCブランドが全盛で、マルイとかパルコに行くと、ニコルとか、アルファキュービックとか、ミルクとか、たくさんのブランドの店があった。
今は、もう全部ない(マルイはまだあるか)。
ある時、そういった店のひとつで、シャーベットのようなオレンジ色のごわごわの生地に記号的な花の刺繍のある、シャツを見ていた。
店員が近づいてきて「そちら、テレビで鶴ちゃん(片岡鶴太郎)が着ていたんですよぉ」と言った。その情報にはゾッとしたが、自分は、夏になると生成りっぽい固い綿のシャツを着ることを好むので、それを試着することにした。
「あ? お似合いですねえ」と店員が言った。
その「あ?」は、いかにもに意外そうで、ほとんど失礼なほどだったけれど(それがテクニックだったのかどうかは、いまだに考える)、自分でもすでに、これは似合うと思っていた。そのシャツは買って、刺繍の糸がほつれて抜けるまで何年も着た。
誰にでも、その服を着ると、ふしぎなほど自分らしく見えるとか、逆に、服としては好きなのに、着てみるとしっくりこないとか、そういうことがあると思う。
話は飛ぶが、どうしてここでこんなに泣けるか、という話のツボが、人にはある。
アニメの「もーれつア太郎」で、刑期を終えて出所した金庫破りのチビ太を、弟分のハタ坊が待っているのだけれど、改悛したチビ太は取り合わなくて(O・ヘンリーの翻案)その時ハタ坊が言う「おやぶん、また、いっしょに金庫破りやるジョー」という台詞が、自分には悲しくて仕方がない。
その話をうっかり人にしかけると、嗚咽がこみあげて話せなくなるほどなのだけれど、そんな子供だましに、どうしてそこまでの反応をしてしまうのか、自分で自分がまったく理解できない。
人にはたくさんの自分に見えない何かがあって、変な服とか、心が勝手に泣いてしまう話とかを「当てて」みると、それがあらわれる、そういうことであるらしい。
世界もまた。
例えば空なら空に何かバカのような言葉を当ててみて、初めて、ああ、ここはこんな場所だったのかと気づくようなことばかりだ。
冬の空昨日につづき今日もあり 波多野爽波
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